6.罪⑥
ベリアルとアムドゥシアスはカイムの家を訪れた。
五臓六腑(地獄)。ベリアルとアムドゥシアス。
「今セーレから連絡があった。トロッコに仕掛けが終わったそうだ」
「そうか、後々必要になる」
「あと『茜さんが危険な実験台にされそうになってたから、すごいがんばってふせいだ。あとで褒めてほしい』だって」
「なんだって」
ベリアルは、膝を落として地面に手をついた。
「これだから早く彼女を取り囲む人間を取り除いてしまいたいんだ」
「まあまあ、焦ってもしょうがない。あと俺たちの家を建設中のアンドレたちからも連絡があった。山の中に奇妙な赤い沼を見つけた。面白いからこの沼を囲むように、家を建てることにしたそうだ」
「赤い沼?」
「ああ、どうも末那の沼らしい」
「末那って地獄にしかない物質じゃなかったのか」
「そうだ。だからみんな珍しがって、この沼に人間を投げ込んだらどうなるか、試したくてしょうがないらしい」
「家のことは任せる。みんなの好きにしたらいい」
「そうか、じゃあ資料も集め終わったところだし、俺たちは演説原稿の依頼にいくぞ」
「……ああ……」
ベリアルは、歯を食いしばって立ち上がった。
ユニコーンは、ベリアルの背中を叩いた。
「よし、行くぞ。あいつは今、召喚中で、毎日この時間に休憩しに帰ってくるらしいからな」
ベリアルとアムドゥシアスは自分たちの居住区である第六腑を移動して、隣の第五腑へ向かった。到着した二人は、「地獄一の弁論家」であり、本編の主人公でもある悪魔、カイムの家へ向かった。この家は、巨大な切り株の内側をくり抜いてつくられている。二人は、太い根を伝って登り、幹に取り付けられたドアをノックした。まもなく家主がドアを開けた。
「おまえら、急にやって来てどうした。何があったんだ」
ベリアルと同じく少年の姿をした悪魔であるカイムは、銀髪の頭に生えた二本のツノに、黒い犬の耳の革を被せ、おそらく同じ個体の尻尾をズボンの上からお尻につけた格好で、驚いて訪問者を見た。
「『何があったんだ』は、おまえだよ」
「ああ、この格好か……私は今現在、訳あって召喚者に犬として飼われている」
「……おまえ、ツグミだろ……何がどうなってそうなったんだよ」
「……悪魔としてのプライドが無さすぎる……」
「まあ、流石の私も少しだけ屈辱ではある」
「なんでそれをちょっと照れながら言うんだよ。相変わらず気持ち悪いな」
「なんか今度の私の召喚者は、自分が悪魔を呼び出してしまったことを認めたくないらしい。代わりに私が犬だと思い込みたいらしいんだ。大抵は召喚先で、おまえの名前を出すと、納得してくれるんだがなあ。『私はあの有名な悪魔ベリアルと、一つ屋根の下で暮らし、一緒の寝床で寝たことがあるほどのただならぬ仲だ』とかな」
「やめろ」
「それで何の用だ……あ、その前に、まあ中へ入れ」
家に通された二人は、犬の姿のまま椅子の背もたれの隙間から尻尾を垂らしつつ、お茶を飲んでくつろぎ始めた同僚に、事情を説明した。
「要するに、おまえらがその島の絶対者である山の神を演じたいってことだな」
「そうだ。それで、ベリアルの召喚者の関心を引きつつ、島民どもを洗脳して殺し合いをうながすような演説の草案を一緒に考えてもらいたい」
「まあ、引き受けてもいい。犬って案外暇だからな。夜はちょっとした仕事があるんだが、昼間はすることがない。参考資料として、島民の思想傾向がわかるような物がほしいんだが」
「これが、島に伝わる伝承集。これが、宗教上の規範をまとめた本だ」
カイムは伊達メガネをかけると、本に目を通し始めた。その間二人は、出されたお茶をすすりながら待った。アムドゥシアスは、部屋の壁中に作られた本棚に、所狭しと並んだ品々を眺めながら、「あの年代物の頭蓋骨なんかは、磨けばけっこうすべすべするのに……」などと考えていた。
彼の脳内で、この家の磨けそうなものを、ほぼ磨き終わった頃、ようやく家主が口を開いた。
「……ざっと見ただけだが……山の神……金に対する執念がなかなかすごいな……規範集のほとんどが、節約術と、投資術だぞ……一方、金の使い方は書いてない。島民どもは、貯金をするだけした後、全額子孫に残して死ねってことだ。
そして一番強烈なのが、天国における永遠の豊かさという報酬をちらつかせて、島民の生きる目的を蓄財へと決定的に方向づける、伝承集第一巻『世界の終わり』だ……。
狂信って、本当に怖いな……」
「で、演説は書けそうか」
「ああ、この島の宗教がどんなものであろうと、島民に説くべきことはそんなに変わらない。狂信を上書きするには、それ以上のパッションを与えてやればいい。人間の感情が最も動くのは、自らの命が賭けられた時だ。まずはそれを煽ってやる。ベリアルの召喚者の意向に沿うことでもあるしな。その後、徐々にこちらの論理に引き込む」
「じゃあ、よろしく頼むぞ」
「だが私が書くのは、演説の内容の方向性を示す草案だけだ。実際の原稿は、ベリアル、おまえが書け。それを実際口にするアムドゥシアスは、雰囲気に応じてアドリブをきかせろ。こうして我々三人が関わり、演説の実際の著作者が誰なのか、あえて分からなくすることで、『山の神』という我々の誰でもない虚像を出現させるんだ」
カイムはダテ眼鏡をはずと、犬の耳をつけていることを忘れて、格好つけて足を組んだ。
「安心しろ。この『地獄一の弁論家』が協力するからには、悪魔と召喚者の完璧なハッピーエンドを保証しよう」
アムドゥシアスは、テーブルに置きっぱなしになっていた、家主の読みかけの本を取って、ページを指の腹で繰った。オウィディウスの『恋の技法』である。
「そりゃ心強いな……ところで、おまえの方はどうなんだ。召喚者は、犬にまでなった、おまえの気持ちを分かってくれているのか」
カイムは足を組んだまま、遠い目をした。
「……それは聞かないでくれ……」(注2)
注
2
以下の記述は、この後に本編において省略された、物語の断片である。
カイムの家を出て、この居住区の広場まで来ると、ベリアルは足を止めた。そして前を歩くアムドゥシアスの背中に声をかけた。
「俺はこれから寄るところがあるから、おまえは先に行ってくれ」
「そうか、分かった」
アムドゥシアスが人間の世界へ姿を消したのを確認したベリアルは、広場から伸びる一本の道を辿ってカイムとは別の家に向かった。玄関の戸を叩くと、少女の姿をしたオリアスが姿を現した。
「ベリアル……」
オリアスは、突然現れた友人を、玄関でドアノブを押さえたまましばらく見つめたが、急に我に返ったように顔を伏せた。
「召喚されたんだ……」
「……そう」
「もしよかったらまた……」
「うん……」
オリアスは、顔を伏せたまま、友人を玄関の内側へ入れた。ベリアルの背後で扉が閉まると、彼らは家の中で二人きりになった。少女の姿の悪魔は、友人に悟られないように目を閉じて、一度だけ深呼吸すると、手が震えないように我慢しながら両手を差し出した。ベリアルはそれを自分の両手で握った。
二人はそのまましばらく、目を閉じてじっとしていた。やがてベリアルが先に目を開けて、握っていた手をそっと離した。
「ありがとう……俺は召喚されると、自分で自分をどう抑えていいか、わからなくなる。そういう時に、オリアスの手を握ると落ち着くんだ……」
「うん……」
「じゃあ……」
ドアノブに手をかけたベリアルに、オリアスは急いで声をかけた。
「少しだけ、私の占いに付き合ってくれない?」
「悪いが人に教えられる未来は好きじゃない……」
「……そうよね」
借りのある友人の表情が曇ったのを見たベリアルは、頭をかいた。
「やっぱり……おまえの占いの研究の役に立つなら、観てもらおうかな……」
オリアスの表情が少し明るくなった。
「ありがとう、一番簡単なものだから」
リビングのテーブルを挟んで二人は座った。オリアスは布の包みを解いて、七十八枚一組のタロットカードを出すと、その中から大アルカナと呼ばれる二十二枚を選り分けた。それから、別の布をテーブルに敷き、カードをよく切りながら意識を集中すると、伏せた状態で一枚一枚、等間隔に並べた。準備ができ、促されたベリアルは、これと決めた一枚のカードをめくった。
「『皇帝』……」
「またこれか……いつも俺はこれを引くな」
緊張の解けたベリアルは、小さなため息をついた。
「……他の悪魔もみんないつも同じカードを引くのか」
「ううん……他の友達にこの占いはしたことないの……でも、結果がいつも同じなのはあなただけだわ」
「へえ……よっぽどこいつは俺の運命を縛りたいらしいな」
ベリアルは自分が引いたカードを、ひっくり返しながら眺めた。オリアスはしばらく彼に見とれていたが、やがて彼が帰るそぶりを見せたので、あわてて声を上げた。
「このカードはあなたの運命を表すものではないの。選んだのはあなただけど、カードを引き寄せたのは私だもの」
勢いでそこまで言ってしまってから、彼女は少し間を開けた。
「……これはあなたの占いじゃなくて、私の占いなの」
意味を理解しかねたベリアルが、横目でうかがうと、まっすぐこちらを見ている友人と目が合った。
「この占いの結果は、私があなたをどう思っているかなの」
急に彼女は赤くなり、うつむいて自分の手元に視線を落とした。黒いまつ毛で隠れて、目の表情は見えなかった。
「……そうなのか」
ベリアルは、何か聞こうとしたが質問が思いつかなかった。
ベリアルが帰った後、部屋に一人残ったオリアスは、テーブルの上で一枚ひっくり返った「皇帝」のカードを手に取った。
彼女が使っているトート・タロットにおいて「皇帝」のカードは、征服や支配を意味する。また、錬金術で使う硫黄も象徴している。硫黄の特性は、男性性と熱エネルギーであり、この熱エネルギーは一瞬で激しく燃え上がり、他者を征服し、死をもたらす力である。
オリアスは、目を閉じて深呼吸すると、残ったカードから一枚を選んで引っくり返した。
「女帝」のカードだった。このカードは一見すると「皇帝」の対になっているように見えるが、錬金術上は、塩を象徴している。塩は媒介者に過ぎない。「皇帝」が本当に征服したいのは、女性性の特性をもつ水銀。水銀を象徴するカードは、「女司祭」である。ベリアルの占いの後、オリアスは一度もこのカードを引けたことがなかった。
占い師として、どんな結果も無心で受け入れることを矜持としていた彼女は、しばらく手元のカードを黙って見つめていた。そして気をそらすため、さっきの自分の態度がベリアルに不審に思われなかったか反省した。
しかし、彼はどうとも思わなかっただろうという結論に至ると、我慢できずに少しだけ涙を流した。




