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6.罪④

主人公が見た夢。

ソロモンの指輪によって、人間の世界へ姿を現した悪魔たち。


 私はこの晩、夢を見ました。私が覚えている一番古い記憶の夢です。

 私は静かな洋上で、小さい船の上にいました。薄明るい、日が昇り始めたばかりの頃で、水平線は霧で霞み、海と空の境が消えています。向かう先の遠くには、この島のシルエットが青く浮かんでいました。私はそれを眺めながら、膝に乗せた両親の頭を交互に撫でていました。父も母もすでに天に召されて、残された肉体は硬くなっています。

 私は両親に置いていかれたことを悟っていましたが、あの島に辿りつけば、また会えるのではないかと考えていました。


 しかし、島が近づいてくると、夢は現実の記憶を離れ始めました。近づくにつれ、島全体が何だか光っているのです。暖かくて、私を包んでくれるような光です。島からは黒い悪霊が昇り、私に不必要なものが空へ消えていくのがわかりました。遠くと耳の側の両方から、何かを祝福しているような、人々の高い歌声が聞こえます。

 私は、何かに導かれるように、跪きました。目を閉じた瞬間、冷たい風が頬に触れ、背中に悪寒が走りました。再び目を開けると、目の前に島全体を包む赤い山火事が、天に向かって黒い煙を吐き、いつの間にか、歌声は島民の高い悲鳴に変わっていました。

 

 真夜中に飛び起きると、ひどい動悸がして、手が震えています。枕元に何かがある気配を感じました。蝋燭をつけると、一枚の半紙と、赤い宝石が埋まった小さな金色の輪がありました。内側には私の名前が彫られています。

 半紙には「左手の薬指につけること」と、丁寧な字で書かれていました。

 私は正座をして言われた通り輪を指に通し、蝋燭に照らされて夢の火事のように輝く宝石を見つめていました。



 三度、五臓六腑(地獄)。

 中央の広場にある鐘楼が、百年以上ぶりに鳴った。この鐘は、ソロモンの指輪の所有者が現れ、チーム全員が召喚された際に鳴る仕組みになっている。

 天蓋付きのベッドから出たアンドレアルフスは、菊の透彫の入った鼈甲のかんざしで緑の髪をまとめると、髪と同じ色のガウンを羽織って自宅を出て、広場に向かった。

 広場には、すでにアムドゥシアスとデカラビアがいた。

「とりあえず良かったわね。無事に指輪が受け取ってもらえて……ベリアルのところへ急ぎましょう」

 ここで読者の方に、ソロモンの指輪について説明させていただきたい。この指輪は、自分の名前を彫った状態で、人間が指に差すと、該当チームの悪魔十二柱を自由に使役できるようになる、という代物である。そして悪魔は、冒頭のベリアルのように、指輪無しで自分だけを召喚してくれる人間が現れるか、自分のチームの指輪の持ち主が現れるかしないと、基本的には人間の世界に行くことはできない。

 三人は、ベリアルが召喚された日本の離島に姿を現し、待ち合わせ場所の山の頂上へ、光速で移動した。しかし星空の下、目的地に到着しても、夜目の視力を猫並にしたアンドレアルフスの目に、ベリアルの姿は見えなかった。

「あの子は、どこいったのよ」

「変な立札の後ろで、うずくまってます」

 デカラビアは、親指で背後の友人を指した。

「彼女の寝室に忍び込んで指輪を置いてきてから、受け取ってもらえた証の鐘楼が鳴るか心配で、ずっとあそこで震えてたんだろうな。まー、こんなこともあろうかと、普段からあいつに俺がペン習字を指導していたことが、今回の勝因の八割だな」

 アムドゥシアスは伊達メガネを片手で触りつつ胸を反らした。

 孔雀の悪魔は、ベリアルのところに行き、彼の金色の髪に手を置いた。

「ベリアル、大丈夫よ。ちゃんと受け取ってもらえたわ」

 友人から朗報を受けたベリアルは、震えるのをやめ、深くため息をついた。そしてしゃがんだまま、膝の上に顔をうずめた。

「寝室に忍び込んだ時、我慢できずに、彼女のほっぺたを少し触ってしまった。できることなら、あのまま連れ去りたかった」

「まあ待て、あせるな、あせるな」

 アムドゥシアスも彼のそばに立ち、友人の金髪を軽くたたいた。

 孔雀の悪魔は、その場にいる面々を見渡した。

「で、誰がこの計画に参加するの」

「とりあえず今ここいるやつだろう。他は別の人間にも召喚されてて忙しいからな。おまえと俺……」

「僕も参加しますからね」

 デカラビアは、二人に釘を差した。

「あと、ダンタリオンだな」

 アンドレは辺りを見渡した。

「ダンタリオン? どこにいるのよ」

 アムドゥシアスは、まだ丸くなっている、ベリアルの肩を這っていた蟻を指でつまんだ。

「ここにいる」

「……それ、本当にダンタリオンなの?」

 ダンタリオンは、常に色んなものに変身している悪魔である。そして彼は、変身しているからには、何があろうと、誰に話しかけられようと、それに完璧になりきることを信条としている。その結果、周囲には今現在、どれがダンタリオンであるか、推測でしかわからない。

「日本にこんな風に腹が白い毛で覆われているアリは自生していない。だからこれに決まってる。彼は今、暇なはずだから、参加したがるに決まっているし、参加するんだったら、この辺りにはいるはずだし」(注1)

「……この島って、本国とは生態系が違うんじゃなかったでしたっけ……」

「いやこいつだろう。他に候補がいないじゃないか」

「もう面倒だし、これがダンタリオンってことでいいんじゃないですか」

 デカラビアは、一度姿を消し、地獄の自宅からピーナツバターの空き瓶を取ってくると、その蟻を入れた。

「はー間に合った…」

 皆の後ろで、新しい声がした。後ろを振り返ると、セーレが、屈んで膝に手をついて息を切らせている。彼は少しやつれた男性の悪魔で、何でも瞬間移動をさせるのを得意としている。

「皆さんの話を聞いて、鐘が鳴ったからすぐに起きようと思ったんですけど、七分袖のシャツに着替えるか、八分袖のシャツにするか悩んじゃって、中々布団から出られなかったんです」

「悩むほど違わないだろ」

「悩んだり焦ったりしたら、胃が痛くなっちゃたんで、アムドゥシアスさん、いつものやつお願いします」

 そう言ってセーレは紙やすりを、彼に渡した。

「しょうがないなあ」

 受け取った一角獣は、それを自分の頭の角に巻き付け屈んだ。そして削った粉を、セーレが広げた半紙の上に落とした。彼の角は、万能薬として知られている。セーレは内蔵が弱い。患者はもらった粉を、半紙の折り目から口の中に流し込んだ。

「……どうだ」

「ええ、薬としては効いてるんでしょうけど、今自分の内臓を伝っているのは、あなたの一部なんだ、と思うとムカムカします」

「もうやらんぞ」

「で、リーダーどうするの」

 皆んなが振り返ると、ベリアルはいつの間にか立ち上がっていた。しかし顔は俯いたままで、足元に置いた自分の刀を見つめていた。

「皆んな、今回もありがとう。とりあえず、アンドレは俺たちが住む家の設計図を書いてほしい。セーレも一緒について行って、材木を用意してくれ」

「わかったわ」

「了解でーす」

「僕も行きます。家のライトアップを考えなきゃいけませんから」

 デカラビアは、さりげなくつけ加えた。

「ライトアップする必要あります?」

「……まあ、いいわよ」

「じゃあ、俺とベリアルは『山の神』とやらの資料を集めてから、五臓六腑(地獄)に戻って、神の演説原稿の草案をあいつに依頼しに行くか」

 ユニコーンの提案に、ベリアルは思わず唸り声を上げたが、拒否はしなかった。

「……ああ……おまえらがあいつのところに行った方がいいって思うんなら、しかたがない、それに従う」






1 「いやこいつだろう。他に候補がいないじゃないか。いるんだったら、この辺りにはいるはずだし」


 アムドゥシアスのこの推測は間違いだった。この時、本物のダンタリオンはデカラビアの左膝の裏にダニとして張り付き、皆んなが騙されたことにほくそ笑んでいた。その後、そっと離れて海岸へ移動し、ナマコに姿を変えた。そこから鋭敏にした感覚で、みんなの話を聞き、自分に対する指示に従っていたのである。

 しかしこの事実は、空き瓶の蟻が本当にダンタリオンだった場合と比して、物語にいささかも影響を与えなかった。



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