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4.世界④

クロセルとカイムの会話。

悪魔と藍のすれ違い。

クロセルにかけられた呪いについて。




 翌日の休憩時間、五臓六腑の自宅で、着替えや部屋の換気等の私用を済ませたクロセルは、散歩がてら広場に向かった。すると、やはり休憩を取りに帰った友人が姿を現したので、手を挙げて軽く挨拶した。

「カイムさん、お疲れ様です……あなたの召喚者……ジュリエットさんでしたっけ……彼女の病気、どうだったんですか」

「だめだ……もう彼女の命は、一年も持たない」

 カイムは、肩を落としてつぶやいた。

「調べたんですか」

「彼女の主治医の家に忍び込んで、カルテを拝借した。こっちに戻った時に、医術に詳しい悪魔、全員に見せたが、今の人間の医術でも、悪魔の医術でも治療法はないそうだ……彼女の病気は細胞の変質が原因だ。悪魔の呪いも、ミクロン単位の事象には干渉できないしな……」

「……彼女の様子はどうなんですか……」

「……毎日泣いてる……泣いてない時はうなされている。

 自分の死と向き合う時、人間は誰でも孤独だ。私は、彼女のその孤独に寄り添いたい。彼女の生は、世界の中の何よりも貴いってことを知ってほしいんだ。そして、できれば残りの時間を笑って過ごしてほしいし、亡くなる時には自分の人生は幸せだったって思ってほしい」

「……これからどうするんですか」

「……今のところ、どうしようもない。私に許されているのは、そばにいることだけだ。それだって、彼女にとっては迷惑だろうがな……おまえの方はどうなんだ」

「こっちは、助かる方法が山ほどあるのに、死にたがってます」

「世の中うまくいかんな……」

「ええ……」



 クロセルが来てから、私の生活のための仕事は楽になりました。彼は、自分から手を出すことはあまりありませんでしたが、頼めば割と何でも手伝ってくれました。

 私は、木の枝が入ったカゴを彼から受け取りました。

「悪魔のあなたに山で柴刈りばかり、頼んじゃって悪いわね」

「……いいえ、何でか慣れてるんで大丈夫です。終わったんで、川で洗濯してきます」

「ありがとう……」

「そろそろ、こんな健気に働く幻覚は無いって、気づいてくれましたか」

「……よく分からないけど、おとぎ話感は強くなった……」

「結局、架空じゃないですか」

 ため息をついている悪魔に、洗濯物のかごを渡そうとして、お互いの手が触れました。私は顔が赤くなったのを気づかれないように下を向いて、慌てて手を引っ込めました。

「では、行ってきます」

 悪魔をそっと見上げると、しっかりと目が合いました。彼は勝ち誇ったように尖った犬歯の先を少し見せて微笑んでから、カゴを持って川に向かいました。私は恥ずかしいやら悔しいやらで、彼の背中に向かって少し罵倒しました。

 


「いやー今日は頑張ったわー。ベッドの上で寝かせてもらえるくらい頑張ったわー」

「他の部屋にもベッドはたくさんあるから、お好きにどうぞ」

「いや、あなたの横がいいです」

「だから、ダメだって言ってるでしょう」

「ちゃんと、ツノは引っ込めておきますから」

「ツノなんか、出てても引っ込めててもどっちだっていいわよ」

 寝床に入って、いつものやりとりが終わった後、私は彼の誘いを承諾してしまったら、どうなるんだろうと考えました。私は彼の手の感触を思い出しました。

 しかし、あと一年以内に死ぬことが分かっているのに、幻覚かもしれない魔物と恋をするというのは、どう考えてもまともではありません。私は、この前の悪魔の殺し文句を思い出しました。彼が実在するとしたら、より一層、私は人としての道を外すことになるでしょう。この誘惑に屈するということは、私はもう他の人と同じ意味では人間ではなくなるということです。

 そもそも彼は、私のことをどう思っているのでしょうか。私のことを好きなようなことを言っていますが、それでいて一線引いているような気もするのです。手が触れた時の笑顔だって、後になって考えれば、私の気持ちを分かった上で、私にこれ以上踏み込ませないための牽制のようでした。毎晩のように「ベッドに上がらせてほしい」と言うのも、私が結局は承諾しないのを分かっていて、あえて言っているのでしょう。

 一方で、私に見せる気遣いと、口説くようなセリフ。少なくとも彼は、私を幸せにしたい、とは言っていました。

 私は暗闇の中、声をかけました。

「……クロセル、私のお願い聞いてくれる」

 暗闇の中、返事が返ってきました。

「私は一応、そのためにここへ来ました」

「私が死ぬ時、泣いてくれる?」

「それは基本的に無理です」

 食い気味に、答えが返ってきました。

 私は思わず、その場で身を起こしました。

「なんでよ」

「私、あんまり泣かないタチなんですよね」

「クロセルは、私以外の人に呼び出されたことはある?」

「ええ、何度も呼び出されています」

「その人たちが亡くなっても泣かなかったの」

「ええ。だって、人って必ず死ぬじゃないですか。最初から分かりきったことが起こったからって、一々感情的になるのは無駄です。現在フランスにいる例の変態なんて、召喚者が亡くなって帰ってくるたびに、ピーピー泣いてますけど、そんな暇あったら広場の排水溝の掃除でもしてくれればいいのにって毎回思ってます」

「……あなたって冷たいのね……」

「冷たいっていうか……流れに逆らわず、何ものにも固執しないという生き方をしているだけです

。おかげさまで感情の波も少なくてすみ、楽に生きられてます」

「……つまりあなたにとって私は、固執するに値しないってこと?」

「……現時点で、あなたは世界で一番大事なものであることには、間違いないですけど、どんなに大事にしてもいつかは自分の手からこぼれ落ちる、という諦めもあるということです。

 ところで、私とここから逃げ出し、ひいては一緒に暮らして一緒に寝る件ですが……」

「まだそんなこと言ってるの。あなたとは逃げません。私はもうすぐ死ぬから、あなたはさっさと次の人のところに行ってちょうだい」

「あらー、冷たい……」



 翌日の休憩時間、五臓六腑に帰ったクロセルが広場に行くと、女性の姿をした悪魔であるゴモリーがこちらに向かって手を振っている。どうやら、彼が来るのを待っていたようである。

「クロセル、昨日、レヴィアタンお師匠が私のところに来たの……君のこと、すごく怒ってた……」

 黒い悪魔は、ため息をついた。

「……そうですか……あなたは、まだレヴィアタンの声が聞こえるんですか……声だけで姿は見えないんですよね」

「うん……そして私が呼びかけても返事はくれない……一人でしゃべって、消えるだけ……私が一人でいる時に、急にどこからともなく声が聞こえるの……毎回違う声のような気がするんだけど、いつも君のことばかり話しているから、彼女なんだろうなあって。もしかしたら毎回、別の人なのかもしれない……」

「それで毎回、私の悪口を言ってるわけですか……」

「悪口じゃないよ……お師匠は君のことがすごく好きなんだよ……好きすぎて君を誰にも渡したくないんだよ……」

「……それで、私が召喚者と仲良くなるたびに、妨害する呪いをかけたって宣言してくるわけですか。そして、こっちには本当に呪いがかかるだけで、呪った本人の声が全然聞こえないのは何なんですかね」

「わからない……今回も怒ってるのは、君が藍さんをすごく好きだからって言ってた……」

 クロセルは、うつむいたまま返事をしなかった。

「……クロセルは、レヴィアタンお師匠のこと、少しでも覚えてる?」

「全く、覚えてないです。つい最近フォルカスが、四千年前にカイムさんの古い日記を読んだことを思い出すまで、自分に師匠がいたことすら知らなかったです……自分をずっとストーキングしている姿の見えない謎の存在の名が、昔の自分の師匠の名と同じだったって知った時は軽い衝撃でした」

「お師匠、いつもどこにいるんだろう……」

「さあ……」

「ずっと苦しそうなの……『こんな夢見たくないのに……』とか『クロセル、あなたは私の夢なのよ……どうして言うこと聞かないの』とか……どういうことだろう……」

「さあ……」

「それで今回もこれ以上、君が藍さんに近づいたら、また呪いをかけるって言ってた……」

「……そうですか……私としては、もう呪いをかけられるのが習慣化してて、発動すると逆にホッとするんですよね……これ以上、感情的に相手を求めるのはよろしくないって、ストップをかけてもらったような……そう考えると、レヴィアタンとやらは、まあ、私の師匠に相応しいってことになりますかね……」

 ゴモリーはしばらく考えた後、俯いたままの友人につぶやいた。

「……君、本当にそう思ってるの……君が召喚されるたびに、お師匠、叫ぶの。『どうして、クロセルは行っちゃうのよ。私は必死にあらゆる手を尽くしてるのに』って……彼女、本当は君が召喚されること自体を止めたいんだよ……でも君はお師匠を振り切って、召喚者さんのところに行ってしまう……こっちが君の本心じゃないかって、私は思うんだけど……」

「……どうですかねえ」

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