1.秘密⑩
ジュリエットの夢の話と、召喚者が悪魔に託することができる「最後の願い」
翌日から数日間、私は久しぶりに熱を出しました。途切れる意識の中、暗闇をさまよっていると、私の恋人を見つけました。暗くてよく分かりませんが、お城か教会のようです。高い天井にはお馴染みのアラベスク模様が、鮮やかなステンドグラスになって、外から刺す白い光を全面に受けていました。
その光の下、私の恋人が両膝を床につけて這いつくばっていました。最初は、彼が祈っているのだと思いました。しかし、くぐもったうめき声が聞こえたので、泣いているのだと分かりました。よく見ると、足元は血液が水溜りを作っています。彼の指先には、臓器が二つ。おそらく心臓と子宮です。あれは私のだと分かりました。
やがて悪魔ゆっくり身を起こすと、臓器を両手ですくい、遠くを見るような表情でそれをステンドグラスに向かってかかげるように持ち上げました。しらばらく静止した後、彼は自分の顔の近くまで手を下ろし、牙のような犬歯をむき出しにして大きく口を開けると、二つの臓器を口に入れました。
音を立てながらそれを食べてしまうと、彼はゆっくりこちらを振り向きました。
その後私はとてもうなされて、誰かに、耳を噛みちぎられたり、首筋や脇腹に噛み付かれたり、足先を舐められたり、色んなことをされたような気がします。
しかし意識の覆いからようやく解放されて、いつもの部屋に戻ってくると、何をされたのかあまりちゃんと思い出せません。身を起こそうとすると、恋人が飛んできて私に手を貸し、タオルで顔を拭いてくれました。
「ねえ、あなた、私の夢に来てくれた?」
私は息を切らせながら聞きました。
「残念ながら私には、そんな特殊能力はない」
「私、あなたの夢を見てたの」
「それは光栄だな」
テーブルの水さしを取りに行った彼の背中に声をかけました。
「私たちついにお城を手に入れたのよ。二人きりだったわ」
私はグラスの水を受け取りました。
「……二人で何してたんだ?」
「最低だけど、最高なことよ」
「……そうか……」
おそらく何か勘違いした彼は、顔を赤くし、うかがうように私を一瞬見た後、誤魔化すように慌てて真っ赤なリンゴを私に見せました。
「食べるか? お前が寝ている間に、いつもここへ来る女の人が置いて行ったんだ」
「おいしそう」
彼は立ったまま枕元の引き出しの上にお皿を置いて、ナイフで皮を剥き始めました。私は黙ってそれを眺めながら、いつの間にか自分をリンゴに見立てていました。
その日の夜、久しぶりに二人並んでベッドに入りました。私たちは寝転んで手を繋いだまま、天井の幾何学模様を見上げました。シャンデリアを囲む複雑な曲線は、周辺の光の当たらないところから中心の輝きに向かって吸い込まれているように見えました。
「あれ、まるで宗教画みたいじゃない。なんだか、厳かな気分だわ」
「横で寝てるのは、寝間着の悪魔だがな」
「いいのよ。だって、ここは私たちだけの教会なんだから。他の人は、入ってこられないのよ。神様から追い出されて、地獄の帝王を倒した私たちが、地獄に立てた教会なのよ。でも、地獄ってことは、あなたのお友達は、周りにいるのかもしれないわね」
「お友達って、他の悪魔ってことか。ならこの教会は、地獄の底の底のもう、悪魔ですら近寄らないようなところに建ってるってことにしてくれないか。あいつらには申し訳ないが、完全にジュリエットと二人きりになりたいんだ……」
「……そこは任せるけど」
私は、恋人の手を強く握りました。
「私、もう人生にほとんど悔いはないわ。この教会に来れたんだもの。いくら長生きしたって、あなたとここに辿り着けない人生なんて嫌よ」
私の悪魔は身を起こしてしばらく考えた後、私の手を握り返しました。
「……ジュリエット……お前に考えてもらわなければならないことがある……悪魔は、召喚者の死とともに、人間が住む世界から消えなければならない。しかし、召喚者は、自分の死後、我々にやってほしいことを一つだけ、最後のお願いとして託すことができる……なんでもいいんだ……嫌なやつに復讐してほしいでも……誰かに何かを伝えてほしいでも……」
「……今更、私がそんなことお願いすると思う? 世界を捨てろと言ったのはあなたよ」
「……そうだな」
「でも……ありがとう……考えておくわ」
「因みに最後のお願いは多少無理がきく。私の普段の能力を超えたことでも、叶えられる」
「わかった」
この頃から私の病状は、目に見えて悪化していきました。恋人と添い寝する時間は減り、孤独にうなされる時間が増えていきました。しかし、ようやく夢に落ちて苦しみから解放されると、孤独のはずの暗闇に、私を食べてしまって、やっぱり一人ぼっちになった悪魔の姿が見えました。そして、彼のお腹にいる私の姿も見えました。彼の中の私は、常に形を変えていて、元の私よりもちょっと幼かったり、逆に大人だったり、ずいぶん美人だったりしました。また、元の私にとても近く見える時もありました。きっとこれから、それらの像は、悪魔の消化液によってさらに変形していくのでしょう。
一方で、彼の内臓がもがいて本当に消化したがっているのは、さまざまな像の内側に隠されている私の魂です。しかし、それを完全に消化することはできないでしょう。私の魂は様々な像をまとったまま、永遠に彼の内蔵にとどまり、彼を刺激し続けるのです。
私の魂は、彼の秘められた足掻きを見守りましょう。遠慮がちに、時には衝動的に、私ただ一人を求めてくれる、この永続する足掻きこそが、彼の魂それ自体だと思うからです。
もはや、私の願いは一つだけです。恋人に自分の魂を捧げ続けることで、彼の魂の保証人になること、これしかありません。




