人皮剥ぎ職人シーニュ
「おいシーニュ。またやってるのか」
親方の怒声に対して、俺はいつものように舌打ちで答える。
「うるせぇな。ノルマは終わってんだからいいだろうがジジイ」
「なんだその口の聞き方は……」
昔なら、げんこつが飛んできていただろうが、今やもう俺の方が体格がよく、親方は俺にもう強く当たれなくなっている。説教も、昔よりもくたびれていて、懇願のような色彩を帯びてきた。
「お前も、もう少し次の工房長としての自覚をだな……」
「ひとりしかいねぇ工房の工房長に何の権威があんだよ」
吐き捨てるようにそう言って、俺は使い道のない皮を接いで作ったボールの感触を確かめる。これを、近所のガキどもに安値で売る。ちょっとした趣味だ。
「はぁ……腕はいいんだがな」
親方はそう言って杖を突きながら先に工房から出ていった。
塔の入り口には、時折死体が並べられている。使えるものかどうかは、俺がいちいち出向いて判断しなければならない。使えるなら、持ち帰り、使えないなら、墓守が持っていき、俺は手ぶらで帰る。
まだ処理しきれているブツが残っているので、今日は死体がないか、あるいは使えない死体しかなければいい、と俺は思いながら塔に出向いた。
「シーニュか。今日は大物だぞ」
ギルドの記録係が、その下品なにやけづらでそう言った。
「へぇ。珍しいな」
「第六層到達者の、エドヴァルド・ディーゲルだ。死因は……呪いか何かの類だろう」
「で、持ち帰ったのは誰だ?」
「それがな、噂の『あの女』だ」
「妖精蝶?」
「そいつ以外に誰がいる?」
俺は黙ってその死体に近付いた。目立った損傷はなし。首に赤い痣がついているが、これが原因で死亡したようには見受けられない。全身には、様々な身体強化の呪印が掘られていて、素人でも一目で「価値の高い死体」であることが見て取れる。それは同時に「面倒で複雑な作業」を、行わなくてはならないということでもある。また、その収入のほとんども、ギルドに持ってかれる。冒険者の死体はギルドの所有であり、皮剥ぎ職人はあくまで「ギルドから依頼されて皮を剥いでいる」ため、その取り分は、いつも「皮剥ぎ職人が不自由なく生活できる程度」でしかない。
もっとも、目の前にいる記録係に、そんな経済的事情を想像できる頭があるわけでもなく、勝手に俺が喜ぶだろうと思っているのだが。
「さて、と」
面倒なことは、さっさと片付けてしまうにかぎる。
作業をはじめて、すぐに俺は異常に気づいた。確かに死体の表面にはほとんど傷がない。しかし、その内側は、ずたずたに切り裂かれた後と、魔力による細胞損傷が多くみられた。また、この男の心臓は特殊な魔道具になっており、厄介なことに、それはまだ「生きて」いた。
工房の入り口が叩かれ、俺は「入れ!」と叫んだ。
「忘れ物がある」
入ってきた男は、そう言った。一瞬俺は、その無礼なやつが誰かわからなかったが、死体と見比べたあと、その正体を察知した。この男は、リルトの従者だ。噂によると、この男はリルトに妻を屠られ、居場所を失ったから、リルトに付き従っているという。
仇に媚びへつらってまで、生きながらえるというのはどんな気持ちなんだろう、と思いながらも、死体をいじってまで生きながらえる自分がそれを言うのはおかしな話だ、と思ってその男の顔を見ながら少し笑って見せた。
「その心臓を寄こせ」
その、俺より一回り低い身長の男は、有無を言わさぬ口調でそう言った。その目は赤く光っている。
「わりぃが、この死体は俺のものじゃねぇ。ギルドのもんだ。だからこの心臓をもしあんたが持っていけば、あんたはギルドのものを勝手に持っていった盗人ってことになっちまうし、俺はそれに加担した共犯者になっちまう。だからこの心臓がほしいなら、くそめんどくせぇ書類を書いて、ギルドと取引するしかねぇ。わかったなら帰んな」
そう言って、俺は作業に戻った。男は黙って工房をあとにした。
次の日、剥いだ皮と男の心臓、持っていた価値のありそうなものをまとめてギルドに持っていく際中、リルトとすれ違った。燃えるような赤い髪。浅黒い肌。筋肉質だがしなやかな肉体。いつ見ても、美しい女だ、と思う。同時に、視界に入れるだけで体が逃げ出したくなるような危険な猛獣だ、とも思う。あんなのと毎日一緒にいるあの男は、間違いなくまともではないな、と俺は思った。
次の日、工房の前に、俺がギルドに運んだはずのものがそっくりそのまま置いてあった。ただ、心臓だけが抜き取られており、何かの手違いかと思ってギルドに連絡したところ、ギルドはある名の明かせぬ買い手があの日俺が届けた者をそっくりそのまま相場より高額で買い取っていき、もしそれが工房にあったとしても、その所有者が俺に譲渡したという扱いになると言った。
おかしな幸運もあったものだと思いながら、そうして得た「臨時収入」で、俺は工房を改装し、それを機に親方は引退して、正式にこの工房が俺のものになった。ただ、引退した親方はやることがないのか、毎日俺の工房に来ては、俺の仕事にケチをつけてくる。もっとも、その知見から学ぶものは少ないので、追い出そうという気にはならないけれど。