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チャプター2. バリ・ハイ〜Bali•Hai-③

海とピロは宿泊先のホテルへ帰る途中、小さな集落のバラックの家の前に車を停めた。

「Rahajeng siang(こんにちは)」そう言って、粗末な戸を開けると、縮毛の目のクリッとした痩せた小さい男の子が中から飛び出してきてピロの足に抱きついた。かたわらに男の子に似ている黒髪を肩まで伸ばした大きな目の少女がはにかんだ笑みを浮かべて立っていた。二人は兄弟で、姉はWayan(ワヤン)、弟はKadek(カデック)と言った。

「ワヤン、カデック元気だった?」

「うん、元気だよ。母ちゃんは仕事行っちゃった。」

「ああ、いいんだ。今日はワヤンとカデックにお菓子持ってきただけだから。」と言って、ピロは大きな紙袋を部屋の中に置いた。

「いつもすまないね。」奥から兄弟の祖母がお礼を言った。

「いいえ、海の帰りに寄っただけなんで。」“ウミ(Laut)“と言う言葉を聞いた時に彼女の顔が少しだけ曇った。

 3年前の事故で彼女は1人息子のPutu(プトゥ)を失くしていた。それがワヤンとカデックの父親で、まさにその事故でピロも右足を負傷したのだった。

 その事故の当日は、タイフーンの影響で波のサイズがダブルを超える”Big Day“だった。年に一回あるかないかの大きなショアブレイクが起きていた。そのかわり、非常に大きなカレントも同時に発生してプロサーファーでも尻込みするような危険な海だった。

 プトゥはローカルのサーフチャンピオンで、この大波を待ち望んでいた。ピロもまた、WQSの大会で上位を狙っていたのでこの滅多にお目にかかれない大波に挑戦したかった。他にも10人くらいのサーファーがいたが、プトゥとピロの2人の技術は抜きん出ていた。

 先に波をとらえたのはピロだった。素早いパドリングから身を起こし、アップスアンドダウンスでスピードを上げる。ピロから離れた位置にいたプトゥは、大波の影でピロが波に乗ったのが見えなかった。両者は互いにスピードを上げ、夢中で技を繰り出した。ピロがいち早くプトゥに気づき、ボードから降りようとしたが遅かった。2人は衝突し、プトゥのボードは波のはるか上に飛んでいき、ピロのボードはまっ二つに折れてしまった。すぐに救出の船やライフセーバーが駆けつけ、ピロの右足は膝から下が逆向きになった状態まま浜に引き上げられたが意識を失っていた。一方プトゥは早いカレントに流されて行方不明になってしまった。

 ピロの意識が戻ったのは、それから3日後デンパサールの病院のベッドの上だった。身体中包帯でぐるぐる巻きにされ、自分の体がどこにあるのか、自分が生きているのかさえわからなかった。一方プトゥは、翌日20km先の沖合いで遺体で発見された。昨日の大波が嘘だったような凪いだ海原にポツンと浮かんでいたそうだ。

 ピロが入院してから1週間が過ぎた頃、1人の女性が訪ねてきた。Iluh(イルウ)というプトゥの奥さんだった。長い黒髪を後ろで一つに結んで、大きな目は少し赤く腫れていたが、瞳の奥に強い光を持ったキレイな顔立ちの小柄な女性だった。まだ小さな赤ちゃんを胸に抱き、不安そうな顔つきの女の子の手を引いていた。

 彼女はピロの体の状態を案じ、夫の過ちを必死に詫びた。ピロはこの時初めて事故の相手が亡くなったことを知って、いたたまれない気持ちになった。それから彼女は、毎週末病院を訪ねてくれた。時には果物を持って、またある時は自分で焼いたお菓子を持って。

後から看護師に聞いたところ、イルウは子供2人を乗せてバイクでこの病院まで2時間近くかけて来ているということだった。

もう来なくていいからと何度言っても、彼女は大丈夫だと言って気丈に振る舞うのだった。

ピロはこんな女性から笑顔を奪ってしまった自分が許せなかった。

 半年後、ピロの退院の日、タクシーでサヌールのコンドミニアムに移動することになった。サヌールの病院にイルウが看護師として勤務していて、リハビリ治療の手配をしてくれた。半年の間に子供達もすっかりピロに懐いてしまった。下のカデックなど、最初に発した言葉が「ピロ」だったとイルウから聞かされた。

ピロはイルウの優しさ、大らかさに惹かれ始めていた。しかし、プトゥのことを考えると自分の心に鍵をかけてしまうのだった。


 ピロと海は明後日から予選が始まるという緊張感と高揚感を徐々に感じ始めていた。ホテルに一旦戻り、少し睡眠を取った。熟睡していた海のスマホが鳴って、また母親の雪乃からだろうと思ったら、珍しく弟の陸からだった。

「どうだ、ドイッチュランドは?金髪のカワイ子ちゃんでも知り合いになったか?あっイケネ、まだハートブレイク中だったっけ?」

「バカ言うな!ちゃんとドイツがいかにして強固な経済基盤を築き上げ、発展・維持させているかを学びに来たんだぜ!」

「はい、わかったわかった。元気そうで良かったよ。」

「兄貴の方はどうだ?今年はやれそうか?」

「まあオレの方は、まず決勝に残ることが目標だからな。」

「ネットから応援してるよ!」

陸とは年子で、小さい頃から何をするのも一緒だった。どこへ行くのも海の後を着いてきた。たまに意地悪して、木の影に隠れたりすると、地球の終わりのようにビエンビエン泣いた。そんな陸が、自分からドイツに留学したいと言い出した。

兄貴風吹かせていたが、案外弟の方が芯が強いのかもしれないと海は思った。性格も顔もあまり似てないが、アルコールが好きなところだけ似ていた、親父は一滴も飲めないというのに。


 服を着て、夕食に行こうとピロの部屋のドアを叩いた。ピロはいつになく静かで、考えごとをしているようだった。すっかり顔馴染みになった地元のレストランのいつもの席に着いた。海はいつもの”Bali Hai“というインドネシアのビールを頼んだ。”Bali Hai”は「南太平洋」というミュージカル映画の中の有名な曲で、海もミュージカル好きの母のDVDコレクションの中にあって、何度か見させられたのでそのメロディーは覚えている。

 オーストラリア人ウェイターのランディが緑色のよく冷えたビンの栓を開けたまま持ってきて、テーブルの上に揚げ塩ピーナッツと一緒にドンと置いた。黄金色の液体が喉を通り荒い泡が唇につく、軽い飲み心地だが穀物の香りが鼻に抜けて美味い。また、この揚げ塩ピーナッツがビールによく合う。つかさず2本目とピーナッツを注文した。料理も定番のサテリリット(肉の串焼き)とナシアヤム(焼き飯)を頼んだ。これもまた辛くて、ビールが進む。

ピロもいつもより飲むペースが速く、食事が終わるころにはトイレに行く足取りも怪しくなってきた。会計を済ませ、水を一杯口に含んだとき、ピロが急に真顔になって言った。

「海、オレこの大会で優勝する!絶対優勝してやる!優勝して、イルウに結婚を申し込む!」

海はあまりに突然過ぎて、あっけに取られた。

「プトゥのことは関係ねえ、償いとか憐れみなんかじゃない。オレはイルウが心の底から好きなんだ!ワヤンやカデックを愛してるんだ!」


海は肩を震わせて泣いている男の肩を抱きしめた。

ピロのこういうところが、大好きなんだ。

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