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チャプター1.気まぐれなお天気〜Aprilwetter-③

2杯目のビールが運ばれてきて、広場を行き交う人達を何となく眺めていると母親の雪乃からメールが入っていた。

ちゃんと毎日連絡しなさいとか、ドイツは寒いから風邪ひかないようにとか、ソーセージとポテトばかりじゃなくちゃんと栄養のあるもの食べなさいとか、落ちついたら学生時代の自分の友人の家に挨拶に行くようにとか、とにかくいつもの長いメールだったから、陸はそのメールをサッと流し読みした。

 外が少し暗くなってきて、肌寒くなってきた。陸はホテルから、海のお古のホリスターのグレーのパーカーとユニクロのジーンズにネイビ-のニューバランスの996という逗子の自宅にいた頃と同じような恰好で飛び出してきたので、トイレに行きたくなってきた。赤毛のウェートレスを探したが4、5名で入ってきた中国人の接客で忙しそうだったので、席を立って店の奥まで行き、カウンターのカイゼル髭に尋ねた。

「Where is the restroom?(トイレはどこですか?)」カイゼル髭はグラスを洗っていたので、アゴでカウンターの反対側斜め奥の地下へ降りていく階段の方を指した。陸はうなずいてお礼して、階段を降りた。

 タバコと避妊具を売ってる横長の自動販売機の奥「Herrn (紳士)」と書かれた年季に入った重い扉を開け用を足していると、カウンターに座っていた白いスーツの男がオペラ蝶々夫人のアリアの一節をイタリア語で歌いながら入ってきた。何故それがオペラ蝶々夫人だとわかったかというと、音楽大学出身の母が海と陸がまだ小さい頃からリビングのオーディオから何度も流れてきた、内容はよく知らないがその旋律はよく覚えていた。

 トイレには2人の他に誰もいなかったが、白スーツは陸の隣の便器に並んで、陸の方を向いてニコリと笑った、歯並びはキレイだったがスーツほど白くはなかった。そして、おもむろに陸の尻を撫でた。

「Süßer Junge, Spielst du mit?(カワイイ子、遊ばない?)」

陸は何が起こったかわからなかったが、危険なことは察知して、内田篤人ばりの速さで逃げ出した。おかげで最後の階段につまずいて、前に一回転して頭をカウンターのストゥールに思いきりぶつけてしまった。

「イテーッ!」思わず日本語で、叫んだ。


「アンタ、日本人?」赤い髪のウェートレスが目の前にいた。

「ちょっとダサいから中国人かと思ったけど、ホリスターにパーカー着てるし、やっぱ日本人だったか!」

後ろを振り向くと、白スーツの男がニヤニヤ笑っていた。

「Shone wieder! Peter! ( また、アンタやったね!ペーター!)」赤髪は白スーツをにらんで、声を荒げた。白スーツは悪びれもせずカウンターの席に戻ると、何もなかったかのように隣の常連客と話しはじめた。

「ドイツだけじゃなくヨーロッパには、ああいうヤツらがいっぱいいるから気をつけな!」そう言って、手を上げていたテラス客のテーブルへ行ってしまった。遅ればせながら今になって、赤髪の彼女が日本語を話したことに気づいた。


 席に戻ると、外はいつしか雨が降っていた。辺りも暗くなり、小塔や広場を囲んでいる建物に灯りがともり石畳に反射して、とてもキレイだった。

残ったビールに口をつけながら、何故か笑っている自分に気づいた。この前笑ったのはいつだったろうか?陸は異国のちょっとした出来事に、何が起こるかわからない明日に自分が胸震わせていることに気づかされた。


 陸は最後にフランクフルトの名産と言われる”Äpfel Wein (りんご酒)“を頼んだ。ドイツらしい肉厚のワイングラスに注がれた琥珀色の飲み物に口をつけた。リンゴの酸味とほのかな甘味、それと生のリンゴを皮のまま齧った時の一瞬の香りがグラスから立ち上がった。

外の雨は本降りになっていた。そろそろホテルに帰る頃合いだった。

「Zahlen Sie bitte!(お会計お願いします!)

運ばれたレシートの金額に1ユーロ足したお金を置いて席を立った。

「Dankeschön!(ありがとうございます。)」

傍らに赤髪のウェートレスが立って、外の雨に一瞬足を止めた陸に日本語で、

「これぐらいの雨、ドイツ人はほとんど傘をささないわ。ワタシの家なんて、マミーくらいしか傘持ってないもん。それにこの雨、“Aprilwetter(4月の天気)”って言って、コロコロ変わる気まぐれな天気のショーチョーみたいなもんね!」

そう言って、雨の中へ陸の背中をポンと押した。


 雨の中に投げ出された陸は、パーカーのフードに手をかけたがすぐに思い直して、ドイツ人風にそのまま歩き出し、広場の中央近くにきたところで、両手を広げ雨の落ちてくる先を見上げた。辺りでは光の石畳の上を、雨粒がダンスしていた。

陸は泣いていたのかもしれない、頬を流れる雨だけが少しだけ温かく感じた。ただ大粒の雨がモヤモヤしていた気持ちまでも洗い流してくれた。


さっきまでいたオープンテラスの店の方を振り返ると、赤髪の彼女が子供みたいに大きく手を振っていた。降りしきる雨で霞んでよく見えなかったが、陸には何故か彼女が微笑んでいるのがわかった。


Aprilwetter、気まぐれな雨に違いはなかったが、この雨のシャワーは陸を優しく包んでくれた。

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