002)第1章2【絶叫2】
「生野君にお願いするわ」
鬱蒼と生い茂る背丈ほどの草木を前に、遥花が手斧を差し出してきた。
頭上には青空が広がっている。
さっきまでの、激しい雨を伴うスコールを生んでいた大気は、今は分厚い曇と共に遠くにあった。
遥花の持つ、形の整ったアーモンド型の瞳を僕は直視しなかった。
だけど、彼女が召使いでも見るような視線を僕に投げているのは予想が付いた。
美人であるのは認めよう。
長く通った鼻筋と、ほどよく厚い唇には文句の付けようもない。
しかし、僕はまだ一度も遥花の笑顔を見ていなかった。
笑顔どころか、遥花が顔の筋肉を動かす様子が想像できない。
顔を動かすことで、顔の造りが崩れるのを心配しているのだろうかと、本気で疑いたくなる。
表情を変えない美人が、これほどまでに親しみの持てない人種だというのを初めて知った。
イースター島のモアイ像でさえ、遥花に比べれば表情豊かに感じられるだろう。
「斧の扱いに、慣れておいたほうがいいでしょ」
手を出そうとしない僕に、再び圧をかけてきた。
手斧を受け取った後で、僕はそっと遥花の横顔を盗み見た。
歳を聞いていないが、三十歳前後だと思う。
自分以外の者は、全て自分の手下だと思っている。
この数時間の付き合いだけで遥花に下した評価だが、多分間違っていない。
「あっちの方角よ」
遥花の指し示したほうへ足を向けた。
手斧を振り上げた僕のすぐ後ろに、遥花の気配がした。
お願いすると言っておきながら、監督のような目で僕を見ているに違いない。
遥花が僕のことを頼りなく思っているのは分かっていた。
だが、手斧を握るのが初めての者に、草木を刈り込んで、道を作らせようとするのが、そもそもの間違いだと心の中で反論した。
こんな事態を招いたのが、他ならぬ自分だと思うと腹立たしい。
本来なら、いくら遥花でも、お客である僕にこんなことはさせないはずだ。
遥花も最初は、無愛想ながらも僕に対する礼儀は弁えていた。
この年下の男は、少々の無理を押し付けても、刃向かわない性格だと見抜いていたとしても、表面上は大事に扱ってくれていた。
生野様と呼ばないで欲しい、自分を客とは思わないでと、遥花に言ったのは僕だ。
自分自身の財力でここへ来られた訳ではないので、お客様扱いされるのが居心地悪かったのだ。
時間が戻せるなら、遥花に対してだけは言ってはいけない言葉だと、あの時の自分に助言してやりたいと真剣に思う。
僕の言葉を聞いた遥花は、窮屈な上着を脱ぎ捨てたようにあっさりと態度を変えた。
業務上の気遣いすら見せなくなり、僕を舎弟か何かだと、記憶を完全に書き換えてしまったように思う。
そこまでの露骨な変化を期待していなかった僕が、たじろいでいるのもお構いなしだった。