001)第1章1【絶叫1】
どこまでを腐乱と言い、どこからが白骨と言うのだろう。
ツアーの二日目にして死体に遭遇してしまった僕、生野篤司の心は、それでも折れてはいなかった。
僕は今、古代マヤ文明の都市、七世紀のティカルにいる。
二一世紀では、中米の国グアテマラになる地だ。
まだ現地に慣れていないのが逆に幸いしたのか、この時代に対する解釈を肯定するベクトルが、過剰に働いていたのだと思う。
現代の日本で同じものを見てしまったら、平気ではいられないはずだ。
僕はそこまで腹の座った人間ではない。
ここではこんなこともあるんだろう。
はるばる時空を越えて訪れた古代マヤの地では、屍が転がっていることなんて日常茶飯事だ。
いちいち騒ぐ必要はない。
そんな風に意識をコントロールしていたように思う。
郷に入れば郷に従え。
退職した前の会社で、僕の隣りに座っていた高齢社員の口癖だ。
その言葉のせいで、僕は四年も、あの会社で時間を無駄にしたと思っている。
だけど今、その言葉が僕の支えになっていた。
郷に入ったからには郷に従おう。
現実を直視するのだ。
目を逸らしてはいけない。
骨格のほとんどを露出させた身体には、かつて宿っていた命の痕跡は、何一つ残っていなかった。
この世に残した最後の表情が、よりによって絶叫だったとしても、故人に責任は無い。
皮膚が腐り落ちていく過程で、引力に逆らえなかった下顎の骨が、だらりと垂れ下がってしまったのだ。
命ある頃は、こんなにも大きな口は開けられなかったはずだと思うと痛ましい。
死ぬ時は地面に寝転んで死のう。
斜面に体を預ける格好で臨終を迎えたこの亡骸のように、死んだ後でずっと叫び続けなければならないのは大変そうだ。
僕の決意を、仏様の前で不謹慎だとか咎めないで欲しい。
この亡骸の、欠けた前歯と下顎の間の何もない空間を見れば、誰だって同じことを思うはずだ。
死ぬ時の姿勢を決めたからと言って、生きるのを諦めていた訳ではない。
生きる目的はあった。
こうなった原因を作ったのは、添乗員の久谷遥花だ。
方角を示したのは彼女だった。
遥花に必ず生きて再会し、文句を言ってやるんだと、僕は決意に燃えていた。