コウジ
「おいおい、ザックス!
さっきから、随分と興奮してんじゃねえか!?
どういうことだか、オレらにも説明しやがれ!」
マディなる青年に対し興奮していた酔漢へ、仲間だろう別の男がそう声をかける。
「おお、すまねえ、すまねえ……!」
すると、ザックスと呼ばれた男は、謝りながらも手にしていたグラスをぐびりと傾けたのであった。
「カァッー!
酔っ払って、幻見てるわけじゃねえんだよな!?
あんた、本当にあのマディだよな!?」
「おうよ。
多分、あんたが言ってるマディで間違いないと思うぜ」
あらためて聞いてくるザックスに、マディは挑発的な笑みを浮かべながら答える。
「なあおい、それで、そこにいるマディって兄ちゃんは何者なんだ?
オレらにも、分かるように説明しろって言ってんだろ」
いい加減に痺れを切らし始めた男がそう言うと、ザックスは興奮した顔で振り返った。
そして、大仰な身振り手振りを加えながら語り始めたのである。
「これが、興奮せずにいられるかってんだ!
あんたは、おれよりも随分と前からここへ流されてるから、知らねえだろうけどよ……。
ここにいるマディっていうのは、十歳の時から去年まで、何度も大精霊に奉じる音楽祭で賞を取ってきた男なのさ!
しかも、五年前からは連続で金賞を取り続けてるんだぜ!?」
ザックスの言葉に、何人かの男があごへ手を当てながら考え込み始めた。
マディなる青年は、見た目から察するに二十代の前半であり……。
本当に十歳から活躍してきたのなら、噂を聞いたことのある人間も、それなりにいるはずなのだ。
「そういえば、神童が現れたとか聞いたような……」
「ああ、俺も思い出したぜ……。
確か、若いやつが連続で金賞取ったって……」
「わしらには、遠い世界の出来事すぎて名前までは覚えとらんかった」
「ザックス。
お前、名前だけならまだしも、よく顔まで知ってたなあ」
仲間の言葉に、ザックスが得意げに鼻頭をかく。
「へっへっへ……っ!
何しろ、おれはコンサートのチケットを買い集めては、欲しがる奴に高値で売りつけて生計を立ててたからな。
もちろん、自分自身でも楽しんだりしていたのさ!」
「あんた、そんなことやって流されたのか……。
転売はよくねえぞ。転売は」
ザックスのしょうもない来歴を聞いて、マディが白い目を向ける。
「へへ、すまねえ……。
まあ、今はこうやって真面目に罪を償ってるんだからよ。目をつぶってくれよ」
「今はこうやって、て言われても、俺が見てるのは飲んだくれてる姿だけだけどな。
まあ、この島に流されてる以上、今さらどうこうは言わねえさ」
マディが肩をすくめた、その時だ。
「……で、そのお偉い奏者様が、なんでまたこんな所にいやがるんだ?
まさか、流刑地まで観光に来たなんてことはねえだろ?」
誰かが、そんなことをつぶやいたのである。
それは、そう大きな声ではなかった。
だが、不思議と店内によく響き渡り……。
誰もが、同じ疑問の乗った視線を向けたのである。
それは、口を挟んだりすることはなく、状況を静観していたハルも同じであり……。
全員の視線を受け止めたマディは、ニヤリと笑いながら自分を親指で指し示した。
「なんで、こんな所にいるかって……?
話は簡単だ。
俺も流刑になった!
流刑になって、適当にその辺をうろつき回って、なんだか腹が減ってきたからここにいる。
ちょうど、演奏を聞かせてやるには十分な人数が集まってるしな!」
その言葉に……。
しん、とした静寂が店内を支配する。
つい先ほどまで、行き来が困難なほどひしめいていた酔客たちが、大いに笑って騒いでいたことを踏まえれば、隔絶した差であるといえるだろう。
――本物の演奏!
しかし、ハルはといえば、そんな中で唯一、心を高鳴らせていたのである。
が、そんな彼女の思いを知る者など、いようはずもなく……。
「――ぷふっ」
誰かの、吹き出す声が聞こえたのであった。
それは徐々に……徐々にと伝染していき、次第に誰もが笑い出す。
決して、友好的な笑い声ではない。
どころか、これはその真逆。
込められた感情は、侮蔑であり――嘲笑だ。
「おいおい、今の聞いたかあっ!?」
「聞いた! 聞いた!
まったく、笑わせてくれるぜ!」
「演奏の腕前は、どうなんだか知らねえけどよぉ……。
どうやら、冗談を言う才能はあるみてえだなあ!」
大半の者が、そう言って笑い合う。
言葉や態度と裏腹なのが、その視線であった。
マディに対して、向けられる瞳……。
それらは、強い憎しみや怒りが秘められているのである。
「ほ、本当か……?
こんな間近で、あのマディが演奏するのを見られるのか!?」
一方、ザックスのみは周囲の空気を読まず、ただ無邪気に喜んでいた。
「……よいか?」
そんな元転売屋を押しのけ、前に出ようとする者が一人……。
「なんだよ!?
今、いいとこ――」
そう言って振り返ったザックスの顔が、凍りつく。
青ざめた顔は、血の気が引いていく様を視認できたほどであり……。
興奮ばかりでなく、酔いまでも急激に下がったことが伝わってくる。
それも、そのはずだろう。
ザックスを押しのけようとしている三十路男……。
彼は、この場にいる誰もがその名を知る有名人であった。
身長は、低い。
ハルと同等か、やや劣る程度であろう。
だが、他の罪人と同様に露出させている上半身は、樫の木に針金を巻き付けたかのようであり……。
細身でありながらも、十分に鍛え抜いていることがうかがえる。
実際、彼は流されてきた初日にからかってきた他の罪人を叩き伏せており、それが名の売れている理由なのだ。
そんな彼の肌は、今でこそ日に焼けているが……。
元々は、やや黄ばみがかった色合いをしており、当初は人種の違いというものを感じさせた。
肌ばかりでなく、髪の色も独特で、夜闇を閉じ込めたかのような漆黒の髪は、オルダー人に見られない特徴だ。
今はざんばらなその髪は、故郷においては独自の様式で結い上げていたらしいと、酔漢の噂話で聞いたことがある。
「コ、コウジ……!?」
ザックスが、これなる男の名をつぶやく。
普段は、他の罪人とつるむことなく……。
新参にして異郷の民ということもあり、店を訪れても、片隅で静かに飲むだけの男であった。
そんな彼が、唯一、他の罪人と関わるのは、売られた喧嘩を買う時のみ。
その全てが、圧勝。
彼に喧嘩を売った者たちは、再起不能とまでは言わずとも、全員が相応の怪我を負わされているのだ。
ゆえに、静かなる狂犬として……。
今は、誰も彼と接触しようとはせず、腫れ物のように扱っているのである。
そんな彼が、自分の方から接触してきたのだから、ザックスが震え上がるのも当然であろう。
――もしかして、おれが殴られるのか?
そう考えたのだろうザックスが機敏に横へどいたが、コウジが見ているのはマディの方であった。
「あんた、コンゴウの人間か?」
「……いかにも。
セッシャ、コンゴウはウエノ藩に属していたコウジと申す」
セッシャ、という独自の一人称を交えながらも、コウジが驚くほど流暢なオルダー語で返す。
彼は、何やら特殊な出自であるらしく……。
流されてきた当初からオルダー語を話せたため、意思の伝達で困るということはない。
そんな彼が、身長の関係でマディを見上げながら口を開く。
「要するに、お主たちオルダー人が蛮族呼ばわりして侵略した国の人間であり……。
貴様のような奏者が扱う術によって、多くの仲間を殺されている。
そのような、立場のものだ」
コウジから立ち昇ったのは――殺気だ。
武芸の心得がないハルにも、はっきりと感じられるほどのそれであり……。
直接、それを向けられれば、心身の弱い者なら気絶するのではないかと思えた。
だが、どうやらマディは心身の弱い者ではないらしく……。
「へえ……」
すくみ上がるどころか、ますます楽しそうに笑みを深めたのである。