伯爵令息は気付かない
乙女ゲームは始まって、ジョシュア達はその強制力的影響力を受けてしまった。
幸い何とか抵抗した俺が最初にしたのは、言うまでもない。
あいつらの婚約者達に対する報告と相談である。
大体のことは、報連相を怠るから悲劇へと向かい、徹底することで防げる。気がする。
それから、後は確認のためもある。
ジョシュア達がどうやら強制力的なものに影響を受けた、ということは、婚約者である令嬢達も悪役令嬢的
状態になっていないか。
もしなっていたら、もう俺一人で何とかするしかない。
いくらなんでも、それは勘弁願いたい。
いやきっとテレーズ嬢なら大丈夫。
そんな不安と僅かな希望を持ってテレーズ嬢をはじめとする婚約者の令嬢達に会ったのだが……俺の心配は杞憂に終わった。
「急にわたくし達をお集めになったと思えば、そんなことが……。
入学式の時にお会いした殿下方の様子がおかしいとは思っておりましたが……。」
眉をひそめながら言うテレーズ嬢の口調や仕草に、いつもと違ったところは見られない。
聞けば、入学式の直前にいきなり目眩のようなものに襲われはしたものの、すぐに回復したとのこと。
俺が感じたような寒気だとかそういったものは感じなかったらしい。
これは残る二人も同じで、サラ嬢に至っては全く何も感じなかったそうだ。
「皆様が無事で何よりでした。今後、何か変調があった時には俺にお知らせください。
ジョシュア殿下達は、とち狂ったような行動がしばらく続く可能性がございます。
これは俺が何とかしますので、しばし静観していただければ……」
と頭を下げながら俺が言えば、ご令嬢達は皆頷いてくれた。
これで、ジョシュア達に婚約者達、王家を含む高位貴族六家を相手にあれやこれやと立ち回る必要がなくなった、それだけで俺のストレスは大幅減である。
ジョシュア達だけなら、大分前から色々覚悟完了してたし、根回しもしてたからなぁ。
「お父様達には、わたくし達がそれぞれにお伝えしておきましょう。
あまりロイド様にだけあれこれと動くことをお願いしても大変でしょうし」
「いくらロイドっちでも、身体は一つしかないしね~」
テレーズ嬢が言えば、アレックスの婚約者であるシャルロット嬢が茶目っ気のある口調で応じている。
ていうか、その呼び方はやめていただきたいんだが……侯爵令嬢相手には強く出られない悲しい俺。
しかし実際、伯爵家の令息でしかない俺が公爵家や侯爵家のご当主様にご注進するのも色々大変だしなぁ。
「そうしていただけるとありがたいです、あまり迂闊なことも言えませんし……なんせ身体も一つですが、首も一つですので」
と首を撫でながら言ってみたが、受けなかった。何なら引かれた。
駄目か、騎士団だと割と定番のジョークなんだが……。
それはともかく。テレーズ嬢達の様子からして、強制力らしきものの影響は個人差がある、ようだ。
こう言っては何だが、婚約者達がゲーム通りにならなくてもジョシュア達がヒロインに夢中になってしまえば、一応話は進行する。
だから彼女達への影響は弱かったし、テレーズ嬢の侍女という恐らくゲームにほぼ絡まないポジションのサラ嬢には影響がほとんどなかったという可能性がある。
まあ、だったらなんでメイン攻略対象じゃないっぽい俺に、ああも強烈なのが来たのか、なんだが……。
あれを発揮したのがギャラクティカ男爵令嬢だった場合、彼女をとっ捕まえてじっくりとお話を聞くという手もあるにはあるんだが、もう一度俺が耐えられるかどうかが問題になる。
それと、多分あいつが使ったものじゃない、気がする。ただの直感だが。
となると神様的な存在が使ったと仮定して。んなもんどうしようもないから、『なんで』を考えるだけ無駄だ。
この後どうするか、を考えなければ。
あ、それなら一つ大事なことがあった。
「そうそう。サラ嬢、申し訳ないが、万が一俺までおかしくなったら、さくっと頭を蹴り飛ばすなりして行動不能にしてもらえないだろうか」
「……はい? 私が、ですか? 私では、恐らくロイド様を止めることは出来ないかと思いますが……」
「普段の俺ならそうかも知れないが、色ボケした俺だったら、隙だらけなんじゃないかな、多分。きっと。……そうだといいなぁ……」
唐突な俺の申し出に、サラ嬢は怪訝な顔を返してくるんだが……でもなぁ、こんなことをお願い出来るのは彼女くらいしかいないんだ。
知り合って以降、お互いの立場役割が似通っていることもあって、俺とサラ嬢はそれなりに仲良くなった。
そして、役割が役割なので、時折手合わせをしているのだが……まあ強いったらありゃしない。
体格や筋力の差もあって戦績としては俺が全戦全勝なんだが、同年代で俺とまともにやりあえるのは彼女くらいなんだよな。
だから、気が抜けてる時に不意打ちを食らったら、多分回避は出来ないと思う。
俺の申し出にしばし考え込んでいたサラ嬢だったが、顔を上げれば決然とした表情を見せてきた。
「わかりました、ロイド様がそう仰るのであれば。これよりは一撃で意識を刈り取れるよう蹴り技を磨きます」
「ありがとう、そうしてもらえたら助かる」
「ちょっとお待ちになってくださいまし?」
強い決意を見せるサラ嬢へと俺が頷いて返せば、横合いから待ったがかかった。
誰かと思えば、サラ嬢の主であるところのテレーズ嬢である。
ああ、確かに部外者である俺が勝手に依頼するのも良くないし、内容も微妙だろうしなぁ。
「申し訳ございません、テレーズ様。一度あなたにお伺いを立てるべきでした」
「いえ、そういうことではなく……はぁ……まったく、あなた方はそれでいいのですか? 特にサラ」
ため息を吐きながら首を振るテレーズ嬢。
社交の場では決して見せないだろうその仕草は、今この場にいる面々には気を許しているからなのだろう。
しかし、それでいいのかと言われてもなぁ。
「はぁ、こんなことをお願いできるのも実行出来るのも、サラ嬢の他にいませんので」
「私としては、ロイド様がここまでおっしゃるのでしたら。あ、もちろんお嬢様がお止めになるのでしたら、いたしませんが」
俺とサラ嬢が続けて答えれば、テレーズ嬢はもう一度大きく溜息を吐いて。
「……わかりました、サラがそれでいいのでしたら、わたくしからは何も言いません。
万が一の時には、ロイド様からそのように言われていたと、わたくしが証言いたしましょう」
頭痛を堪えるような顔で、そう言ったのだった。
今後についてさらにいくつか打ち合わせして、ロイドが退出した後。
部屋に残ったテレーズ達は、大きく息を吐き出した。
「殿下達も心配ですが、そちらは静観するしかないとして。
……サラ、本当にあなたはあれでいいのですか?」
ジト目でテレーズが問いかけるも、サラはきょとんとした顔だ。
「いいのかと聞かれましても、はい、としかお答えのしようがないのですが」
「本当に? あんな色気のない、むしろ殺伐としたお願いとかされる関係でいいのですか!?」
あまりの反応の薄さに、思わずテレーズは声を上げてしまう。
表情にほとんど出さないサラではあるが、長い付き合いであるテレーズにはわかる。わかってしまう。
サラが本当に、問題を感じていないことに。
それが逆に、テレーズとしては大問題だと思ってしまうのだが。
「確かにロイドっち、サラちゃんの武力だけをお目当てにお願いしてたもんねぇ」
「シャル、その呼び方は……まあ、確かにちょっとこう、どうかとは思いましたけれど」
などと、テレーズ以外の二人もどちらかと言えばテレーズ寄りだ。
それも仕方のないところではある。
「はあ……折角ロイド様にはまだ婚約者がおられないのだから、もっとこう、そういう意味で親しくなれるような交流をすればいいのに……」
サラとロイドが出会ってから数年。何時の頃からか、サラのロイドを見る目の色が変わっていた。
そのことに気付いたテレーズは、サラにもっとアピールするように何度も言ったのだが、状況はあまり変わっていない。
「あの色恋沙汰にだけはとことん鈍感な朴念仁相手なんだから、相当積極的にいかないとだめだと思うの。いきなり抱きつくとかして」
「シャル、だから言い方が……まあ、言ってる内容自体には概ね同意ですけれど……」
良識ある令嬢からもこう言われるくらい、ロイドは鈍い。
鍛えられてガッシリした体格は好みが分かれるところだが、長身で整った容姿、伯爵家嫡男で王子の側近候補(ほぼ確定)、誠実だが硬すぎずその上お人好し、それでいて文武両道。
これでモテないわけがない。
だというのに、ロイドは全くそっち方面には疎かった。
これは、前世でろくに恋愛経験がなかったことと、自分の婚約者も悪役令嬢になるのではと懸念して女性から距離を取っていたことが影響しているのだが、もちろんテレーズ達にそんなことはわからない。
明確な事実としてわかるのは、ロイドが向けられる恋情にやたらと鈍く、自分から女性に近づくこともせず、縁談も断り続けていることだけである。
サラとロイドの仲を応援したいテレーズ達としてはやきもきするのも仕方ないところではあるのだが。
「私としては、今の関係でも特に問題は感じておりませんもので」
「本当に? 本当にそれでいいの?」
あまりに物わかりがいいというか淡々としているサラに、たまらずテレーズが問い詰める。
しかし、サラはあっさりと頷いて見せた。
「はい。……騎士の方は、介錯が必要な時には最も信頼する者に頼むそうです。それと同種の信頼を感じましたので、私としてはむしろ満足と言いますか、嬉しいといいますか」
そして見せる、ほんのりとした笑み。
テレーズ達にはわからないが、サラとロイドの間には何か通じ合う物があるのだろう。
それを見せられて、テレーズ達はもうそれ以上何も言えなかった。
「わかりました、あなたがそう言うのなら、もうわたくしも何も言いません。……でも、応援はしていますからね?」
「はい、ありがとうございます。そのお気持ちだけで十分でございます」
こくりと頷くサラへと、テレーズは今日何度目かの、呆れ混じりの溜息を苦笑と共に零した。