伯爵令息の思惑通りにはいかない
こうして俺は、ジョシュアの婚約者であるテレーズ嬢と将来の侍女であるサラ嬢、さらにグレイやアレックスの婚約者とも同じようにして良好な関係を築いていった。
歳を重ねるにつれてジョシュア達の教育は大人達によるものが増え、俺が直接彼らに関与できる時間は減っていったが、それでも考え方の矯正と精神面の鍛錬はやれるだけはやれたと思う。
これで、出来る限りの対策は取れた。
それから3年ばかり経ち、俺達は貴族や裕福な平民が通う王立学院へと入学。
その入学試験の際に全力を出して、俺は首席での入学を果たしている。
武家の一門であるグロスヴァーグ家から首席を出したのは初めてのことで、両親はもちろん親戚まで大騒ぎ。
大勢が集まった祝いの席で堅物な親父が男泣きに泣いていたのを見て、俺もほろっときたりした。
まあ、うん、親孝行出来たってことで、嬉しかったのは嬉しかった。
それと、強制力は覆せるらしいとわかったのも大きいだろう。
なんせ俺は、どう考えてもインテリキャラタイプじゃない。主要攻略キャラですらないはず。
その俺が、王子であるジョシュアや眼鏡かけた侯爵令息のアレックスを差し置いて首席を取れたのは、ゲーム的にはありえないだろう。
いや、現実の政治的にもあり得ない気もするが。やはり王家は神輿でしかないから学力で箔をつける必要はない、ということなのかも知れない。……それはそれで釈然としないが。
ともあれ、ゲームの設定は絶対ではない。そもそも俺が割と自由に動けてる時点で強制力は然程強くない。
これなら、きっと何とかなる。
そう考えていた自分が甘かったと思い知らされたのは、15歳になって王立学院に入学するとなった時のことだった。
学院内での護衛役として、俺は朝からジョシュア達と待ち合わせていた。
恐らく今日からゲームが始まる、と周囲を警戒していたんだが、それが良かったのか悪かったのか。
馬車だまりから校舎へと向かって歩いていた時のこと。
正門へと目を向ければ、足早にやってくる一人の少女。
ピンクブロンドのツインテール。美人というよりも可愛らしいタイプの美少女。
彼女が目に入った瞬間、俺の背筋に寒気が走り、ガツンと殴られたような衝撃が頭に走る。
侵略されるという危機感、何かが自分の中に打ち込まれそうになっているのを感じて、俺は魔力と集中力をかき集めて必死に抵抗した。
結果、俺は何とかそれを撥ね除けることが出来たんだが……散々鍛えて精神干渉系の魔法を食らって耐えた経験まである俺ですらこうだったんだ、ジョシュア達は言うまでもない。
恐る恐る三人を見れば、三人が三人ともその少女に見蕩れてしまっている。
「な、なあ、あの子……」
「ああ、すごく可愛いな……」
「ええ、妖精のような、とはああいう子のことを言うんでしょう……」
こいつらが手放しで女性を褒めているところなど見たことが無い。
なんせ男ばかり四人でつるんでいることが多く、頻繁に会うのはテレーズ嬢のような大らかな令嬢。
それ以外の女性は仕事で仕える使用人かやたら厳しい家庭教師か、はたまた媚びを売ってくる婚約者狙いか。
そんな環境であれば女性というか、自分へエゴを向けてくる存在に対して警戒心が強くなる。
だというのに、あの女は、そんな三人の防壁を越えてきた。
それも、恐らく魅了魔法だとかではなく。
こんなこともあろうかと、俺は魔法が使われたことを感知するアイテムを身に着けていた。
本当はジョシュア達に精神干渉系魔法を防ぐアイテムを着けさせたかったんだが……学園内でそんなものを身に付けるなど惰弱、という謎の価値観により却下された。
確かにそれは王族の伝統らしいんだが……むしろ学園内で自分の手先に籠絡されることを狙ってのしきたりじゃないのかと思うのは俺だけだろうか。
どの道、奴のそれは魔法じゃなかったらしいから、どうしようもなかったのだが。
「あ、あの、もしかして王子様ですか?」
きゅるん、という擬音が付きそうな笑顔と仕草で問いかけてくる少女。
見た目だけならば純真な、ヒロインにふさわしいと思われる美少女である彼女は、ミルキー・ギャラクティカ男爵令嬢。
……あれか、必殺技にマグナムとかファントムとかあんのか、とか思った俺はおっさんだ。
それは否定のしようが無い。
多分ミルキーウェイ、天の川から銀河と連想されてるんだろう。ということは、星が何か関係するんだろうか。
と思ったが、少なくともジョシュア達の名前にそれらしいものはない。
フランバージュとか、フランス語っぽい響きだから、そっち系統の言葉なんだろう。
フランベルジュっていう剣があって、あれは炎とか言う意味だったはず。
刃が波打っていて、斬られたらそのせいで傷口がぐちゃぐちゃになって治りにくいというエグい効果と、見た目の美麗さのギャップが大きい剣で、知名度はあまりないが好きな奴はとことん好きという剣である。前世の俺の周りではそうだった。
ともあれ。彼女のあざとい仕草は、ジョシュア達にとっては必殺技並みの効果があったようだ。
途端にデレデレとして、言いたいことも言えずに、夏、いや、春。思春期かお前等。いや、思春期だな。
とか混乱するくらい俺も取り乱していたんだ、とご理解いただければと思う。
いや、ご理解いただいても、現実は変わらないのだが。
「あ、ああ、私はジョシュア・ベルク・フランバージュ。この国の王子だ。
……君の名は?」
ジョシュアの声のトーンが、普段と明らかに違う艶を帯びている。
それを聞いた瞬間、正気に戻れと思い切りジョシュアの頭をひっぱたきたくなった。
踏みとどまれただけ、俺の意志力は褒められていいんじゃないかと思う。色んな意味で。
というか、恐らくゲームにおいて最も大事であろう場面において、まだ自分の意思を持てただけ、かなりましだったんじゃないだろうか。
多分今の声は、ゲームでの声そっくりなんだろう。
ミルキーと名乗った少女が「やっば、生でしゃべってる」とか小さい声で呟くのを、俺の耳は聞き逃さなかった。
やっぱこいつも転生者かよ。それもゲーム経験ありときた。
しかし、俺以外の人間には意味不明なつぶやきだというのに、普段は時に俺よりも鋭敏なグレイの耳は、今この時ばかりは機能しなかったらしい。
「おい、ジョシュアばっかり狡いぞ! 俺はグレイ・ヴィル・トゥルビヨン、よろしくな!」
とか、聞きとがめることもなく勢い込んで自己紹介をしだした。なんでだよ、お前も普段はあまり令嬢に近づこうとしてなかったじゃないか。
「僕のことも忘れないで欲しいですね。僕はアレックス・オードヴィット」
普段本の虫で自発的に動くことが少ないアレックスまでもが、自己紹介を始めている。
そして、三人が三人とも、雰囲気だけはイケメンになっていた。いや、顔もイケメンなんだが、こう、わかるだろ?
しかし、これで確信した。やっぱりこの世界は、乙女ゲーの世界だ。
恐らくメイン攻略対象はこの三人。他にもいるんだろうが、入学式に校門で出会うイベントがあるってことは、多分こいつらがパッケージの中央に配置されてたんだろう。
そして、ゲームは始まった。
もしかしたら、だから強制力が本気を出してきたのかも知れん。
一つだけ幸いなのが、俺が正気を失っていないこと。
これは、俺の立てていた仮説が当たった、ということでいいんだろうか。
やはりレベル、レベルは全てを解決する。
だからこそ逆に、あいつらを鍛え切れなかったのが残念でならないが……。
「え~、そうなんですかぁ」
あれこれ考える俺をそっちのけで盛り上がっていて、時折ギャラクティカ男爵令嬢の媚びっ媚びで甘ったるい声が響く。
俺からすれば猫被って媚び売ってるのが丸わかりなのに、アホの子に成り下がってしまったあいつらはデレデレしまくり。
こういう時に裏のある人間を直感的に見抜くのが得意なグレイですら、だ。
やはり何かの力が働いているんだろうとしか思えない。
俺ですら抵抗するのに一苦労だったあの力を何とかした上で、こいつらが愚挙をやらかさないよう目を光らせなければならない。
この先の苦労が思いやられて、俺は思わず溜息を吐いた。