思わぬ提案と、思わぬ過去。
こうして俺の夏休みは、困惑とともに始まった。
そして更に、困惑は続いていく。
「本日はその、ご足労いただきまして、ありがとうございます」
「いえ、とんでもないことでございます。こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます」
俺達は、随分と硬い挨拶を交わした。
誰かと言えば、俺と、サラ嬢である。
あれから数日後、夏の昼下がり。
俺とサラ嬢は、我がグロスヴァーグ家にてお茶会的なことをしていた。
なんでこんなことになっているのか。
いや、彼女と二人で会っていること自体は、自然なことではある。
先だっての話で、俺とサラ嬢は夏休みの予定を合わせることになった。
だから、こうして調整するために集まるのは当然のこと。
……いまいち釈然としないところはあるが。
だが、硬くなるのは、それが理由ではない。
「今更のことではあるのですが……こうして二人だけで会うのは、初めて、ですよね?」
会話のとっかかりが掴めず、俺はそんな話題を振る。
そう、俺とサラ嬢は、幼馴染と言ってもいいくらいの付き合いがあるのに、二人だけで会うのは初めてなのである。俺の記憶が正しければ、だが。
もちろん正確に言えば、彼女とて子爵令嬢、侍女はついている。
……護衛が一人しかいないのは、彼女の個人戦闘能力を考えれば理解も出来るが。
こちらも、侍女や侍従と使用人が周囲にいるのはいる。
それどころか、気配を殺しながら執事の一人がひっそりとこちらの様子を伺っていたりするのだが。
なんでだよ、なんでそんな隠密スキル全開にしながら潜んでんだよ。俺がなんとか気づく程度の隠れっぷりだぞ、おい。
とまあ、人間の数で言えば二人きりでは全くないのだが、貴族社会的な感覚で言えば二人きり同然な状況。
……俺もそれなりに貴族ってもんに染まってきたなぁ。
人目があるのに、二人きりであるかのように緊張しちまっている。
いや、もしかしたら周囲から向けられる何か妙な熱を帯びた視線の影響もあるかもしれないが。
なんなんだよ、なんでお前らそんなにこっちを気にしてんだよ、王太子であるジョシュアが来てる時ですらそんな熱意ないだろ!?
などという内心の動揺は、多分飲み込めている、と思う。
少なくとも、サラ嬢の態度にはまるで出ていないのだから。
恐らく、大丈夫なんだろう。多分。
「そう、ですね。いつもは、テレーズ様の付き添いとしてお会いしておりますし」
返事をするサラ嬢の声も表情も、若干硬い。
うーむ、俺の緊張が伝わってしまっているのだろうか。だとしたらどうにも申し訳ないのだが。
かといって、こういう場面で気の利いたことを俺が言えるわけもなく。
「俺も、普段はジョシュアのお付きですしね。最近じゃ護衛騎士代わりになってますが」
などと言って笑ってみせるのだが……まあ、今更なことだし、ジョークと言えるかは微妙なところ。
サラ嬢も対応に困るんじゃないかと思っていたのだが。
「いえっ、そんなことは。むしろロイド様は、一般的な護衛騎士よりも腕が立つと私どもは認識しておりまして」
珍しく、サラ嬢が勢い込んだ言い方になりかけて。
それから、すぐにいつもの口調へと戻る。
いや、いつもよりは若干硬い口調、だろうか。
どこに硬くなる要素があったのか、全くわからんのだが……。
と、俺が反応に困っていると、サラ嬢が更に言葉を紡いできた。
「ですから、そんなロイド様に、厚かましくもお願いしたいことがございます」
「俺に、ですか? 俺に出来ることでしたら、大体のことはしますが」
淡々とした、しかしどことなく切実さが滲む声。
普段お願いなど滅多にしないサラ嬢の頼みとあれば是が非もないところだが、こうまで言われると襟を正す気持ちになってしまう。
彼女がここまでの覚悟で俺にお願いすることとは。
しばし、沈黙が流れ。
「わ、私と二人で、上級ダンジョンに挑んではいただけませんでしょうか」
サラ嬢の言葉から飛び出してきたのは、そんな言葉だった。
それを聞いた俺は。
「ああ、なるほど。もちろん構いませんよ」
あっさり、そう答えていた。
あ~、緊張した!
どんなお願いをされるのか身構えていたところに、これである。むしろ安心したまであるくらいだ。
「えっ、あ、あの、よろしいの、ですか……?」
「ええ、もちろん。元々、一人で挑んだこともありますし。
ましてサラ嬢と二人であれば、大体のダンジョンはクリア出来るんじゃないかと思いますしね」
俺があまりにあっさりと言ったせいだろうか、サラ嬢は困惑の表情をしている。……珍しい。
……いやいや、可愛いとか思ってないからな!? 見たことない表情に動揺したりしてないからな!?
などと自分自身に言い訳をしている間に、サラ嬢も立ち直ったらしい。
「なるほど、流石ロイド様……上級ダンジョン単身踏破最年少記録保持者なだけはあります」
「いやいや、あそこは上級ダンジョンの中でも比較的簡単なところでしたし」
「それはそうですけれど、それは、他の挑戦者の方にとっても同じことでしょう?」
「……まあ、それはそう、ですが」
サラ嬢の追及に、俺は誤魔化しも浮かばず曖昧に頷くことしか出来ない。
この国、この世界には上級ダンジョンと呼ばれる場所がいくつかある。
ダンジョン自体がピンキリなのだが、上級ダンジョンもまた同じく。
ゲーム的には恐らくラストダンジョンなんだろうと思われる難易度のものから、中盤を過ぎたくらいに入るのだろうダンジョンもある。
俺が単身踏破したのは、そんな比較的難易度の低いダンジョンの一つ。
とはいえ、もちろん上級と銘打たれてるだけあって、中々の難易度ではある。
単身踏破など二桁いるかどうかだし、まして十代でとなると俺くらいのもの。
武門の貴族としては誇らしいものであるはずなのだが、俺個人の感想としては、どうにも素直には受け取れない。
何しろ俺には前世の知識があり、この世界の原作的なゲームに心当たりはないものの、大体のゲームに通じる攻略法は心得ている。
それを元に攻略してきたのだから、俺一人の手柄などでないことは俺自身が一番わかっている。
とはいえ、そんなことを馬鹿正直に言ったところでサラ嬢を困らせるだけだろう。
そうすると、曖昧に流すしかないわけだ。
ある意味で丁度いい話題になってくれたところだし。
「もしかして、挑みたい上級ダンジョンはあそこですか。俺が記録を持つシーバガルダンジョン。
あそこはサラ嬢と相性の悪い大型の魔物もいますが、サラ嬢にお任せしたい小型も多いですし」
偶然思い至った風な顔で俺が言えば、サラ嬢の表情が一瞬だけ驚きのそれに変わる。
またすぐに戻ったけれども。……これだけ表情の制御が出来てる彼女が一瞬とは言え動揺したのを、楽しいと思うのは、流石に趣味が悪いだろうか。
いや、間違いなく悪いんだろうが。ちょっとくらいは勘弁して欲しい。
彼女がうちに来てからこっち、ずっと俺の心臓の調子がおかしいのだし。お返し、というにはなんというかこう、微妙だけれども。
「は、はい、その通りです。おっしゃるように、私でもロイド様のお役に立てるのでは、と」
「なるほど。……確かにそれはその通りです。あそこを単身踏破した時は、神経がすり減ってしょうがなかったですし」
思わず遠い目になりながら、俺は当時のことを思い出す。
我ながら大分無茶をした、という自覚もある。
最悪に最悪が重なれば『帰還石』が発動しない可能性もあった大型の魔物を相手しながら、煩い小型の魔物もケアしないといけない道中。
久しぶりに死を覚悟したし、そのおかげで磨かれたところもあった。
だが、流石に二度は御免だと、あれから足が遠のいているダンジョンでもある。
……しかし、現状を考えれば、俺自身を鍛えなおす必要が生じているのも事実だろう。
あのダンジョンを周回して稼ぐことが出来るのならば。
そして、サラ嬢とならば。
「それがサラ嬢とであれば、あのダンジョンですら楽勝かもしれません」
彼女が快刀乱麻の活躍をしているだろうところを想像すれば、思わず笑ってもしまうのだが。
そんな俺を、サラ嬢は驚いたように目を見開いて見つめていた。
……あれ、そんな怖い顔してたか? とか思ったところで、彼女が口を開いた。
「その。わ、私は、足手まといにならないでしょうか? ロイド様のお役に、立てるでしょうか?」
とても不安そうに。それでいて、その奥に決意を秘めたような顔で。
うーむ、こんな顔をさせてしまうとは、俺の不徳の致すところ。
彼女に対する評価をもっと率直に伝えていればよかったのだろうか。
そう思えば、俺の口が勝手に動いていた。
「役に立てるどころか。俺の背中を預けられるのはサラ嬢だけだとすら思っていますよ」
これは、掛け値なしにそう思う。
だからさらっと言ったつもりだったのだが。
何故だか、サラ嬢は硬直し、口をパクパクと動かすだけになり。
それから数秒後、かぁっと顔を真っ赤に染めた。
……なんで!? 今のどこにそんな反応するところがあったんだ!?
困惑する俺と、言葉を失ったサラ嬢。
数秒か、数分か。
お互い何も言えなくなった時間が、いつの間にか過ぎて。
「そ、そのようにロイド様から評価していただけているのは、私としてはとても光栄です。
であれば……一緒に行っていただけますでしょうか?」
「え? ええ、それは、もちろん」
サラ嬢の言葉にまだ困惑を残しつつも頷けば。
……無駄に良い俺の目は、彼女がテーブルの下で拳を握り、ささやかなガッツポーズをしたのを捉えていた。
なんで? なんでそんな反応なの??
そんな俺の疑問が解消されることはなく、そのまま話題はダンジョン攻略の準備へと移っていったのだった。
……話がそれだけで終わればよかったのだが。
その夜、帰宅した親父に俺が昼間の様子を伝えたことで、話は急展開を迎えた。
「そう、か……。ならばマルグリット子爵と先々の話をしてこなければならんな」
邸宅内にある執務室、厳かな口調で親父がそんなことを言い出した。
「は? ま、待ってくれ、どういうことだ? いや、サラ嬢と二人でダンジョン攻略となれば、もちろん許可をもらいにいくつもりだったんだが……なんでそんな顔してんだ?」
普段から厳めしい顔をしている親父ではあるが、こうも覚悟を決めたような表情は珍しい。
そんな俺の、ある意味で当然とも言える問いかけに、親父は一瞬だけ眉を動かした。これは、驚いた時の動きだ。
そんなことを思っているうちに、親父は何やら思い至ったらしく、ふぅ、と小さくため息を吐き出した。
「そうか、お前は知らなかったんだな。……私が母さんへとプロポーズした時の言葉が、『お前に私の背中を預ける』だったのだ」
「……は? え、は、はぁ!?」
完全に予想外な言葉を受けて、俺は思わず悲鳴のような声を上げた。
確かにうちのお袋は、全盛期を過ぎた今でも俺でさえ手を焼く使い手ではあるんだが。あるんだが!
いやいや、まて、まってくれ!? いや、まさか!?
「ま、まさか、サラ嬢はそのことを、知っていて……?」
「……私がそんなプロポーズをしたことは、当時軍部を中心に語り草だったからな……少なくともマルグリット子爵は知っているだろう。
そして子爵ならば、サラ嬢に伝えていてもおかしくはない」
からかう色が全くない親父の言葉に、俺は膝から崩れそうになってしまう。
それは、つまり。
「サ、サラ嬢からすれば、俺がプロポーズしたみたいに見えている……?」
「だろうな。そして、既に子爵へと報告済みだろう」
愕然としている俺へと、親父はどこか憐れむような目を向けてくる。
……それでいて、止める気配が、ない。
「……親父としては、家としては、彼女と、マルグリット子爵家と縁続きになることに問題はない?」
「むしろ最善手の一つですらあるな。諜報に長けた家と縁続きになる上に、次代の王妃と間接的に縁を繋げるわけだから」
「そ、そう、か……そう、だよなぁ……」
言われてみれば全くその通り。
グロスヴァーグ伯爵家としては文句のつけようがない縁談。
その上、俺個人の感情として、サラ嬢を好ましいと思っているわけだし。
……いやいや、まてまてまて!?
落ち着け、落ち着け俺!!
「では、話を進めて構わんな?」
「ま、待ってくれ!」
淡々という親父へと、俺はなんとか待ったをかける。
まずい、このまま進むのは何かがまずい気がする! 俺の直感でしかないんだが!
どうする、どうすれば丸く収まる!?
「そ、その、話をするのは構わないんだが……俺自身がまだまだ未熟だし、サラ嬢が俺に幻滅することもあるかも知れない。
だから、正式なあれやこれやは、学園を卒業してから、ということにしてもらえないか……?
その、俺自身の感情は決して否定的なものはない、というところも加味してもらって」
……我ながら、かなり支離滅裂だとは思う。
けれど、この世界、この流れが乙女ゲームのそれに乗っている可能性は、まだまだ否定しきれない。
であれば、サラ嬢と婚約を結んだ途端俺がおかしくなる可能性だって、捨てきれない。
これで俺がおかしくなって、サラ嬢を悲しませるだなんて、想像もしたくない。絶対に避けたい。
流石にそこまでは口に出来ないが。
……どうやら、親父には伝わったらしい。
「……わかった。前向きに、しかし慎重に進める方向で子爵と話をつけておこう」
そう言ってくれて、俺は心底安心した溜息を吐き出したのだった。
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