公爵令嬢は気取らない
柄にも無いことを呟いた俺は、気を取り直してジョシュアの部屋、つまり王子様の私室へと向かったのだが、そこには先客がいた。
「あらロイド様、ごきげんよう」
俺に声を掛けてきたのは、一人の少女を従えた麗しきご令嬢。
腰に届くほどに長く伸ばした金色の髪に菫色の目をした彼女は、最近ジョシュアの婚約者になったテレーズ・ヴィオリトゥ公爵令嬢である。
落ち着いたブルー系統のドレスを纏った彼女は、そこから伺えるようにどちらかと言えば控えめな性格。
ただ、能力は極めて優秀で、ジョシュアの婚約者になってからはこうして一緒にジョシュアの勉強を見ることが増えてきた。
ミドルネームがないことからわかるとおり、彼女のヴィオリトゥ公爵家は、王族の血が入っていない。
というのも王族が臣籍降下して興した家ではなく、北方国境を守る建国以来の重臣で、功績を重ねて今の地位にあるそうだ。
そのため当主を始め一族は優秀な人材が多く、テレーズ嬢もその例外ではない。
ジョシュアと同い年で優秀、見目も良く、高い魔力も持っている上に火属性で王家の血は入っていないから血が濃くなりすぎる心配もない、ということで割と早い段階で打診はされていたようだ。
この国では、極論を言えば王は『祭礼』を恙なく実施することさえ出来ればいい。
それもあってかそれ以外の実務能力はそこまで求められず、その分王妃や家臣達が行政機能のかなりの部分を担うことが少なくない。
……むしろ国王に担わせないようにして実権を握ろうとしている人間も、きっといるんだろう。
だからジョシュアの教育はどうにも甘さがあり、テレーズ嬢は早い段階で打診はされつつも教育の成果が見えてくる12歳くらいになってようやっと婚約者に選ばれたわけだ。
そんな彼女に段々戦友のような親しみを覚え始めていた俺は、声をかけられてにこやかに笑顔を返した。
「こんにちは、テレーズ様。今日はお一人ではないのですね」
そう言いながら、彼女の後ろに控えている少女に目を向ける。
年の頃は俺達と同じくらい、黒髪を結い上げてシンプルな濃い藍色のドレスを着ているのを見るに、使用人だろうか。
それにしては随分と若いが。
「ええ、こちらはサラ・マルグリット子爵令嬢。いずれはわたくしの侍女となってもらう予定なのですが、今は見習いとして付いてきてもらっているのです」
なるほど、と納得している俺の前でサラ嬢が頭を下げる。
公爵令嬢の侍女見習いになるだけあって、この歳の子爵令嬢にしては随分と洗練された動き。
この子もまた優秀なんだろうなぁ。
「ご紹介いただきありがとうございます。マルグリット子爵令嬢、私はグロスヴァーグ伯爵家の長子、ロイド・グロスヴァーグと申します。どうぞお見知りおきを」
「グロスヴァーグ伯爵令息様、お噂はかねがね伺っております。サラ・マルグリットでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
俺が名乗れば、彼女もまた改めて自己紹介をしてくれた。
顔を上げて向けてくる視線は落ち着きと知性に満ちていながら、それでいて不躾な強さがない。
テレーズ嬢とは別方向でよく出来たお嬢さんのようだ。
「本日は、彼女も殿下との勉強会に参加させていただこうと思いまして。殿下のお許しはいただいておりますが、ロイド様も構いませんか?」
「ええ、それはもちろん。テレーズ様の侍女となられる方でしたら、知っておいた方がいいことも多いでしょうし」
「お許しいただきありがとうございます」
問われて、断る理由もないどころか、むしろ断る方がデメリットしかないので快く承諾したら、サラ嬢がすっと頭を下げ礼を言ってくる。
うーむ、感情がほとんど顔に出ないな。となると普段からかなり躾られてる?
「的外れだったら申し訳ないのですが……もしやマルグリット子爵家は、ヴィオリトゥ公爵家に仕える侍女や執事を数多く出している家だったりします?」
思いつきで言ってみれば、二人の動きが止まる。
よく見れば二人とも目がちょっと見開かれているあたり、多分驚いているんだろう。
感情の動きを抑えるという淑女の嗜みを、テレーズ嬢並みに出来るんだな、サラ嬢。
ってことは、当たりか。
「そ、その通りですが……よくおわかりになりましたね?」
「わかった、という程に明確な根拠があったわけではないのですがね。
サラ嬢の所作や落ち着き具合が、その歳の子爵令嬢にしては行き届き過ぎているなと思った次第でして」
「なるほど、そういうことでしたか……流石はロイド様、としか言いようががないですね」
納得半分、苦笑半分といった顔でテレーズ嬢は笑う。
サラ嬢は……表情を消してるけど、まだ若干驚きが残ってる感じだな、これ。
なんでこんな推測が出来たかと言えば、この国の女子教育は身分による格差が大きいから、というのが理由だ。
王家や外交に出る可能性がある高位貴族の令嬢には幼い頃からがっつりと家庭教師が付く。
具体的に言えば、侯爵以上と金がそれなりにある半数くらいの伯爵家がそれに相当する。
何せ結婚してしまえば、さっき言ったように王妃は政治の中枢でバリバリ働かないといけないし、高位貴族家でも家の中を取り仕切る女主人として扱う家計は桁が違うし、領地経営にも絡まないといけないこともある。
当主が外交に出る時は一緒にいって外交に参加しないといけないことだってあるのだから、生半可な教育では使い物にならないし、そもそも結婚することすら危ういのだ。
これが子爵以下になると、女性が活躍する場は一気に減る。金持ちな一部の家はともかく、貧乏な男爵家など通いの使用人が一人二人、下手したら全て自分達でやらないとなんてこともあり、女主人として振る舞う場などほとんどない。
そのため、子爵以下の貴族令嬢は嫁入りに必要最低限なだけのマナーや教養しか身に付けないし、その教育も数年あれば十分なので、まだサラ嬢くらいの年齢だと本格的には始まっていないことが多いのだ。
例外的に、魔力が高い女性が魔術師として、あるいは武家の女性が女性を警護対象とする護衛騎士として、王家や騎士団に仕えることもあるんだが、そんなに多くはない。
正直なところ、特に魔術師は適性のある女性はもっとたくさんいると思うのだが……女性はそういうものという固定観念の影響が大きいんじゃないかと思う。
こういったところは、そういう時代だから仕方ないところもあるので、ケツの青い若造でしかない俺にはどうしようもない。
めっちゃもやもやするけど。
……いや、前世でもそういう親戚いたな……女の学歴は嫁入り道具とか抜かしてたじじいが。
そういや医者になった従妹も、父親から能力は評価されずに跡取りの婿を取ることだけ要求されてたし……。
あいつどうしてるかな、幸せになってりゃいいんだが……もう確かめようもないもんなぁ。
いかん、思考が流れすぎてちょっとセンチな気分になってしまった。
話を戻すと、そういうわけでサラ嬢の所作や立ち居振る舞いは、子爵令嬢としてはかなり特異なものなのだ。
後まあ、それだけじゃなくて。
「ついでに言えば、護身術……よりもっと物騒な技術を習ってませんか?
多分短剣術に投擲術。スカートの左右に三本ずつ……っと、これは言わない方がいいですね」
さらっと俺が指摘すれば、今度こそ二人は完全に固まってしまった。
やたらと良い姿勢を支える鍛えられた体幹、長いスカートに隠れてわかりにくいが前後左右に重心が崩れないよう神経が行き届いている足さばきに周囲への目の配り方。この歳にしては相当武術を仕込まれている人間のそれである。
使用人、というか公爵家の人間の側仕えとして育てられた人材なんだから、主を守るためにそれくらい身に付けていてもおかしくない。
ただ、普通の令嬢、侍女に擬態するようにもしていたんじゃないかな、多分。
サラ嬢の名誉のために言うが、その擬態は決して低いレベルのものじゃない。ないんだが、まあ、相手が悪かったと思ってもらいたい。こっちも鍛えてるからな。
等と考えている内に動揺から立ち直ったらしいテレーズ嬢が小さく咳払いをした。
「おっしゃる通りです。マルグリット家の者には代々我が家の使用人となってもらっておりまして……ちょうど同じ歳に生まれたサラには、わたくしの側にいてもらうためにそういった教育も受けているのです」
話を聞くに、公爵家や侯爵家は、そういう使用人を出すための家をいくつか囲っているそうな。
まあ、あれだけ物理的にも政治的にも経済的にもでかい家々だ、護衛兼側仕えも身元がしっかりしている上に能力も高くないといけないのだろう。
ちなみに、お察しの通り我がグロスヴァーグ伯爵家には、そんな家はない。守られようと思うな、お前が守れって家だし。
そうでなくても、そもそも高位貴族といっても侯爵以上はやっぱり別格なんだなと思う。
しかし、幼い頃から侍女となるべく育てられた……か。
そういう世界、そういう時代であるのはわかっちゃいるし、なんなら俺だって騎士となるべく育てられた。今はジョシュアの側近となるべく育てられてるが。
それでも俺はまだ選択肢がある方だから、ましというもんである。
いや、サラ嬢もこれだけ教育を受けていれば、いずれ来る様々な人生の岐路において選択権を持てるかも知れない。
「マルグリット子爵令嬢……あなたのその所作や立ち居振る舞い、今まで多くの研鑽を積まれてきたのでしょう。今後ともよく学び、どうかその能力を遺憾なく発揮してください」
「は、はい? ええと、お言葉、痛み入ります……?」
いかん、やっぱり微妙にセンチメンタルが抜けきってない。
いきなりこんなこと言われたら、そりゃサラ嬢も面食らうわな。
しかしまあ、それでも。
仮に、『いきなり何上から目線でおっさんくさい事言ってるんだ』とか思われたとしても。
彼女やテレーズ嬢が活き活きと力を発揮出来る世界であって欲しいと願わずには居られない。
なんせ俺は、男というだけで彼女達よりもそういう意味では恵まれているのだから。
後まあ、精神的年齢が高めだから、というのもあるかも知れないが。
「ふふ、ロイド様は、時々年長者のようなことをおっしゃいますよね」
とテレーズ嬢が楽しげに笑っているが……それって、やっぱり言ってることがおっさんくさいってことか?
そうじゃないと思いたい。仮にそうだとしても、好意的な評価であると思いたい。
好意的に評価されるおっさんくささってなんだ、などと愚にも付かないことを思いながら、俺はその場を適当に誤魔化した。