黒幕侯爵は愚考する
※今回は三人称視点で、ロイド達とは別の人物の話になります。
かなりの嫌悪感を覚える可能性がございますので、お気をつけください。
「……オードヴィットの倅が優勝した?」
とある屋敷の中にある執務室で報告を受けた男は、怪訝な顔を見せた。
贅沢で丸まった身体の上に乗る弛みきった顔は、着ている豪奢な服とは釣り合わない品性に欠けるもの。
おまけに悪い意味で幼さが残り、年相応の深みというものも足りていないようだ。
「あれだけ手を回したというのに、それら全てを乗り越えたとでも言うのか。あのヘタレが?」
ハンッと小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
男の知るアレックスは確かに未熟な頃の、ここ最近の出来事で成長した彼ではないのだから、こう評価するのも仕方ないところではある。
別の言い方をすれば、最近の彼を知らない、ということでもあるのだが。
残念ながらこの男に、そんな自分の至らなさに気付けるような謙虚さはないようだ。
「おまけに婚約者を思いやるスピーチをして二人の仲を猛烈にアピールした、だと?
ああもういい、これ以上は聞いても無駄だ。さっさと下がれ」
徐々に苛立ちを見せ始めた男は、それでも爆発する前に報告を止め、報告に来た執事を手で追い払うような仕草をしながら退出を促した。
主の企てが失敗に終わったと肝を冷やしながら報告に来ていた執事は、ほっとした表情にならぬよう顔を強張らせながらそそくさと出ていく。
それを見送った男は、唇を歪めた。恐らく、ニヤけている、らしい。
執事の内心など見抜けぬこの男は、彼が男の不興を恐れて出ていったようにしか見えなかったのだ。
自分の威光で、貴族としての教育を十分に受けているはずの執事ですら怯えて顔を強張らせる。
その思い込みは、男の虚栄心をそれなりは満足させてくれた。
ただし、あくまでもそれなり、でしかないのだが。
「クソが、なんだってこうも上手くいかない。シナリオはどこにいっちまったってんだ」
どっかと音を立てながら背もたれに身体を預け、行儀悪く姿勢を崩して座りながら男がぼやく。
その振る舞いには、気品としての気品など欠片もない。むしろチンピラか何かのようですらあった。
すでにおわかりかも知れないが……彼こそが、ゲッシャロウ侯爵である。
「ここでアレックスが負けてチェスの上手い婚約者との仲が更に悪くなって、そこにヒロインが取り入るって流れだったはずなのに、どうなってやがる。
つか、そのヒロインが全く動いてやしねぇし……どう考えても転生者だろうに、なにやってんだ」
ブツブツと文句を言う彼の脳裏に浮かんでいるのは、言うまでもなくミルキー・ギャラクティカ。
この世界の元になっていると思われる乙女ゲームの主人公であり、その言動から察するに現代日本から転生した魂が入っていると思われる人物。
その彼女が、介入してきていない。なんなら、会場で目撃もされていないらしい。
「アレックス狙いじゃなかったってことか? いや、入学式の時には三人との逆ハーレム狙いっぽい動きしてたしなぁ。
てか、他のヒーロー狙いでも、あの会場にいないのは不自然か」
サマートーナメントの会場には、攻略対象であるジョシュアもグレイもいた。
であれば、どちらが狙いであっても会場には来て何かコンタクトを取ろうとするはず。
しかし、そんな動きは全くなかったという。
「……あいつらのアホっぷりに、蛙化したか?」
王族に対する不敬罪に問われかねないような言葉が、するりと出る。
つまりこの男は、そんな男なわけだ。
あるいは、ゲームのキャラクターであり、人間扱いしていないだけなのかもしれないが。
「あんだけヘタレ揃いってのも中々ないだろうからなぁ。引きの悪いヒロイン様だぜ」
その口から、ぐひ、と下卑た笑いが零れる。
ヒロインであるミルキーを下げて少しばかり溜飲を下げたようだが……すぐにまたその顔は不機嫌なものになった。
「いや、それでやる気なくしたせいで攻略してねぇってんなら、それはそれで問題か。
おかげで婚約破棄の一つも起きやしねぇ」
吐き捨てるように男が口にした言葉をもし聞いた者がいたら、大騒動になったことだろう。
オードヴィット侯爵家よりも劣るとはいえ、仮にもゲッシャロウは侯爵。
その彼が侯爵家同士の婚約破棄を裏で画策していたなどとなれば、両家の協力関係を壊した上でのよからぬ企みがあると思われても不思議ではない。
そうなれば両家との対立、なんなら喧嘩を買われてしまう可能性もあるのだが……彼の頭には、そんな危惧が欠片もないようだ。
「ま、今回のは正直好みじゃねぇから、いいっちゃいいんだが……こうも上手くいかないのは、どうにも面白くねぇな。
俺の介入が証明出来ない程度の介入だったから、甘かったっちゃ甘かったんだが……何かがおかしい。
そもそもあのヘタレ坊やが優勝出来るくらいの腕になってるのがどういうことなんだって話だが」
ぶつくさぶつくさと独り言を繰り返す彼の傍には、誰もいない。誰も近づかない。
彼が呟いている独り言を聞いてしまった使用人が一人、行方不明になったことがあるからだ。
もちろん、ゲッシャロウ侯爵が何かをした証拠など残ってはいない。
だからこそ、かも知れないが。
「テレーズ達か? いや、そこまでゲームと変わっちゃいないはずだ。
なら……」
そこまで考えが巡ったところで、ゲッシャロウ侯爵の独り言が途切れる。
しばし考えて。……浮かんだ可能性を否定はしきれなかったようだ。
「ロイドか。サブキャラの癖に公爵から随分気に入られてるみてぇだし、なんかあるな、こりゃ。
あいつも転生者? いや、サブキャラにそれはねぇだろ。なら、アホの子連中のお守りでスキルアップしてキャラ変したとかか?」
考えを巡らせるも、答えは出ない。
図らずも正解に近づきはしたのだが、彼の思い込みが邪魔をする。
そのことに当然彼が気づくわけないのだが。
「……あいつがいなくなって、シナリオに影響ってあるか? ま、いっか。今でもとっくにシナリオはおかしくなってんだし」
たどり着いたのは、恐らく彼が打つべき手としての正解。
彼にその実感はないのだが。
「あそこの伯爵はどうとでもなるとして……トゥルビヨン公爵に勘付かれるのがまずいか……」
人一人を消そうとしているのに、まるで罪悪感のない声音。
それを零し続けながら、彼は次なる策略を巡らせるのだった。




