侯爵令息は、掴み取る。
そんなこんながありながら、ついに決勝第二局が始まった。
展開は、ある意味予想通りと言っていいだろう。
序盤こそオーソドックスな動きに見せながら、あるタイミングで対戦相手がいきなり妙な手を打ってきた。
だが、なんというか……あれだ、昨日の一戦ほどの効果はなかったらしい。
心の準備が出来ていたアレックスにとっては、脅威ではありつつも致命的なものではなく。
大崩れはしないまま、しかしギリギリのラインでの攻防へと持ち込めていた。
相手が仕掛ける。
アレックスが凌ぐ。
凌ぐ。
凌ぐ。
凌ぐ、凌ぐ、凌ぐ。
「……これは、勝った」
ぽつりと、俺は思わず呟いた。
相手の攻め手が、切れる。
駒の再利用が出来るとは言え、そのリスタート地点はそれぞれの自陣内。
攻勢に出たのであれば、そちらに駒を配置することは攻めの遅滞を意味する。
当然相手もそのことはわかっていて、盤上にある駒で攻め立てていたのだが……ある一瞬から、強引な印象の手が増えてきた。
もちろん、素人相手であれば十分に脅威な手ではあるのだが。
今のアレックスが、その程度で揺るぐはずもない。
「……ここ!」
アレックスがクイーンを動かして、相手の攻め手を断ち切った。
そしてそれは、アレックスが攻めに転じる際にも効いてくる一手。
「くっ、ぐぬぬ……」
相手の若手棋士は、唸りながら長考に陥った。
ここまで見せていたテンポの良さなど、完全になりを潜めて。
まあ、わかる。
これは、完全に予想外の展開だったのだろう。
いや、もしかしたら、この場にアレックスが来ていること自体が予想外だったのかも知れないが。
……そこまでは堕ちていない、と思いたい。
もしそうならば……俺やサラ嬢の実家、マルグリット家の力を拝借してでも、色々とお話を聞かないといけない事態になる。
それは、避けたい。
やる気はあるが。
それでも、避けられるなら避けたい。
だが、必要とあらば忌避するつもりもない。
喧嘩を売ってきたのは向こうなのだ、買わなければ名折れというものである。
つくづく、武闘派貴族ってのもままならないものだ。
などと感慨に耽っている間にも、盤面は動いていた。
……アレックスが主導権を掴んだ形で。
「こ、れは? ええと……アレックスが、優勢?」
ジョシュアが、疑問形ながらも言う。
そう、ジョシュアもわかるくらいに、盤面は傾いていた。
ということは。
「ああ、その通り。終わりだ」
俺がそう言った次の瞬間。
相手が投了し、頭を下げた。
午前の対局を終えて、一対一の五分に戻したアレックス。
俺達はもちろん、アレックスを思い切り称えながら迎えた。
「凄い、凄いぞアレックス!」
ジョシュアは相変わらず語彙が欠如している。
「いやまじ凄いって!」
……グレイも欠如している。
いやまあ。
欠如するくらいの一戦を見せてくれたわけだが。
「……少しくらいは意地を見せないと……その……」
二人に称えられ、アレックスが応じながらも、口籠る。
……ちらり、一瞬だけ視線がシャルロット嬢に向けられたのは、気づかない振りをした方がいいんだろう。
俺は詳しいんだ。いや、嘘だが。
いずれにせよ、この場で俺が言うべきは決まっている。
「ばっちり、見せられたじゃないか。これなら午後も決められるだろ?」
「そう、ですね……うん。決めます。決めてみせます!」
少しだけ遠慮のようなものを残しながらも、力強く。
そう言い切ったアレックスは、今度こそシャルロット嬢をしっかりと見つめて。
……その視線に気付いたシャルロット嬢が、珍しく真っ赤になった。
いやいや、お熱いことで。
なんて思ったんだが、熱いのはこの場の空気だけじゃなかった。
「うわっ、うわ!?」
対局相手が、悲鳴のような声を漏らす。
もちろん本来ならばマナー違反で注意を受ける行為。
だが、審判も軽く窘めた程度で済ませていた。
それくらいに、アレックスの手は鋭く、熱かった。
「……」
カツン、カツン。
間断ないほどに、駒の音が響く。
無言で、ほとんどノータイムにアレックスの手が動く。
序盤こそ、ある程度定石に沿ったものだった。
予想通り、途中で相手が妙な手を打ってもきた。
だが、それはどうにも……それこそ、俺が打った、妙なだけの一手でしかなく。
それを契機に、アレックスの攻めが始まった。
猛攻、ではない。
だが、じわじわと、相手の首を真綿で絞めていくような攻め。
それがほとんど思考時間を使わずに繰り出されていくのだから、相手はたまらないだろう。
忘れがちだが、相手が考えている時間は、自分も考えることが出来る。
しかし今のアレックスは、相手に自分の時間を使わせず、相手の考慮時間は使っている。
もうここまで来ると、趨勢は決まったと言ってもいいんじゃないだろうか。
「……あはっ」
なんて思っていたところで、シャルロット嬢が笑みを零した。
目の端に、光るものをたたえながら。
「シャル、どうしたの?」
それを見たテレーズ嬢が声をかける。
こういった気配りは、やはりジョシュアの婚約者、未来の王妃と言うべきなのだろうか。
そして、シャルロット嬢が返してきたのは……これ以上ないほどに幸せそうな笑顔だった。
「ううん、大したことじゃないの。この盤面、アレクと指したことのある展開だなって。ほら、今も、そう」
シャルロット嬢が指し示した先で、アレックスが淡々と手を動かしていた。
まるで、そこに駒を動かすことが当然であるかのごとく。
「わかる。わかるの。アレクの指す手が言ってる。覚えてるって」
そこまで言われて、朴念仁の俺にもわかった。
アレックスがノータイムで指している理由。
シャルロット嬢が胸を熱くしている理由。
……何よりも、アレックスが必死になっている理由。
「アレクが言ってるの。覚えてる、覚えてるって。あたしと指していた盤面を。……あたしと過ごした時間を、覚えてるって」
そりゃまあ、シャルロット嬢が幸せそうな顔になるはずだよ。
「……もしかして、盤面で盛大に惚気られてる?」
アデライド嬢が言うのも無理はない。っていうか、多分正解だ。
指しているアレックスの顔が、纏う雰囲気が、明らかにいつもと違う。
何かを伝えようという熱を纏った、必死な顔。
ノータイムで指しているのに、きっと頭の中は全速力で……いや、これまでにないくらいの速さで回っているはず。
「……今のあいつになら、一発殴られるかもなぁ」
思わず、そう零す。
それくらいに、今のアレックスは常軌を逸した、鬼気迫るものを発していた。
そして。
「あっ……」
シャルロット嬢が、感極まったような吐息を零す。
その視線の先で。
対戦相手が頭を垂れ、投了を告げていた。
 




