伯爵令息は、朝の運動にいそしむ
翌日。
俺は早起きして、早朝の散歩と洒落込んでいた。
どれくらい早いかと言えば、朝一で始まる決勝戦の三時間前。
日本の感覚で言えば、朝六時というところ。
現代日本であれば通勤する人間も出始める頃合いだが、あいにくとこの世界はのんびりとした時間感覚で動いており、王都にある主要な道だというのに人通りは全くと言っていい程ない。
だというのに、人の気配があった。
「やっぱりなぁ。まったく、仕事熱心なこって」
足を止めて俺がこれ見よがしに独り言を言えば、気配が揺らぎ。
しかし、動きはない。
「バレてんのに、まだかくれんぼか? まあいいや、あんま時間もないし」
そう言いながら俺は、通りから脇へと入る路地に足を踏み入れた。
あちこちにゴミが落ちていたりと、雑然とはしているが普通の路地。
だが、何かが違う。確かに違う。
「こういう時、動物の方が勘付くのかねぇ。それとも単純に鼻が良いのか。
……そこと、そこと……全部で五人か、少ないな」
ある程度踏み込んだところで、俺はわざわざ指さしながら少々声高に言った。
ざわり、また揺らぐ気配。
置かれているゴミ箱だとかガラクタだとかの物陰に潜む、暗い色の衣服を身に纏う怪しい連中。
もうこれだけで、こいつらが何を考えていたかわかりそうなもんだが。
連中が、いきなりその場でバッと立ち上がり。
俺は、大きく後ろに跳んだ。
「なんだと!?」
驚愕したような声が、俺の頭上から聞こえてくる。
こいつが上の方に潜んでいるのに気付いていた俺は、わざと数えなかった。
わざわざ教えてやる必要がないってのが一つ。
そしてもう一つ。
俺が気付いてない振りをすれば、こいつが仕掛けてくると思ったからだ。
そして、実際に仕掛けてきた。
頭上から飛び降りて。
ご丁寧に、他の五人が立ち上がってそっちに意識を引く、なんて手も使いながら。
もちろん気付いていないなら極めて危険な攻撃なんだが、気付いてしまえば避けることは容易い。
それだけでなく、空中に居る間は身動きが上手く取れないというデメリットまで生じてしまう。
いや、普通は数秒で着地するわけだから、大したデメリットにはならないかも知れないが、俺の動体視力と反応速度なら問題ない。
「そいっ、やぁぁぁっ!!」
俺は気合の声を炸裂させながら、拳を振るう。
今までの鬱憤を込めて、全力で。
「グァッ!?」
悲鳴の声を漏らしながら、仕掛けてきた男が吹っ飛び……ゴロゴロと転がったと思えば、立ち上がった。
……ダメージは結構あるが、まだ戦闘能力を喪失しちゃいないか。
男の様子を確認しながら、俺は一瞬だけチラリと袖に視線を落とす。
布一枚、すっぱりと切られていた。掴んでいたら、手首を切り落とされたんじゃないかね、これ。
ほんとは殴るんじゃなくて掴んで捕まえたかったんだが、男は空中だというのに器用に身体を動かしてナイフを振るってきたためそれを断念、殴るのに切り替えたわけだ。
もし掴んでいたら、俺の手首は切り落とされてたことだろう。
「ち、中々やるな……飛ばさず中に残す打ち方したってのに、上手いこと逃げやがって」
俺が一歩前に踏み出せば、連中も一歩後ろに下がる。かなりこっちを警戒しているようだ。
一口に殴ると言っても、相手を殴り飛ばす打ち方もあれば、ほとんど移動させず中に運動エネルギーの大半をダメージとして残す打ち方もある。
掴めないとみた俺は、逃げられないようダメージを中に残す打ち方をしたのだが……相手も大したもの、身体を上手く使って出来る限りダメージが残らないよう食らい、転がって逃げたわけだ。
「流石、侯爵令息を誘拐しようってんだから、腕利きを揃えてきたらしい」
俺の言葉に、ほんの僅かだけ連中に動揺が走る。やっぱり、ビンゴか。
この道は、オードヴィット侯爵家からチェス大会の会場へ向かう経路上にある。
当然、アレックスが会場入りする時にも使う道であり、アレックスに要らんちょっかいを出してる連中が強硬手段を取るなら、ここで仕掛けてくると読んだんだが、大正解だったわけだ、
「几帳面なあいつだったら、試合の一時間前どころか二時間前に会場入りしていてもおかしくない。だからこの時間にはもう張ってるだろうと思ってたらその通りとはなぁ。どうだ? ド素人の若造に気取られた気分は」
なんて挑発してみるも、仕掛けてはこない。
こっちの腕が看破されたか、ただの様子見か。
俺の見たところ、血気に逸った奴が二・三人突っ込んでくる分にはカウンターで仕留められそうなんだが、六人纏まってるところに突っ込むとこっちが危ない。
だから、向こうから仕掛けてきて欲しいんだが。
「アレックスを誘拐して幽閉して、『前日の惨敗に傷ついた侯爵令息が失踪、大会は失格に』なんてのを企んでたんだろ? 後で生きたまま解放すれば、事なかれ主義な家だったらその噂に乗るだろうし」
この国の貴族の考え方だと、誘拐されるような護衛しか付けられないのは家の恥、ってことにされかねない。それも侯爵家となればなおのこと。
なんせスキルだなんだで個人の戦闘力差が大きい世界だ、金を積めばとんでもない腕利きだって平気で雇えてしまう。
だから、誘拐されましたと公言して捜査をするのは自分から恥をひけらかすような行為であり、殺されたならともかく、無事に帰ってきたのなら口を噤んでしまう貴族がいてもおかしくはない。
アレックスの親父さんなら、恥だろうがなんだろうが捜査しそうな気もするが。
しかし、そもそも誘拐されちまったら、アレックスが大会に出られない。
だから昨日、俺が同乗してアレックスを送っていったんだ。
あそこまで徹底してアレックスの勝利を阻もうとしてきた連中だ、こんな手を使ってきてもおかしくはない。
で、仕掛けてくるとしたら帰り道か、行く道か。
帰り道だとその夜に捜査を開始するかも知れんから、可能性は低いと思っていたが念のため。
そして、本命の今朝、早朝の散歩に出かけたらこうして見つかったわけだ。
連中から動揺というか焦りのような気配を感じるから、どうやら俺の仮説は当たりのようだし。
「させねぇよ、あいつの邪魔は。てめぇら全員、ここでおねんねしやがれ!」
雄叫びのような声を上げ、俺は全力を解放した。
身体の奥から湧き上がってくる魔力を全身に巡らせ、身体能力を向上。
さらに表面に張り巡らせて防御力も向上。これで、連中が持ってるナイフもそうそう通らない。
それから、腰に履いた長剣を抜き放つ。
「くそっ、撤収だ!」
と、連中のリーダーらしき男が声を上げ、隣に居た奴が取り出した球を地面に叩きつけた。
次の瞬間、閃光が走り轟音が轟く。
『爆轟石』という、逃走の際に使われる閃光手榴弾と『帰還石』を組み合わせたようなアイテムを使いやがったのだ。
単品で数人分の『帰還石』を起動させるのと同等の魔力を内包するかなり高級アイテムのはずなんだが……あっさりと使いやがった。
「……これで、最低限のことは出来たか」
連中の姿はなく、気配もない。
さっきの轟音を聞けば衛兵が駆けつけてくるだろうから、俺が去った後にまた戻ってくる、なんてこともしないだろう。
アレックスの護衛達もより警戒するだろうし、あいつの誘拐はこれで防げたわけだ。
それからもう一つ。
連中、ひいては黒幕に、なんとしてもアレックスを誘拐しようだとか、殺してでも止めるだとかまでの害意がないことがわかった。これは、ある意味で大きい。
恐らくゲッシャロウ侯爵と思われる黒幕が本気の殺意を抱いているとなったら、オードヴィット侯爵家としても本気で対抗することになる。
そうなれば国内に少なからぬ影響が出るところだったが、それは避けられた。
それは、歓迎すべきことではあるんだが。
「マジで何がしたいんだ、まったく……」
ぼやきたくもなろうってもんだ。
黒幕の動機が、ますますわからなくなったわけだから。
はぁ、と大きく溜息を吐いた俺は、衛兵や住民の目に留まらないよう、その場を後にしたのだった。




