まさかの疑念。
こうして無事一回戦を突破したアレックスは、執務を終えて合流出来たジョシュアとテレーズ嬢の応援も加わる中、次の二回戦、三回戦も突破した。
突破は、したのだが。
「……変ね、相手の打ち筋がおかしくないかしら」
疑問の声を発したのは、テレーズ嬢だった。
実は俺もまさに同じ事を感じていたので、テレーズ嬢の視線を追うようにしてシャルロット嬢の方を見る。
しばし沈黙した後、彼女が返してきたのは首肯だった。
「うん、わかりにくいけど確かに普通の打ち筋じゃない。まだ馴染んでなかったり躊躇いがあったから、アレクには通じなかったけど……」
シャルロット嬢の言う通り、二回戦の相手は俺でも首を傾げる手を打っており、結果としてアレックスに惨敗。
三回戦の相手はまだちゃんとした勝負になっていたのだが、勝負所で繰り出した一手がどうにも首を傾げるものだった。
そして、その一手に近いものを俺は知っている。
「以前、アレックス相手に俺が打った、あいつの弱点を突こうとした手に似てたように思うんですが」
俺がそう言うと、シャルロット嬢はちょっと驚いたような顔になって。
それから、すぐに嬉しそうな顔になる。
「流石ロイドっち、アレクの弱点に気付いてたんだ?」
「まあたまたまですけどね。あいつから愚痴を聞かされつつ指してた時なんですが」
軽く頭を掻きながらあの時のことを説明したんだが、テレーズ嬢やアデライド嬢は素直に驚き、サラ嬢は……表情が動いてないのでどう思ったのかわからない。
で、一人納得顔で頷いてるのはシャルロット嬢だ。
「でもシャルロット様も気付いてたんでしょ? ここしばらくは特訓してたって聞いてますが」
「そそ、気付いてたし、対策はしてたんだけど……それはあくまでも、相手がミスった手が偶然嫌な手になってた、っていう想定だったのね」
「なるほど、最初からそれ狙いで来た相手は想定してなかった、と。っていうか想定しませんよね、わざわざそんな手を打ってくるなんて」
「うん、だってそんなのって、アレク対策を練ってきたってことじゃん? 若手の職業プレイヤーにそんな暇ないはずだし」
と、シャルロット嬢がそこまで言ったところで、沈黙がおりた。
確かに、普通そんなことは考えられない。だが、しかし。
「……サラ嬢、こないだ言ってたアレックスが出場権を金で買った的な噂って、いつから流れてました?」
「……言われてみれば、大会の一週間ほど前から急に、それもアレックス様の耳には入りそうな範囲で始まりましたね」
学院では今みたいに爵位関係なく交流しているが、外に出れば当然爵位に応じた交流というものが生じてくる。
例えば伯爵家の令息である俺は基本的に侯爵家以上の家と交流することは少ない。婚約が絡んできたりするとまた別だが。
だから、そういった上位層の親世代が茶会や夜会で話してる噂話にはどうしても疎くなってくる。おまけに武人肌な親父は社交苦手だし。
そこを利用すると、アレックスの親父さんやお袋さん経由でアレックスの耳には入るが俺は知らない、なんて噂を流すことも理論上可能ではある。
「また、一週間前というのがいやらしいわね……わたくしの家が把握して何か動く前に大会が始まるようなタイミングだわ」
「ちょうど私も、一回戦が終わったその夜に両親から聞いたし……そんな調整をしてまで噂を流して……?」
テレーズ嬢が珍しく不快感を滲ませながら言えば、アデライド嬢も困惑したような顔になる。
この二人がこんなに感情を見せるのは珍しいが、それだけアレックスのことを気に掛けてくれているということだろう。仲間内の話だからマナーがどうのと咎める人間もいないし。
しかし、これはかなり面倒な状況じゃないか、もしかして。
「同格のガルデニア侯爵家も事前に把握してなかったということは、かなり限定的に、かつ意図的に流されている、ということでは」
「それってつまり……そんなことが出来る立場の人間が、わざわざアレックスに揺さぶりを掛けたってことか!?」
話の流れが速すぎたのかあわあわしてたジョシュアが、ここで追いついたらしく驚きの声を上げる。
……これがこんな状況じゃなければ、こいつも成長したなと喜ぶところなんだが……それどころじゃない。
なんせそんなことが出来るのは侯爵家以上。しかも、その当主だとかいわゆる大人の貴族じゃなきゃできっこない。
「……なんで? なんでそんな人が、アレクの邪魔をするの……?」
当然、シャルロット嬢はそこまで思考が辿り着いているわけで。
今まで聞いたことのない彼女の声に驚いて振り返れば……今にも泣き出さんばかりの顔になっていた。
「なんで、どうして!? アレク、頑張ってるんだよ!?
そりゃ他の人だって頑張ってるけど、アレクだって負けないくらいに頑張ってるのに!
どうしてアレクだけを狙うの!?」
「シャル……」
感情が高ぶるあまり、ついにシャルロット嬢の目から涙が零れ始め、たまらずテレーズ嬢が抱き寄せて慰める。
彼女の胸に顔を埋めながらも繰り返されるシャルロット嬢の「なんで、どうして」という問いに、俺達は返す言葉が無い。
なんせ、ほんとにわからないからだ。
こんな手段であいつを負かしたところで、ここにいる選手は大体あいつより格上だ、名声が上がるわけでもない。
となると私怨の線になるが、あいつは学内かシャルロット嬢相手にしかほとんど指してないから、チェスの恨みという線も考えにくい。
アレックスの家、オードヴィット侯爵家に対する攻撃としても首を傾げるところ。
別にチェスで身を立ててるような家でもないから、アレックスが負けたところで家の名誉が傷つくわけでもない。
「強いて言うなら、例の噂に加えて惨敗させることで『噂は本当だった、オードヴィット家はそんな下劣なことをする家なんだ』と吹聴することは出来るかも知れませんが……」
「いくらなんでもそれは、ここまで手が込んだことをする手間と得られるものが釣り合いません」
「ついでに言えば、一回戦の結果もあるから、それが有効打になるとも思えないし……」
俺が憶測を述べるも、サラ嬢、ついでアデライド嬢に否定される。うん、俺もちょっとどうかと思ったし。
となると……本気でわからん。いや、後はもうこれしかない。
「となると、アレックス個人への攻撃……それこそなんでだって話になりますが」
「次期宰相の座を狙って……というのもありえないですし」
まだアレックスが戻って来てないから言えることだが、サラ嬢の言葉には申し訳無いが全員が頷いた。
あいつはその知識量を生かす職につくべきで、色んなとこに目を配る必要がある宰相の任は、言ったら悪いが向いていない。
……ていうか俺が最有力候補に挙がってるのはちょっと何とかして欲しいんだが。
ともかく、侯爵以上の立場の人間がそのことをわかっていないとは考えにくい。
「……これ以上考えても答えは出ないでしょうね。情報を集めないと」
俺が言えば、皆頷いてくれた。
いくら何でも、想定外過ぎて情報が足りないにも程がある。
少なくとも、相手は誰なのか把握しないと。
「まずは学院の棋譜閲覧記録を調べましょう。直接本人が調べに来たとは考えにくいですが、調べに来た人間を辿っていけば」
「では、辿っていくのは私の方でやりましょう」
「それならわたくしは、噂がどう流れてるかの把握に努めます」
アレックスがどんな打ち手か、調べようと思えば学院の棋譜を閲覧するしかない。
誰が閲覧したのかがわかれば、そこから先はサラ嬢のツテで調べられる可能性はある。
社交界の話はテレーズ嬢やアデライド嬢に任せるのが一番。
「なら……私は大会の運営に何か圧力がかかっていなかったか調べてみよう」
「俺は親父が何か知ってないか聞いてみる!」
運営に聞き出すなんてのは王子であるジョシュアが一番だろうし、色々知ってそうなケビンおじさんことトゥルビヨン公爵にグレイから聞いてもらうのはありだろう。
「え、じゃああたしは……?」
動き出した俺達を見ながら、まだ若干元気が戻ってないシャルロット嬢が心細げに言う。
彼女には、一番重要な役割があるんだよな。
「もちろん、アレックスの相手をしてください。少しでも隙を埋められるように。
これはシャルロット嬢にしか出来ないことですからね」
そう言えば、皆もその通りとばかりに頷いて見せる。
……何かこう、友情ってやつを感じるのは俺だけかな?
いや、俺だけじゃないな。少なくとも一人には伝わった。今一番伝えたい人に。
「みんな……ありがとう!」
そう言ってシャルロット嬢は、まだ涙に目を潤ませながらも、いつものような笑顔を見せてくれたのだった。




