侯爵令息の憂い
倒されたコマが再利用できるけれども、いつまでも粘れるものではない、とは言ったが、やはり長引く時は長引くので、この世界の『チェス』は持ち時間が短く設定されていることが多い。
ちなみに今やっていたのは持ち時間10分の早指し。
持ち時間は分単位で消化され、1分以内に打てばそれは時間を使ったことにならない。
例えば10分持っている時に1分30秒考え込んだら、8分にはなってないので10分から9分に減るだけで済む。
これでも上級者同士でやれば1時間くらいかかることもある。
ヘボ同士だと一瞬で終わるが。
で、俺がヘボ寄りであるのに対してアレックスはかなりの上級者だから、本来ならアレックスが時間切れで負けるなんてことはほぼほぼないはずなのだが。
「なるほどなぁ、アレックスにこんな弱点があったとは」
こうして目にしてしまえば、納得である。
異様な程に集中力が高いせいで視野狭窄に陥りやすい性質と、類い希な記憶力に対してあまりにアンバランスな頭の回転。
これらの性質を持つアレックスであれば、セオリーから大きく外れた意味のわからない手に混乱した挙げ句チェスクロックに目がいかなくなるのはある意味当然かも知れない。
「くっ、この僕としたことが、ロイド相手に時間切れなど……」
「いやまあ、確かにそうなんだが、もうちょい言葉を選びやがれ?」
心底悔しそうに言うアレックスだが、実際対戦成績は俺が圧倒的に負け越してるんだからそうなるのもわかる。
アレックスが『チェス』を覚えたての頃は良い勝負してたんだが、いつ頃からかはまったらしく、ぐんぐんと強くなっていった。
おかげで今じゃ俺も相手にならず、たまーにアレックスの調子が悪かった時になんとか勝ちを拾うのが精々である。
だから俺としては久しぶりの勝利なんだが……ちょっと素直には喜べない。
「まあ、今日のこれは事故みたいなもんだしなぁ。もう一度同じことをやれと言われても多分無理だし」
「……ロイドでも無理ですか。やっぱり、普通は無理ですよね」
ぼやくように俺が言えば、アレックスががくりと肩を落とす。
なんだこの反応? と思っていたら、大きく息を吐き出した。
「今みたいな手を、毎回打ってくるんですよ、シャルは。どうしたらいいんですか、あれ」
「いや、俺に聞かれてもわかるわけないだろ。つかシャルロット嬢そんなに強いのかよ」
俺が聞けば、こくりと沈鬱な顔でアレックスが頷く。
「ここのところは特に酷くて、目下三十五連敗中です」
「三十五!? アレックスが!?」
横で聞いていたグレイが大きな声を上げたが、無理もない。
ジョシュアも固まってるし、正直俺も絶句している。
俺含めてここにいる連中全員がまともに相手出来ないくらいアレックスが強いというのもあるが、それだけではない。
「……アレックス、今度のサマートーナメントに出るんだったよな?」
「ええ、ありがたいことに出場権をいただけました」
ジョシュアに問われて、アレックスはこくりと頷く。どうにもすっきりしない顔で。
サマートーナメントは、若手チェスプレイヤー達の登竜門的大会。
夏場、暑さが思考の妨げになるからとトッププレイヤー達のリーグは夏休みに入る。
その期間中に体力のある若手達が腕を競い、アピールする場として行われるのがサマートーナメントだ。
「すげーよな、プロになる奴とか出てくるんだろ? そんな大会に出られるなんて、アレックスやっぱすげえな!」
「ここで目立ったらパトロンも付きやすいっていうし、その分必死な奴も多いだろうに、その中でだからなぁ」
「正直に言えば、そんなところに僕が出るのは申し訳無い気もするんですがね」
盛り上がっているグレイをよそに、何とも複雑な表情になるアレックス。
この国では、『チェス』のプロという存在は、正確に言えば存在しない。
プロ資格を認定するような連盟、協会のような組織が存在しないからだ。
しかし、『チェス』で収入を得て十分に食っていけている人間はそれなりにいたりもする。
彼らの多くは子爵家や男爵家、中でも領地を持たない宮廷貴族の次男三男だとかであり、若い内は親のすねを囓りつつ『チェス』に打ち込むことが出来るが成人後は自立しなければいけない立場でもある。
自立のためにはツテを使ってパトロンを見つけたり、名を上げて高位貴族お抱えの『チェス』指南役に就くのが手っ取り早く、このトーナメントは顔を売るのにうってつけなわけだ。
逆に言えば、領地もあり親が国の重職にあって、散財しなければ数代は食っていける立場のアレックスが出る必要はないわけで、アレックスとしてもそこが引っかかるところではあるのだろう。
「しかし、学内予選を勝ち上がって正当な手段で出場権を勝ち取ったんだから、胸を張って出ればいいんじゃないか?」
「それは、そうなんですが……」
ジョシュアが問うも、やはりアレックスの顔は冴えない。
この王立学院には貴族の子弟が通っているわけだから、当然『チェス』で食っていこうという子爵や男爵の次男三男達も通っている。
その彼ら相手に勝ち上がって学院の生徒に割り当てられた枠を勝ち取ったんだから、アレックスも相当なもんだ。
わかる人にわかる表現をすれば、囲碁の院生や将棋の奨励会員相手に普通の学生が勝つようなもんだからなぁ。
いや、あそこまで成熟した制度はないから、レベルは現代日本のそれに比べたら低いのかも知れないが。
しかしそれでも優れた腕を持つのは間違いないはずである。
「そのアレックス相手に、シャルロット嬢は三十五連勝してんのか……」
「あ~……だよ、なぁ……すげーな、シャルロット」
さっき俺達が固まったのは、そういうわけである。
『チェス』で食っていこうとしている連中相手にも引けを取らないアレックス。
そのアレックスを手玉に取るシャルロット嬢。
となると、彼女の強さは一体どんなものなのか。
「……正直に言うと、僕よりもシャルが出場した方がいい、むしろそうであるべきだと思っているくらいなんですが……」
「トーナメントどころか、学内予選すら女性は出場出来ないからなぁ……」
なるほど、すっきりしない顔の一番の原因はそれか、と思わず納得してしまう。
他の国がどうかは知らないが、少なくともこの国で『チェス』を生業としている女性はいない。
平民女性は十分な教育を受けられないし、貴族令嬢や夫人は、嗜み程度ならともかく、『チェス』などの勝負事に打ち込むのははしたないとされているため、目立つ場所で腕を披露することがない、というのが大きな理由だ。
もっとも、大会運営側はそういった事情をすっ飛ばして「参加に値する程強い女性がいないから」なんて言ってるわけだが。
結局、根強く蔓延っている『女性はそんなことをすべきではない』『競技や勝負事は男がすること』という社会通念が一番のネックなんだろう。
「な~ジョシュア~、王太子権限で女性枠とか作れねーの?」
「作れなくはないと思うが、少なくとも今年のトーナメントに間に合わせるのは無理だな……」
気の毒に思ったのか、表情を曇らせながらグレイが聞くもジョシュアは目を伏せながら首を振る。
何せ既に出場者も全員決定しており、大会開催に向けてあれこれ動いてる最中だ、前例のない、しかも猛反発を食らいかねない変更を押し込むのはかなり難しい。
「それに、仮に出場出来たとして……シャルロット嬢への風当たりは相当強くなるぞ。
勝たなきゃボロカスに言われるだろうし、勝ったとしても相手が手を抜いただとか、いわれのない中傷を受けかねない」
「なんだよそれ!? ちゃんと勝ったんなら、ちゃんと認めりゃいいじゃん!」
「わかる人間なら真剣勝負の末の勝利だとわかるんだろうが、わからん奴にはわからんし、そもそもわかろうとしない奴も少なからずいるからなぁ」
グレイは納得出来ないようだが、残念ながら相手を悪し様に罵るチャンスを窺っている輩はそれなりにいる。
そういう連中にとっちゃ勝負がきちんとしたものだったかなんてどうでもよく、ただ気分よく罵倒できればいいってんだから始末に負えない。
反論しようにも、連中に聞く耳なんて上等なもんはないから、時間の無駄にしかならんし。
「シャルの平穏のためには、波風立てない方がいい、ということですね」
「ああ。お前には納得いかないことかも知れんが」
「……それは、そう、なんですが……だからといって、じゃあどうしたものか……」
溜息を吐きながら、アレックスはクイーンの駒をコトリと動かす。
中央付近に置かれた彼女は、どこか所在なげに見えた。




