侯爵令息は歯が立たない
※長らく放置して申し訳ございません。
ひっそりと再開いたします。
また、いきなりロイド視点ではなく第三者視点となります。
新章のプロローグのようなものだと思っていただけたら……。
「ほい、王手~」
カコン、と小気味良い音を立てながら、やや童顔な少女、シャルロットが金色のツインテールを揺らしながら動かしたクイーンによって、ナイトのコマが押しのけられた。
そのまま慣れた手付きで側に置いてあるチェスクロック、互いの持ち時間を管理する道具のスイッチを押せば、手番が回ってきた相手が苦悶の呻きを上げる。
「くっ、王手……これ、は……」
震える手でナイトのコマを盤上から取りのけた少年、アレックスはそれ以上に震える声を出しながら忙しなく盤上のあちこちへ目を走らせる。
盤上の向こう側では、彼の婚約者であるシャルロットがニマニマとした笑みでアレックスの様子を眺めているのだが、必死に手を考えるアレックスには気付く余裕などない。
顔を真っ赤にしながら目を血走らせる様子は若干怖くすらあるのだが、それを見慣れているシャルロットは気にした様子もなく。
二人は言葉を交わすこともなく、カチ、カチとチェスクロックの立てる小さな音だけが響くことしばし。
「あ、ありません、僕の負けです……」
とアレックスががくりと肩を落とした瞬間、チェスクロックも時間が切れたことを知らせるチリリという金属音を立てたのだった。
「くぅ……また、負けた……」
項垂れたままアレックスがチェスクロックのアラームを止める。
とても残念なことに、その手付きはすっかり慣れてしまったもの。
それもそのはず。
「んふふ~、これであたしの三十連勝だっけ?」
得意げに笑うシャルロットに、ぐっとアレックスは言葉を詰まらせる。
彼女の言う通り、ここのところ負けに負けて三十連敗。
しかも、間に一勝を挟んだだけで、その前もボロカスにやられてしまっている。
通算成績も大きく負け越しており、忘れたくて仕方ないのだが記憶力だけはいいアレックスの頭には五勝百十三敗という数字がしっかり刻み込まれてしまっている。
「シャル、言葉遣い。そんな口調を人に聞かれたらどうするんですか」
完膚なきまでに負けたアレックスとしては、言い返せるポイントはそこしかない。
それが何とも情けなくはあるのだが、実際シャルロットの言動は侯爵令嬢として見た時に少々奔放が過ぎること多々ある。
だが、窘められた本人は、言われ慣れているのもあってか、気にした様子はまるでない。
「いいじゃんいいじゃん、今はあたしとアレクと身内しかいないんだし」
そう言いながらシャルロットが見回せば、目に入ってくるのは彼女の家、ダンドゥリオン侯爵家の使用人達ばかり。
今日は先日迷惑をかけたお詫びの一環として、シャルロットに招かれ茶会という名目で一局付き合わされている。
だから周囲を固めるのは彼女専属の侍女だとか護衛騎士だとかであり、当然口の堅さは折り紙付き。
ではあるのだが。
「確かにそうですが、普段からそんな調子で、人様がいるところでうっかり出してしまったらどうするんですか……」
「大丈夫大丈夫、あたしの猫かぶりの上手さは、アレクが一番よく知ってるっしょ?」
「それはまあ、知ってますが……そんな油断していたら、いつか足下すくわれますよ」
はぁ、と大げさにため息を吐きながら、アレックスはコマを戻していく。
先程まで指していた手を、逆順に。全く迷う素振りもなく。
将棋の棋士は、お互いが指した手を覚えており、逆戻しのように戻っていくことが出来るという。
そして勝負の分かれ目となった場面まで戻ると、そこから互いの考えを言い合うと感想戦というものを行うのだが……。
「あ、アレク、ストップ」
「はい。……え、ここですか?」
シャルロットが声を掛ければ、アレックスの手が止まる。
詰みから遡ること数十手、まだ中盤と言っていい場面にまでいつの間にやら戻っていた。
「そうそう、ほら、この後あたしがこう打ったでしょ?」
「ええ、正直なところ何を意味しているのか全くわからない手でしたが……」
戸惑っているアレックスの目の前で、シャルロットが先程と同じ一手を打つ。
そう、彼らはここから感想戦をしていくのだ。
実はこれは、この国のチェス文化では珍しい。
勝敗が付いた直後は、のめり込んだあまり感情的になっている人間が多いことが一つ。
もう一つは、特にチェスを生業とするプレイヤーの多くが、使わなかった手を明かすことを好まないことが上げられる。
何しろ彼らからすればメシの種だ、使わずに済んだものをわざわざ教えて次の対戦で対策を取られてしまえば、おまんまの食い上げというもの。
あるいは使わずに済んだ手を貴族の子弟に教えて授業料を頂くなどということも出来るのだ、ただで商売敵に教えてやる筋合いはない。
だから、商売敵ではないこの二人の間では感想戦というものが成立している、とも言える。
「出来るだけ無意味に見えるようにって打ったからね~。でもほら、これがこうなってこうなって……で、ここで」
「なるほど、このコマが邪魔になっている……って、これ二十手以上先の話ですよ!?」
アレックスが悲鳴を上げてしまうのも無理はない。
何せ彼らは学生、それもチェスを専門的に学んでいるわけではなく、となればそんな後になってから効いてくる一手などそうそう打てるわけはないのだから。
だが、シャルロットは当たり前のような顔でそれを打った。
「いや~、あたしもまさかこうも上手くはまるとは思ってなかったんだけども」
「なんですってぇぇぇぇ!?」
思わず声を上げる声を上げるアレックス。
本人すらよくわかっていない一か八かの手を、シャルロットは平然と打った。
それは、ガチガチに堅い手しか打てないアレックスからすれば、驚いていいのか嘆いていいのか憤ればいいのか。
「でもアレクも悪いんだよ? 今日の序盤から中盤、先々週にあったマスターリーグの対局丸ぱくりだったじゃん」
「ま、丸パクリではないですよ!? 一応、シャルの動きに合わせて対応もしたつもりです!」
そう言いながらも、アレックスは目を逸らす。
驚異的な記憶力を持つ反面、応用力が極端に欠ける彼としては、あれでも頑張ったつもりではあった。
ただ、その後元に戻そうとして、無理のある打ち方になったのだと、今ならばわかる。
そして、シャルロットは彼以上に彼の打ち筋を理解していた。
「んでも、誤差程度だったじゃん。で、終盤の流れもそのまんまのつもりだったら、この辺に置いたら色々計算狂うんじゃないかな~って」
「た、確かにそのせいで、こっちはまるで攻めが機能せず……って、シャル、まさかあなたもあの対局の棋譜を購入してたんですか!?」
ここまで話をして、今更ながら気がついたアレックスに、シャルロットはそれはもう絵に描いたようなドヤ顔笑顔を見せつけてくる。
この国のチェスプレイヤーの収入源としてパトロンからの支援、対局の報酬、生徒からの授業料以外に大きいのが、棋譜の販売だ。
貴族の教養としてもチェスは重要だが、忙しい貴族家当主などは棋士から教わるなどして学ぶような暇はない。
そのため、どういう手が打たれていったのかを記された棋譜を購入し、そこから学びを得る貴族は少なからずおり、特にトッププレイヤー達の棋譜はそれなりに高額で販売されている。
一応侯爵家嫡男に必要な教養と認められているため、アレックスは予算を使ってそれらをよく購入し、勉強しているのだが……まさか、これはと思った対局のものを、シャルロットも購入していたとは思ってもいなかったらしい。
「あったり前じゃ~ん。あの対局、色々新しい取り組みが盛り込まれてたから絶対アレク好みだって思ったもの。そして、ばっちり大当たりだったし~」
「くっ、ひ、卑怯ですよ!? 僕の好みを知った上で対策を立ててくるなど!」
もう何度口にしたかわからない台詞を、アレックスはシャルロットへと向けて突きつける。
……そう何度も言わされるくらい同じやり方ではめられている、ということに気付くことが出来ずに。
「んふふ、だったらあたしの好みを知った上で対策を立てたらいいじゃ~ん」
「シャルの好みなんてわかるわけないでしょう!? ああすればこう、こうすればこうと、変幻自在に対応してくるじゃないですか!」
叫ぶようなアレックスの言葉に、一瞬、ほんの一瞬だけシャルロットの表情が陰りかけた。
だが、続く言葉を聞けばすぐにまたニンマリとした笑みになって。
「だったら、アレクも変幻自在に対応できるようになればいいっしょ?」
「僕に出来るわけがないってわかってて言ってますよね!?」
等と噛みつくように言いながら、アレックスは手を動かす。
こうしたらどうだと示せば、シャルロットが更に嫌な手を打ってきて手詰まり。
ならばこう、そしたらこう、と延々感想戦は続いて。
「ああもう、わかりました! 僕の完敗です、しかし次は負けません!」
「おっ、いいねぇ、んじゃもう一局いこっか!」
必死な形相のアレックスに対して。
シャルロットの表情は、それはもう楽しげなものだった。
 




