収まるところに収まった、と思いたい
紆余曲折あったほろ苦い冒険から数日後。
「テレーズ、本当にすまなかった!」
王太子執務室にて、ジョシュアは向かいのソファに座るテレーズ嬢に頭を下げていた。
ちなみに俺は護衛としてジョシュアの背後に控えている。
……ほんとに護衛騎士代わりに使われてんな、俺。
「あ、頭をお上げください、ジョシュア様。一体どうなされたのですか?」
座ったと思えばいきなり頭を下げられたテレーズ嬢は大慌て。そりゃそうだ。
何しろほんのつい数日前まで婚約者失格な態度ばかり取っていたジョシュアが殊勝な態度で頭を下げたのだ、俺からある程度報告はしていたが、あまりの変わりように困惑もするだろう。
だがジョシュアは頭を上げず、下げたままだ。
「いや、本当に申し訳ない。そもそも本来ならば私の方から公爵邸を訪問して、頭を下げねばならないところなのに!」
「そ、そこは、ジョシュア様もお忙しいですし、わたくしはついでがありましたし……」
頑なに頭を上げようとしないジョシュアに対し、テレーズ様はオロオロとし始めている。
この方のこんなところ、初めて見たな。
ジョシュアの言う通り、今までやってきたことを考えればジョシュアが公爵邸に赴き、謝罪すべき。
しかし今まではともかく、あの日のショックで強制力がなくなったようで、心を入れ替えたジョシュアは王太子としての教育、執務を真面目にこなし始めたため、本当に忙しくなってしまった。
ついでにいえば、お互いの準備もそこそこに公爵邸で謝罪などしてしまえば、王太子であるジョシュアが頭を下げたことがどこからか漏れてしまう可能性がないではない。
公爵邸の使用人であれば大丈夫かとも思うが、入学から数ヶ月の行いが行いなんで、テレーズ嬢の恨みを晴らさんとリークする可能性がゼロとは言い切れない。
そのため、仕方なく王宮の王太子執務室という国で2番目に機密保持がされる場所で謝罪をすることにしたのだ。
もちろんテレーズ嬢も忙しいのだが、彼女は王妃教育のため王宮に来ることもそれなりに多いため、失礼を重ねること承知の上で、執務室に来てもらっている。
ちなみに、テレーズ嬢の父である公爵閣下には手紙を出し、日を改めて謝罪に伺う段取りを付けている最中だ。
これらは当然ジョシュアが言い出したことではなく、俺の進言と仕切りによるものだ。
「それでもだ。形を整える時間よりもまずは君に謝罪することが優先と考えてこのような形になったが、本来ならば何としても両方を満たす形で謝罪をすべきところを、私の力不足で申し訳ない。
何よりも、今までの不義理、婚約者として、王太子として不適格と言われても仕方ない対応、本当に申し訳なかった。
許してくれとは言わない。だが、心を改めたことを知らせたく、こうして時間を取らせてもらったんだ」
おお、噛まずに言い切ったぞこの王太子殿下。
婚約から五年の付き合いでジョシュアをよく知るテレーズ嬢の驚きはそれは大きく、おろおろと周囲を見回し、やがて俺へと視線が向く。
問いかけるような視線に、俺は小さく首を振って見せるのみ。
言うまでもなく、これは俺が考えた謝罪の台詞……ではない。
ジョシュアにこんな長い台詞は覚えられないし、仮に覚えられても絶対棒読みになる。それも、ダイヤモンド並みにカッチカチの。
俺は、三日ほどかけて懇々と何が拙かったのを説いたのみ。
これらの謝罪の言葉は、説教の内容を踏まえてジョシュアが自分で考えた、心からの言葉だ。
……そう考えると、ちょっとまた鼻の奥がつんとしてくるな……。
付き合いの長いテレーズ嬢は、そこも理解してくれたのだろう。
困惑しきりだったテレーズ嬢は、やっといつもの微笑みを取り戻した。
「……わかりました、殿下の謝罪をお受け致します。ですから、もう頭をお上げください」
「テ、テレーズゥ……」
声の感じからしてわかっちゃいたが、顔を上げたジョシュアは涙を滲ませていた。
見えないところで泣いてたんだ、これはきっと演技じゃない。てか、演技なんて出来るやつじゃない。
それは誰よりもテレーズ嬢がわかっていることだ。
「本当にお変わりになられたのですね、ジョシュア様。いえ、元にお戻りになったと言うか……」
そう言いながら、ジョシュアの執務机を見るテレーズ嬢。
そこには、今まで積まれることなんてなかった書類が山積みになっている。
器用にこなすことは出来ないが愚直にやる、そんな姿を透かし見たテレーズ嬢が目を細めて微笑む。
と、その目が机の上に置かれたあるものに止まった。
「あら……殿下、あの水晶は?」
「え? あ、あれは……」
と、ジョシュアは『アクアクリスタル』を手に入れた経緯を話した。
もちろんミルキー絡みのところはカットである。偉いぞ。
「ということなんだ。調べて見たら、あまり価値のある石ではなかったんだが……」
「何をおっしゃいます。皆様が力を合わせて手に入れた、友情の証……何物にも代えられない、素晴らしい宝ではありませんか」
照れくさいのか、誤魔化すようなジョシュアの言葉を遮るように……いや、遮るというにはあまりに柔らかな声がかぶる。
机の上に置かれた『アクアクリスタル』の欠片を見るテレーズ嬢の眼差しは、本当に優しい。
それから、ゆっくりとテレーズ嬢はジョシュアに向き直って。
「本当に頑張りましたね、ジョシュア様」
労いの言葉と共に、慈母のごとき微笑みを浮かべた。
その笑みは、かつての勉強会で見せていたものそのままで。
テレーズ嬢の言葉が重ねられた瞬間から硬直していたジョシュアは、呼吸すら止まっていて。
数秒ほど、執務室に落ちる沈黙。
それを破ったのは、ひくっとジョシュアの喉が鳴る音だった。
ボロボロとその目から大粒の涙が溢れ出して。
「ぶわぁぁぁぁ! ごめんよテレーズゥゥゥゥ、ごべんよぉぉぉぉ!!!」
みっともなく泣き叫びながら、ジョシュアはテレーズ嬢に抱きついた。
「えっ、ちょっ、お、お待ちくださいジョシュア様っ、こ、このような場所でっ」
お~お~、淑女の鑑と言われるテレーズ嬢が顔を真っ赤にして大慌てである。
ていうか別の場所ならいいんですかとか言いたくなったが、ぐっと我慢。サラ嬢から頭を蹴り飛ばされかねない。
しかし良いのかこれ。婚約者同士ではあるが、年頃の令嬢に令息というか王太子が抱きつくのって。
『止めた方がいいですかね?』とテレーズ嬢に付き添ってきたサラ嬢に目で問いかけてみると、小さく首を横に振って返された。
表情は全く変わってないが、主であるテレーズ嬢の心情を知っている彼女からすれば、この光景はどちらかと言えば歓迎するものなのだろう。
……何を今更とか思われるとこまでいってなくてよかった、と心から思う。
とかしみじみ思っていたら、サラ嬢が何かを目で訴えている。
視線が、扉の方に向かって……なるほど? まあ、すぐ近くで控えてるならいいか?
サラ嬢に小さく頷いて返すと、泣きじゃくりながら何かを言っているジョシュアとそれを宥めるテレーズ嬢に気付かれないよう、足音を殺しながらそっと執務室を出る。
……俺よりずっとサラ嬢の方が忍び足が上手いんだが、これはどう捉えたらいいのかな。
二人して部屋の外に出ると、ドアをほんの少しだけ開けておいて、その左右を守るかのように二人並んで立つ。
これで思う存分二人で話せるだろうし、俺達が見張ってるから他の人からあれこれ言われることもあるまい。
二ヶ月もの間色々おかしかったんだ、テレーズ嬢だって不安もあったろうしジョシュアも色々詫びたいことや伝えたいこともあるだろうし、しばらくは二人きりにするのもいいんじゃないかな。
「やれやれ、何とかあるべき形に収まりそうです」
部屋の中に聞こえないよう抑えた声で俺が言えば、サラ嬢がちらりと横目で視線を向けてきた。
いやもうほんとプレッシャーだったよ、事情を話してるとは言えご令嬢方はやっぱり不安だったろうし、頼ろうと思ってた大人二人は王都にいないから、政治的にどうなるかわかんなかったし。
うちの親父はそっち方面は頼りにならんからなぁ……。
それが、色々ありはしたが、なんとか大きな問題にならずに済んだ。
……ジョシュア達の精神的なショックはあったが……正直、あれは必要な犠牲ではあっただけに何とも言いがたい。あそこまでとは思わなかったから、そこは誤算だが。
あれもいつかは良い思い出になるんだろうか……なんてしみじみしていたら、隣のサラ嬢が小さく笑った。
「そうですね、何とか。これで私もロイド様を蹴り飛ばさずに済みそうです。……ちょっと残念ですけど」
「はは、そんなご冗談を」
冗談だよね? ちょっとだけ本気とかそんなことないよね?
と目で探るも、ほんのりとした笑みを乗せたサラ嬢の表情からは読み取れない。
くっ、やっぱ有能な侍女さんだな、この人。
「なら、今度組み手する時には先に一発入れていいってことにしましょうか?」
「あら、よろしいのですか?」
何で食いついてくるかな、しかも若干嬉しそうに。やっぱ実は蹴りたかったの? 俺にいいの一発入れたかったの?
怖いなぁ、どうもほんとにあれから二ヶ月の間、蹴り技の特訓してたっぽいし。
歩いてる時の足の動きとかが、なんかこう、前よりも更に重心移動上手くなりましたって感じの気配がしてるんだよなぁ……。
だが、男に二言はない。騎士にも二言はない。多分。
「ほんとに意識刈り取られそうだから、正直なところよろしくないと思ってはいるのですが、ご迷惑もおかけしましたし諦めます」
「諦めるだなんてそんな、私のようなか細い女の蹴りなど大したものではないでしょうに」
あ、蹴り技で決めてるんですね。一発とは言ったけど、蹴りをとは言ってないんだよなぁ。
いやまあ、多分そうだろうと思ったし、それも踏まえての覚悟完了だけども。
ま、いっかぁ。サラ嬢も何か楽しそうだし。
「そんなに俺のことを蹴り飛ばせるのが楽しみですか?」
「いえ、まあ、それも楽しみといえば楽しみですけれども」
まじかよ、やっぱりかよ! とは思ったのだが。
そのツッコミを、俺は口にすることが出来なかった。
「ロイド様と二人で組み手をするのが、何より楽しみなんです」
言ってることは、やっぱり物騒なんだけども。
俺に向けてきたサラ嬢の笑顔は、そんな物騒なこと言ってるとは思えないような柔らかさで。
思わず俺は咳き込んでしまい、何も言うことが出来なかったのだった。
 




