まさかの……
髪を切った翌日。
周りの人の反応が気になってドキドキしながら店に入ると。
「え、三浦さん!? どこのイケメンかと思った!」
「ちょっと! やめて惚れる!」
案の定女性社員たちがざわつき始め、店の中が大騒ぎになった。
「えーー! 彼氏と別れるわ!」
「那央ちゃん、ウチの娘の婿に来て!」
髪を切るだけでこの破壊力。
やっぱり私は男に生まれるべきだったのかも知れない。
「でも女性として綺麗だよね。今の方が私は好きだな」
本間さんは冷静に私を褒めてくれた。
そして店長は、
「おはようございます」
「……あら、誰かと思った!」
「あはは、三浦です」
「やだ三浦さんイケメンじゃない! そっちの方が絶対似合うわ!」
「そうですかね?」
「そうよ。あなた中身が女じゃないもの」
「ハッキリ言いますね……。でもそうかも知れないです」
「女じゃないけど男でもないわね。まぁこれ以上はセクハラになるから言わないわ」
店の人たちの反応からして、今の私の容姿は一目見てイケメン認定されるくらいのイケメンだということが分かった。
今のところ希さんは私の容姿に対して無反応だ。だから今の私を見てどんな反応を見せてくれるのかがすごく気になる。
というのは、希さんが私をどう見ているのかがこれではっきりするからだ。男っぽくなったからといって急に惚れたような態度を見せられたら逆に幻滅してしまう気がする。
自分の気持ちが複雑過ぎて訳が分からない。とりあえず、彼女の口から『イケメン』という言葉が出ない方に賭けた。私が惚れた人はきっとそういう人だ。
「あら、あらあらあらあらあらあら! 誰かと思ったわぁ。那央ちゃんハンサムねぇ」
杉本農園の千恵子さんも私の変貌ぶりに驚いていた。その日農園にいた息子さんは「俺の立場がねェ」と言って若干しょんぼりしていた。
「あ、ごめんなさいね。最近はイケメンって言うんだったかしら。すごく似合ってるわよ」
「ありがとうございます」
他の訪問先でも同じようなやり取りを繰り返した。そして今までよりも持たされる手土産が格段に増えた。みんな『似合ってる』と言ってくれるから髪を切ったのは間違いではなかったのだろう。
それにしてもこの2週間は今まで以上に長く感じる。私の気持ちがどんどん強くなっているせいなのだろう。
考えてみたら、希さんと出会ってから半年近くが経っている。春の終わりにセミナーで出会って今は既に晩秋。どおりで最近寒い訳だ。
知り合ってから結構経っているにも関わらず、なかなかお互いの休みが合わなくて、直接会った回数はまだ片手で数えられる程度。それでもここまで仲良くなれたのは、頻繁にメールや電話でやり取りしているせいもあるだろうし、何よりお互いの相性がすごくいいからなのだろう。
この前本間さんから注意された通り、あれからなるべくキリッとした顔で毎日を過ごしている。もちろんキリッとさせているのは顔だけではなく中身もだ。
「那央ちゃん、今って彼氏いるの? あ、もしかして彼女がいるとか?」
「えっ! いや、どっちもいませんが」
「だったらさぁ、合コンとかどう? 那央ちゃんだったら男女全員お持ち帰りできると思うよ?」
通販の作業所で花束をこしらえていた最中、隣で作業していた富永さんがとんでもないことを言い出した。髪を切ってからというもの、店の人と話すと『彼女』というワードがチラホラ出てくる。これはもう私の公式設定ということにしても問題ないかも知れない。
「いや……すみません。苦手なんですよ合コンって。しかもそれじゃ富永さんが参加する意味ないじゃないですか」
「あ、そっか。でも見てみたいんだよね。周りの人の反応を」
どうやらただの面白半分で私を誘ってみただけらしい。それにしてもさすがに男女全員は言い過ぎだ。私が男だったら私みたいなよく分からない女には近付かない。
そして仮に私がその場の全員をお持ち帰りできたとしても、私が持ち帰りたいのはもちろん希さん1人だけだ。他の人には全く興味がない。
その1人だけを想い続け、ついにあの約束の日を迎えた。この日だけはさすがに顔をキリッとさせるのを忘れてしまい、またあの店長の生温い視線を感じることとなった。本間さんが出張で不在なのが幸いだった。
仕事を終えて急いで家に帰り、1日働いた汗を流すためにシャワーを浴びた。
これまでになく緊張している。この短くなった髪を見て希さんは何と言うだろう。さっきからそればかりが気になってお腹が全然空かない。
それにしても髪を洗うのも乾かすのも本当に楽になった。ドライヤーすら使わない日が増えてきた。お風呂から上がって家の用事を済ませているといつの間にか勝手に乾いているのだ。
今日はこれから出かけるから、髪を乾かしたあとワックスで念入りに髪型をセットした。そして一応化粧もした。この髪型で化粧をしないと少年っぽい見た目になってしまう。
というより、実はまだすっぴんの顔を希さんに見せたことがないのだ。たとえ外出はしないとしても少し抵抗があるし、希さんの前では出来るだけ綺麗でいたい。恋する乙女心は本当に複雑だ。
そして希さんに『準備オッケー』のメールを送ったのは20時前。返信が来たのはその直後で、『今仕事が終わったからすぐに向かう』という内容だった。この日は早く帰れそうだと言っていたけど、やっぱり職業柄予定通りに仕事を進めるのは難しいのだろう。
そして。
ついに私のスマホに到着を知らせるメールが届いた。心臓が最高潮に高鳴っている。
私は急いでお泊りセットが入ったバッグを肩に掛け、出張先で貰った白ワインを手土産に持ち、あたふたしながら最後に鏡を確認して慌てて部屋を出た。
エレベーターを降りてエントランスを出ると、希さんのクリーム色のコンパクトカーがマンションの前でハザードランプを点滅させていた。夜の寒さに身震いし、緊張しながら車に近付く。
「……え? 那央ちゃん?」
下がった運転席のウインドウから希さんの声が聞こえた。街灯の明かりにぼんやり照らされた顔はやっぱり驚いている。
「髪切った。どう? サッパリしたでしょ?」
「えっ、暗くてよく見えない! 早く乗って!」
助手席に乗り込んだ直後、希さんはルームランプで車内を明るくして私の顔をマジマジと観察し始めた。顔が近いのと見慣れない仕事着のせいでドキドキしてしまう。そして希さんの第一声はこれだった。
「まるで別人だね」
確かにその通りだ。髪型一つで人は別人になれる。だから失恋とか大きな出来事があった時、それにかこつけて別人に生まれ変わるために髪を切る人が多いのだろう。
実際に聞いたことはない気がするけどみんなわざわざ他人に言わないだけだ。自分も言ったことはない。
「前もショートだったんだけどね。なんとなく伸ばし続けてた」
「でも今の方がしっくりくるな。やっと本当の那央ちゃんを見せてもらった感じ」
期待通りの言葉に嬉しくなった。
やっぱり希さんは私を褒める時に軽い言葉を使わない。もちろん『イケメン』と言われればそれはそれで嬉しいけど、希さんにはそう言って欲しくなかった。
希さんは私を外見で好きになったり嫌いになったりしない。女でも男でも同じように好きでいてくれる。安心して好きでいさせてくれる人だ。
「そういや希さんってさ、私の外見一回も褒めたことないよね?」
「そうだっけ?」
「うん。変かも知れないけど、そういう人と出会えて嬉しかった」
私の言葉に何を思ったのか、希さんは「やっぱり面白いこと言うなぁ」と笑っただけで、これといった反応を見せずにルームランプを消した。
「ところでさ、これから買い物行ってもいい? ホントは事前に準備しとくつもりだったんだけど思いのほか仕事が遅くなっちゃって」
「もちろんいいよ。遅くまでお疲れ様」
「ごめんね。豪華なおつまみ用意できなかったよ」
そんなものは必要ない。希さんと過ごす時間が用意されているだけで充分だ。酒の肴なら希さんとの会話以上のものはない。それ以上のことなど決して考えていない。
「いつも行ってるスーパーにするね。あそこお惣菜の品揃えが豊富だから」
「私が何か作ろっか?」
「お客様にそんなことさせられないでしょ。追加で私が作るよ。今日は甘えて」
希さんはそのまま車を出し、平日の閑散とした夜の街を走り始めた。
夜のスーパーは人が少ない。2人で一緒に買い物をしているとちょっとだけ恋人同士みたいな雰囲気を味わえる。今の私たちは遠目から見るとカップルそのものだろう。
さっき車の中で私が提案した企画が採用された。丸いスナック菓子を使ったオシャレなパーティーだ。これなら共同作業できるし希さんに余計な負担を掛けることもない。今はそのスナック菓子に載せる具材を2人で雑談しながら選んでいる。
「那央ちゃんって好き嫌いないんだっけ?」
「ないよ。何でも好き」
「いいね。そういう人だと一緒に暮らした時に楽だよね。作るものに困らないし」
これを聞いて『私と一緒に暮らしたいのか!?』と一瞬ドキッとしたものの、もしかしたら昔の恋人を思い出してポロッと出た言葉なのかも、と思い直してまたドキッとした。同じドキッでも質が違う。これでは心臓が割れてしまう。
「……ん? 元カレとかの話? 同棲してたとか?」
「え? いや、なんとなく思っただけ」
「彼氏どれくらいいない?」
「ずっと。5年くらいかな」
「私と同じだね」
自分にも彼氏がいたクセに希さんの元カレのことを聞いて勝手にモヤモヤしている。今まで敢えて聞かなかったのにここに来て初めて聞いてしまった。
まぁ過去のことはいい。大事なのは未来だ。これから私たちは2人だけのオシャレなスナック菓子パーティーを開催する。今はそれ以外のことを考える必要はない。
「チーズもいいよね。那央ちゃんのワインと合うし」
「あとトマトも合うんじゃない? ミニトマトが大きさ的にちょうどいいね」
「うん。肉もちょっと欲しいかな。ベーコンとハムも買おう」
結局こうしてあれもこれもと選んでしまい、もはや主役のスナック菓子がおまけのようになってしまった。まぁこれも別にいい。人生は思い通りに行かないものだ。
買い物カゴをレジに通すと希さんが持参したエコバッグは2つとも満タンになった。エコバッグを用意しているあたり希さんは私と違ってしっかりしている。溜まったレジ袋をレジ袋の中に詰め込んでいる私とは違うのだ。
「普段こんなに買い物することある?」
「結構あるよ。なるべく買い物したくないから買い溜めするしね」
「そこは私と同じだね」
買い物1つにも人柄が出る。また希さんのことを1つ知った。
そんな感じで希さんのアパートに着いたのは21時半。わりと新しい建物で、希さんの部屋は広めの1DK。ここに来る前からイメージしていた通り、ダイニングには女性らしいオシャレなインテリアがちょこちょこ置かれている。全体的にスッキリしていて過ごしやすそうだ。
そしてカーテンの掛かった窓の手前にはメタルラックがある。そこに5つくらい多肉植物が並べられていて、展示会で買ったあの玉扇錦も置かれていた。
「あらかじめ言っとくよ。普段こんなに綺麗にしてないからね」
「そんな自己申告しなくても」
「後でがっかりされたらイヤだからさ」
「散らかってても別に気にしないのに」
「だって人を呼ぶのに散らかしてたら失礼でしょ?」
「逆に親近感湧くけどなぁ」
私の部屋は良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景だ。2LDKという一人暮らしには無駄に部屋数の多い間取りで、普段生活に使わない部屋に至っては家具すら置いていない。それでも何故かホコリが溜まるから、たまに掃除くらいはしている。
「じゃあ軽くつまめそうなもの作るね。ソファーに座って待ってて。先に飲んでてもいいよ」
「じゃあお言葉に甘えて手伝うよ。お酒とお惣菜勝手に並べていい?」
「……那央ちゃん」
「ん?」
「ありがとう。お皿その棚にあるから自由に使って」
『いいから座ってて』と言われるような気がしたからちょっと意外だった。素直に私の手伝いの申し出を受け入れてくれたのが嬉しい。
「お皿可愛いね。希さんっぽい」
「ふふ、私っぽいって何?」
希さんは自分の方が年上だからか、私と接する時に妹みたいな可愛がり方をすることがある。いや、私の場合は妹というより弟と言った方がいいかも知れない。
「できたよ。こっちはお菓子に載せて食べよう」
「あ、ありがとう。美味しそうだね」
「一応ご飯も炊いてあるからお腹空いてたら食べて」
「じゃあ足りなかったらもらうね。乾杯しよう」
でも、私は出来るだけ対等な関係になりたい。そうじゃないと、いざという時に希さんを支えられない。
「やっぱり美味しい。希さん料理得意なんだ?」
「得意じゃないけど好きだよ。那央ちゃんは?」
「普通。意欲も腕も普通。出張多いから外食も多いしね」
「そっか。出張ばっかりだと体力的に大変そうだね」
「旅行みたいで楽しいよ。楽しいからあんまり疲れないかも」
「あ、海外も行くって言ってたっけ? いいなぁ。海外旅行」
そして『これだ!』と思った。得意じゃないけど一応話せる英語で希さんを海外旅行に連れて行ってエスコートする。実現すれば頼られっぱなしで私が満足できる。
「希さん、英語は?」
「……聞かないで」
「じゃあ私がエスコートする」
「やっぱり話せるんだ。無敵だね」
無敵の意味が分からないけど一応頼ってもらえる要素は見付けた。でも実際には海外旅行は難しい。そもそも私たちは、普通に約束を取り付けるのも難しいほど休みが合わないのだ。
そうしてお互いイイ感じにアルコールが回ってきた頃、少し前の水族館デートの時の話題が出た。希さんが仕事のことで落ち込んでいた時の話だ。
あれから何も言わないからどうなったのかと思っていたら、私の励ましで気持ちを切り替えられたと希さんに感謝された。あの時は力になれた手応えはなかったけど、心からの言葉は意外と相手に届いているものなのだ。
「何もできなくて悔しかったんだけどね。でも希さんが元気になってくれて良かった」
「何もできないなんてとんでもないよ。那央ちゃんがあんなふうに言ってくれたから……」
そして。
希さんがテーブルの向こうからこっちに移動して来た。かと思うとそのまま私の隣に座り、身体を寄せて私の腕に自分の腕を絡めてきた。
「……えっ。どうしたの? いや別にイヤじゃないけど……」
「ふふ。こういう時は素直に甘えた方がいいのかなって。ごめんね酔っ払いで」
「い、いや。頼ってもらえると私も嬉しい……」
「頼りになるよね。やっぱり那央ちゃんと一緒にいるとホッとするよ」
なんだこの状況は。こんな状況では無理やり抑え込んでいた感情が漏れ出してしまう。ここで変な気を起こしたら全てが台無しだ。
そして私は息を止めた。今は全く必要のない動物としての本能を殺すためだ。
「ねぇ、那央ちゃんってどうして恋人作らないの?」
更に追い討ちをかけるようなこの質問。この人は私を誘導しようとしているのか。
いや、その手には乗らない。この人はいま若干酔っ払っている。人類の宿敵アルコールに乗っ取られているだけだ。
「……いや、なんか色々あって疲れたんだよ」
「色々って?」
「私のこと良く知らないクセに勝手に好きになってイヤな目に遭わされたりさ。みんな私の外見しか見てない。だから人間不信気味なのかな? 他人を信用できないんだよね」
すると希さんはそのまま何も言わなくなった。何か思うところがあるのだろうか。希さんの口が開くのを黙って待つ。そして30秒が経過した。
「……だからかな。那央ちゃんと一緒にいると安心するのは」
「そうなの?」
「うん。他人じゃない感じ。言葉じゃ表現できないんだけどね」
「今まで、そういう人と出会ったことない?」
「ないよ。男女問わずね。法律が許すなら那央ちゃんと結婚したかったな」
ーー『だったら今すぐ結婚しよう』。
状況も手伝ってうっかりそう口走ってしまいそうになった。でも『法律が許すなら』という条件を満たしていない。法律が私たちの邪魔をしている。
だったらこう提案してみるのはどうだろう。やっぱり酒の力は偉大だ。普段なら絶対に言えないことも勢いで言ってしまえる。さっき宿敵扱いしたことなんてもう忘れた。
「じゃあ一緒に住んでみる? 私のマンションの部屋余ってるから試しにさ」
「えっ!」
当たって砕けろだ。いや、断られても『なんちゃってね』という逃げ道は用意してある。今の私は何者にも砕くことはできない。
「会社通えない距離じゃないでしょ?」
「……まぁ、楽しそうだよね。それもいいかも」
そしてあっさり承諾を得た。
まさかの同居生活はこんな経緯であっさり決まった。