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頑張りすぎ

無事にセミナーを終えた翌日。


今日はとりあえず出張の予定はないので、事務所の自分の席でパソコン仕事に取り掛かっている。……フリをしてセミナーのレポートを書いている。


一昨日の交流会では無事に藤沢さんと連絡先を交換できた。


その後の記憶はほとんどない。昨日の講習もほとんど上の空だった。別に酒のせいではなく、頭の中でひたすら今後の計画を立てていたせいだ。


これからまずやるべきことは、高価な品種の仕入れについて本間さんと相談してみること。仕事に厳しい本間さんのことだから多分ツッコミの嵐だろう。でも、とりあえずここをクリアしないと藤沢さんとの約束が果たせない。


そして、近所のイベントホールで来月開催予定の『多肉植物展示会』に藤沢さんを誘う。交流会でもちょっと話して反応が良かったから誘いに乗ってくれると思う。もしオッケーだったら、カッコいいところを見せるために私の運転で行く予定だ。


あとはそのうち髪を切る。無駄な努力に終わる可能性大だけど、男っぽい見た目にすることで少しでも藤沢さんの気を引きたい。


そんな妄想をしていると、気付かないうちに傍に本間さんが立っていた。本間さんの視線の先は私の机の上。管理職セミナーの資料が置いてある。


「あ、行ってきたんだね。懐かしい。私も昔参加したなぁ」


本間さんはそう言いながら資料をパラパラとめくり始めた。


するとその直後。

急に本間さんが机に両手を付いて顔を伏せた。

びっくりして様子を見ると、本間さんは黙ったまま肩を震わせている。


「……え、本間さん!? どうしたんですか!?」


具合が悪くなったのかとオロオロしながら本間さんの肩に触れる。その時ふと、開かれた資料の一部が目に入った。私はすぐに状況を理解した。


「あ……、見つかってしまいましたか」


そのページには、講義中に私が描いた落書きがあった。私の渾身作、店長の似顔絵だ。


「ちょっと三浦さん……! あなた講義中に何やってるの……!」

「すみません。あの、店長が恋しくなっちゃって」


すると本間さんは更に苦しそうに笑いを堪えて肩を震わせ始めた。私もつられて笑い始める。もはや仕事にならない。


それから1分ぐらい2人で声を殺して笑い、2人同時に我に返った。


「でも意外だね。三浦さんはもっと真面目な人だと思ってた」

「元が不真面目なんで時々息抜きしないとダメなんですよ。だからそういう時はコッソリ店長の似顔絵を描いてるんですけど……、まさか本間さんに見つかるなんて」

「ふふ……だからなんで店長なの? そんなに好き?」

「はい。毛量の多いダルマみたいでカワイイですよね?」

「いや、全然分かんないわ」


カワイイは冗談にしても、私は確かに店長のことが好きだ。もちろん恋愛的な意味ではなく人としての話。


顔は怖いし言動がオネエなせいで色々複雑な誤解をされがちだけど、実は男気がありながらも細やかな気遣いができる人柄だから、長い付き合いのある社員たちはみんな店長のことを慕っている。


そして、私の場合は特に店長に好意を持つ理由がある。


それは『男であって男じゃない』という特徴。私が店長に妙な親近感を覚えるのはこの特徴のせいだ。


「そういえば本間さん、ちょっと相談したいことがあるんです」

「ん? なに?」

「今までに仕入れたことのない品種を入れられないかと思って。ちょっと高価な品種を」

「具体的には?」

「えっと……。多肉植物なんですけど、ハオルチアを……」


ちょっと動機が不純なせいで歯切れの悪い受け答えになってしまった。


いや、私は店の売り上げに貢献しようとしているのだ。

ここは説得力のあるプレゼンで本間さんを丸め込まなければならない。


「なんで今ハオルチアなの?」

「まだ結構売れてるっぽいじゃないですか。わりと」

「そんな漠然とした理由で? ちゃんと市場調査したの?」


やっぱり本間さんは仕事には厳しい。

仕事以外だと優しいのに。


これは本気を出さないとやられる。


「えっと、ブームが落ち着いた今だからこそ希少種に価値を見出してる人も多いんじゃないかって考えたんです。普通に出回ってる品種はみんな持ってるから」

「……ふーん。なるほどね。で、希少種を仕入れて店でどう扱うの?」

「ショーケースに飾るとか。盗難が怖いんで」

「え、そんな高いの仕入れる気なの?」


何かを言えば言うだけ本間さんからツッコミが入る。愛あればこそと分かっていても結構ヘコむ。


何度もダメージを受け続け、もう私の体力はほぼゼロになっていた。


「一応店長にもちょっと話したら『やってみればいいじゃない』って言ってたんですよ……』

「いや、店長の感覚じゃダメ。あの人自身フィーリングで仕事してるから。フィーリングが許されるのはベテランになってからだからね」

「……はい。すみませんでした」


やはり強敵。まさかの惨敗だった。

やっぱり動機が不純だと勝てるものも勝てない。


でも本間さんは最後に「まぁ、行くだけ行ってみてもいいかもね。勉強してきな」と言ってくれた。いつも厳しいけどいつも最後は優しい。お言葉に甘えて早速アポを取ることにした。



それから1週間後。


電車を乗り継いで3時間ほどの小旅行の末、今日は道に迷うことなく目的の農園にたどり着いた。


1週間前に今日のアポ取りの電話をした時、近くに本間さんがいて具体的な品種名で問い合わせできなかった。あんまりピンポイントなことを言うと、勘のいい本間さんに私の下衆な計画がバレてしまうおそれがあるからだ。


仕方がないので一種の恋占い的な感覚で訪ねてみることにした。もし目的のものが置いてあったら私の未来は明るい。


とりあえず今日は天気がいい。きっといいことがあるはずだ。


「こんにちは。いつもお世話になっています」

「こちらこそお世話になってます。那央ちゃん今日もべっぴんさんねぇ」

「あはは。ありがとうございます」

「いつもありがとね。さあどうぞこちらへ」

「はい。失礼します」


今日訪ねた多肉植物農家『杉本すぎもと農園』さんは、ご主人が身体を悪くしてから奥さんの千恵子ちえこさんが切り盛りしている。最近は30代の息子さんも手伝っているようだ。


いつもここに来ると、取引先というより遠方に住んでいる親戚の家を訪ねているような感覚になる。


「ハオルチアだったわよね?」

「はい。ちょっと見せてください」

「御眼鏡に適うものがあるといいんだけど」


広いハウスに入って案内された場所には沢山のハオルチアが並んでいた。これまでには置かれていなかった品種がちらほら目に入る。


もしかしたら、と期待したものの、藤沢さんが欲しがっている玉扇錦は見当たらなかった。


「千恵子さん、玉扇錦は育ててないですか?」

「えっと、ごめんなさいね。ハオルチアは詳しくないからよく分からないの。息子が管理しててね。最近新しい品種を育ててるみたいなんだけど」


ここで『これから育てられませんか?』と交渉してみようかと考えた。だけどこれからとなると入手できるのがいつになるか分からない。


一応、仕事柄いろんな場所に行くから、出向いた先で生花店や農園を巡って探そうかとも考えた。でも、マニア寄りの人は自分の目で見て納得してからじゃないとイヤなはずだ。私が勝手に買っていいものではない。


まぁ、焦る必要はない。

来月の多肉植物展示会で販売されているかも知れないし、そのうち他に何か入手方法を思い付くかも知れない。


今回はとりあえずちょっと高い品種を2個だけ仕入れることにした。あんまり大量に買ったら本間さんに怒られてしまう。


この後、もう一件仕事をこなして宿泊予定のビジネスホテルへ向かう。ホテルに到着したら藤沢さんにメールを送ってみるつもりだ。どんなメールを送ろうかと考えていたらドキドキしてきた。


若者らしく軽い感じの文章で行くべきか、それともクールなキャリアウーマン風のビジネスワードを並べるべきか。


ホテルに到着してから30分は経ったのに未だに考え込んでいる。


だんだん頭が痛くなってきてスマホをベッドに投げて自分の身も投げた。私は考えるのが苦手だから大体30分でスイッチが切れる。


いや、悩んでいても何も始まらない。とにかく勢いで何かを送ってしまえばいいのだ。


少し気合いを入れてスマホを手で握り直し、もう一度メール画面を開いた。そしてバッテリー残量がピンチになっていることに気付いてしまった。


そういえば充電器を家に忘れてきた。いつもはこんなことないのに。これは急いでメールを送らなければ。


『お疲れ様です。三浦那央です。先日のセミナーではお世話になりました』


という感じの無難な出だしから、さっき多肉農家さんの所に行ったけど玉扇錦はなかったということと、来月の多肉植物展示会へのお誘いを綴って送ってみた。


そしてその直後にシャワーを浴びに行った。こういう時は長風呂に限る。スマホの前で返信を待ってヤキモキしてたら胃が痛くなってくる。


指が若干ふやけるくらいの長風呂の後、ドキドキしながらベッドの上のスマホを手に取った。


メールが来ている。藤沢さんからだ。


『藤沢です。先日はありがとうございました』


送られてきた時間を見ると私がメールを送った40分後だった。早くもなく遅くもなくちょうどいい。こういう何気ない事柄でお互いのペースが合うかどうかが分かる。


先を読み進めたところ、農家さんを訪ねてくださってありがとうございました、というお礼の言葉と、多肉植物展示会には是非ご一緒させてください、というお誘いの返事が書かれていた。


妄想が頭を駆け巡った。

これは無理矢理にでもシフトを調整しなければ。この日に急な出張でも入ったら誰を恨めばいいのか。


そしてバッテリー残量がついに3%を切った。

逆に私のバッテリーはマックスだ。スマホに分けてやりたい。


バッテリーを気にしながら藤沢さんに返事を送り、時間や待ち合わせ場所などの具体的なことが決まった。計画していた通り私の運転で行くことになったから、この日だけは方向音痴を発動しないように気を付けなければならない。


そして、『おやすみなさい』で藤沢さんとのやりとりを終えた直後、とうとうスマホの電源が自動的に落ちた。


明日も一件だけ仕事の予定がある。それを終えたら店に帰って事務処理を済ますだけだ。


気が抜けたら一気に疲労感が襲ってきた。ちょっと色々気合いを入れて頑張りすぎたのだろうか。


私は寝付きがすごくいい。目を閉じたら5分以内には大体寝ている。部屋の照明を消し、そのままスマホと一緒に眠りに就いた。


そして翌朝。

もちろん寝坊した。


普段からスマホのアラームに頼ってるクセに、藤沢さんのことで浮かれてしまってアラームのことをすっかり忘れていた。


現在9時15分。

あと20分でホテルを出ないと新幹線の時間に間に合わない。


私はそこから2分で着替えて15分で洗顔、歯磨き、化粧、髪のセットとホテルのチェックアウトを終え、残った3分でコンビニに寄ってモバイルバッテリーを買うことにした。我ながら仕事が速い。


普段はあんまりミスしない方だけど、何か1つのことに囚われるとそのことばかり考えて他のことが疎かになってしまう。熱に浮かされやすいのだ。


例えば、高校時代に優衣に恋していた時もそうだった。彼女が『あれが欲しい』と言えば禁止されていたバイトを始めてプレゼントしたり、『旅行に行きたい』と言えば交通機関を手配してエスコートした。


学校の成績が良くなかった私が英語を話せるのも、優衣の『英語喋れる人ってカッコいいですよね』の一言で英会話スクールに通い始めたせいだ。


ちなみに、専門学校時代に付き合っていた彼氏に関しては全くそんなことはなかった。表向きは恋人らしい振る舞いで接しつつも、彼の一挙一動で私の心が動くことは一切なかった。


何とかギリギリ新幹線の時間に間に合い、ガラガラの自由席に座ってホッと一息つく。


あんまり頑張りすぎるのは良くない。

どうせ空回りする。


そう思い直して、藤沢さんとの約束に向けて綿密な計画を立て始めた。



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