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小さなミートショップ

ここまで来ると私はもう多肉植物の人だ。希さんと出会ってからやたらと多肉植物に縁がある。


ということで、来月から予定されている私の昇進プロジェクトでは当たり前のように多肉植物を選ぶことになった。店の隅に設けられた3畳分の広さの空間を使い、私のセンスで仕入れた多肉植物を私のセンスで配置しなければならない。


私の助手に選ばれたのは、最初に聞かされていた通り神尾義将氏だ。これから彼との共同作業で店に新たなコーナーを作り上げる。神尾氏なら接客以外なにを頼んでもソツなくこなしてくれるだろう。


そして、書いた企画書のタイトルは『小さなミートショップ』。これをこのままコーナー名にするつもりで本間さんに提出してみたところ、やっぱり本間さんだけあってちょっとしたツッコミが入った。


「ねぇ三浦さん、なんでミートショップなの? 多肉だから?」

「そうです。インパクトを狙いたくて」

「なるほどね。でもお客様に誤解与えないかな?」

「もしクレームが入ったら変更しますよ」


すると本間さんは「まぁ三浦さんのセンスに任せるよ」と言って笑ってくれた。今回ばかりはあまり口出ししない方針のようだ。


その後、私はネットで肉屋のレイアウトを調べまくり、与えられた3畳のスペースに肉屋っぽい雰囲気を作り上げていった。こんなことをしていると時々自分の職業を忘れてしまいそうになる。


するとそこへ、目を輝かせた神尾氏が「三浦さん……!」と若干ハイテンションに声をかけて来た。その手には変な形のテカテカした紙が握られている。


「あのこれ、作ってみたんです……。もし良かったら使ってください……!」


神尾氏が差し出した変な形の紙は『小さなミートショップ』の可愛いロゴだった。めちゃくちゃ上手い。まるでプロだ。俊敏で怪力な上に更にこんな才能まで持っているとは。


「すごい! ぜひ使わせてもらいます。ありがとう!」


こうしてプロジェクトの準備は着々と進められていった。


準備期間はなかなか忙しく、遅くまで残業しては希さんに愛のマッサージをしてもらう日々が続いた。


「うーん……。気持ちいい……」

「ここはどう?」

「あっ、そこイイ……」

「ふふ。ちょっと那央、変な声出さないでよ」


時々抱き付きたくなるのはもう仕方がない。これに耐えることも最近は快感になりつつある。多分ランナーズハイのようなものだろう。


そんな日々を過ごしながら出張も精力的にこなした。販売するものを仕入れなければ何も始まらない。


「あらあらあら! こんなにたくさん買ってもらえるの? 嬉しいわぁ」


遠方の杉本農園に出向いて大量の多肉植物を仕入れ、更にもう少し近い多肉専門農家からもスタンダードな品種を少量仕入れた。


残業と出張続きでさすがに体力的にキツくなり、この期間は優衣からの誘いには一切応じなかった。でも彼女は不満らしき感情は一度も漏らさなかった。


そしていよいよ迎えたミートショップ開店初日。私はこの日からしばらく神尾氏と一緒に店頭で販売員をやることになった。


あのストーカー事件からはかなりの月日が経っている。さすがにもう同じことは起こらないだろう。ストーカーなんてそう簡単には遭遇しないはずだ。


一応「何かあったら私がブッ飛ばすわ」という店長の心強いお言葉を頂いたので安心して販売員をやることにした。


そして記念すべき第1号のお客様は、なんと欧米の若い男性だった。更にそのお客様がこのコーナーの名前について私に質問してきたのだ。


「テンインさん、ココなんでミートショップ?」


『ミートショップ』の発音だけがやたらと良い。日本語が片言だから英語で話した方が喜ばれるだろう。ほぼ使う機会のない英語がここで役立つのだ。


『英語でも大丈夫ですよ』

『クールボーイ! 助かったよ!』

『いえ、ガールです』

『OH! ソーリー!』


そして私は英語でコーナー名の意味を説明した。ちなみに多肉植物は英語で『サキュレント』という。肉なんて単語は入っていない。だからまずは和名の意味を英語で説明し、そこから英語で関連性を説明するという回りくどいことをしなければならない。


なんか自分のボケを自分で解説する時のような虚しさが襲ってきた。前にも希さんとそんなやり取りがあった気がする。しかし接客時にそんなことは気にしていられない。


ようやく説明を終えると、お客様は『HA HA HA!』と爆笑して3つ購入してくれた。怪我の功名ということにしよう。


「すごい……三浦さん。英語喋れるんですね……」

「まさか店で話すことになるとは思わなかったですが」


元々下心から習得した英語で神尾氏に見直されてしまった。やはり下心は人間には必要な感情なのだ。


「あはは! ホントに肉屋じゃん!」

「これ考えた人アホだね」


その後、今度は女性2人連れのお客様からアホの称号を頂いた。そして私に称号を与えた方のお客様が中ランクの肉を買ってくれた。


『高級肉』がなかなか売れないのは想定内だ。むしろこれは店のディスプレイという位置付けで問題ない。開店初日の最終的な売り上げはまずまずだった。


「三浦さん、なかなか順調じゃない。これなら心配なさそうね」

「ありがとうございます。好き勝手やらせてもらってすみません」

「いいのよ。もし失敗したら自腹切ってもらうつもりだったから」


閉店後の事務所で店長がこんな恐ろしいことを言い出した。


今まで知らなかった。この店はブラック企業だったのか。私はそれに気付かずに7年近くも勤めていたのか。そしてこの先もし売り上げが低迷したらマンションを売り払って希さんとの同居生活も解消しなければならないのか。


「……やぁね。そんな顔しないで。冗談よ」


そんな心配をよそに、私のミートショップは順調に売り上げを伸ばしていった。


ある時、若い女性のお客様から「撮影してもいいですか?」と質問があった。店内は基本的に撮影禁止だ。でも、おそらくSNSに投稿するのだろうと踏んで、更なる売り上げアップのために店長と本間さんの許可を得るべく店内を奔走した。そしてミートショップのみ特例ということでなんとか許可が下りた。


こうして私はとにかく頑張った。希さんに認めてもらいたい一心で。来たるべきプロポーズの時に備えて可能な限り自分をハイスペックにしておきたい。とにかくそれだけが私の原動力だった。


そしてそんな忙しい時間を過ごしていたある日の夜、優衣から1ヶ月ぶりのメールが届いた。


『今電話して大丈夫?』


この数ヶ月間は忙しくて電話すらも断り続けていて、心の片隅でずっと気にしながらもなかなか優衣との時間を取ろうという気になれなかった。


少し落ち着いた今なら対応できる。風呂上がりの身体をベッドに横たえたあと、すぐに優衣に返信した。


「優衣、久しぶり」

『うん』

「元気だった?」

『どうかな』

「ん? 何かあった?」

『那央さんが相手してくれないから寂しくて』


またいつもの軽口だろう。そう思って同じように軽口を返した。


「誰か相手探せばいいじゃん。優衣ならすぐ見付かるでしょ?」


しかし、優衣からの言葉はなかなか返って来ない。電話口から重い空気を感じる。何事かと思ってベッドから身体を起こし、優衣にもう一度問い掛けた。


「まさか本気で寂しい……とか?」

『そりゃそうだよ。電話もしてくれないし』

「ごめん。ホントに忙しくて」

『次はいつ会えるの?』


いつもより少し口調が荒い気がする。そして押し付けるような強引な言い方。これまでの優衣とは明らかに違う。


「まだ分かんない。仕事の状況によるからね。っていうか、恋人同士って訳じゃないんだから無理に会わなくても……」

『似たようなもんだよ。会えばセックスする仲でしょ?』

「い、いや。あくまで身体の関係だけじゃん。気持ちはないんだから恋人同士とは……」

『やっぱり違うかな?』

「違うよ」

『じゃあ違うんだろうね。分かった』

「え……?」


今日の優衣はどうも様子がおかしい。普段すっとぼけている私ですらはっきりとした違和感を感じる。


少しまずいことになっている予感がした。優衣は多分、私に本気になりかけている。


『でもなぁ。私そろそろヤバいかも。那央さんが会ってくれないと手当たり次第に逆ナンしそう』

「え、それはやめて。優衣が犯罪に巻き込まれたら困る」

『困る? なんで? ヤれなくなるから?』

「……優衣」

『なに?』

「もう……分かったよ。後で休み教えて。調整するから」


超ワガママな彼女に翻弄される気弱な彼氏みたいな気分だ。気弱だから冷たく突き放すこともできなくて折れてしまう。


仮に優衣が本気だとしても、私は優衣の気持ちには応えられない。だったらむしろ冷酷になることの方が優しさなのだろうか。


冷酷になり切ってここで優衣との接点をバッサリ切ってしまうべきか。でも弱い自分にそこまでの勇気はない。


もしくは、優衣の前で『契約』を掲げればこれまで通りの都合のいい関係は続けられる。だけど私にそんなズルいことはできない。


とにかく、まだ決定的なことを言われた訳ではない。今からどうこう考えても無駄だ。ここに来て悩みの種が増えてしまった。


優衣と会う時間を作るためにどうにかカレンダーをこねくり回してみたものの、ゆっくり会う時間を作るのはやはり難しかった。仕事で忙しいのもあるし、基本的に希さんとの時間を優先して取るようにしているからだ。


そして結局、店での仕事を終えてからほんの2、3時間程度優衣の部屋で過ごすことになった。これではまるでそのためだけに会うような感じだ。でもまぁ仕方がない。


「希さん、この日ちょっと帰るの遅くなるよ。友達と会う約束したから」

「うん、分かった。忙しい時は息抜きしないとね」


最近はもう、優衣と会う約束をしたら素直に友達と会うと伝えるようになった。変に隠すから無駄な罪悪感に苛まれるのだ。考え過ぎて気付くのが遅くなってしまった。


しかしこれも希さんが一切干渉して来ないからできること。『どんな相手?』とか聞いてくる人だったら絶対バレないように隠し通すだろう。


「あ、希さん」

「ん?」

「これ。廃棄品で作ってみた」


そして、バッグの中に隠していた手のひらサイズの花束を希さんの前に差し出した。すると期待通り希さんの顔がパッと明るくなった。やっぱり愛する人の笑顔は嬉しいものだ。


「え、可愛いね。那央が作ったの?」

「うん」

「センスあるねぇ。色使いも好きだな」

「やった。希さんに褒められた」


この小さな花束は私の店の多肉植物がつけた花の蕾を掻き集めたもの。植物本体の体力を奪わないために蕾の段階で花茎をちょん切るからこういう廃棄が出るのだ。


普段は掻き集めたりせずに全て捨ててしまう。しかし、私が蕾をちょん切っている場面を見た神尾氏が泣きそうな顔になり、そこで慌てて花束の制作を提案したという訳だ。なんという繊細男子。


「もらっていいの?」

「希さんが良ければ」

「嬉しい、ありがとう。枯れるのもったいないなぁ。ドライフラワーにしようかな?」

「ふふ。枯れたら捨てちゃって。また作ってくるよ」


やっぱり希さんとのこういう何気ないやり取りは心の底から幸せだ。この幸せだけは絶対に手放したくない。


その後もミートショップはなかなか順調だった。開店初期の頃はミートショップ周辺をウロついて逐一様子を伺っていたけど、落ち着いてきた最近は事務所に引っ込むことも多くなった。


やはりSNSの影響なのか若い女性が多く訪れる。そして私がその周辺をウロついている時はチラチラと視線を感じる。もうこれは私の宿命だ。あの母が無駄にイケメンだから私もこうなったのだ。


そしてある日の夜、仕事を終えてから優衣のアパートを訪ねた。前に電話した時の優衣の様子が頭にチラついた。


「ごめん那央さん。この前すごいワガママ言ったよね。あのあと反省した」

「いや、こっちこそごめん。電話もできなくて」


反省したという言葉通り、あの電話の時とは全く様子が違った。そして余計な言い訳はして来ない。優衣はあれをなかったことにしたいのだろう。


「仕事忙しいんだよね?」

「うん。たぶん昇進がかかってる」

「そっか。頑張ってるんだね。誰かのために」

「……うん」


優衣は黙ったまま私の首に腕を回してキスして来た。そのまま舌を絡め、私に胸を押し付け、そして私がその胸に触れる。


もうこの行為も常態化して同じパターンになってきている。最初の頃の強烈な快感ももう感じない。だけど優衣の方はそれに反比例して以前よりも激しく私を求めて来る。


優衣を絶頂に誘うのは容易かった。もう私の予感は間違いではないのだろう。


優衣も私と同じだ。相手を失いたくないからワガママを言わずに自分を抑えている。でも時に感情的になって相手を困らせてしまう。


だから多少のワガママを言われても優衣を嫌いにはなれなかった。自分を見ているようで少し苦しかった。


「年上なんだっけ。その人」

「うん。管理職の人だよ」

「だから追い付きたいんだ?」

「まぁね」

「健気だなぁ。那央さんはホントに」


優衣はその日、私が部屋を出るまで一言もワガママを言わなかった。次に会う話すら口に出さなかった。


そんな出来事でちょっと感傷的になったりはしたけど、ここで優衣を特別気にかけることはしないつもりだ。このままではお互い泥沼にハマってしまう。今後割り切った契約関係が崩れるようなら、冷たいようでも優衣を突き放さなければならない。


その数日後、私はまた多肉植物の仕入れのために日帰りで出張だった。色恋のゴタゴタと仕事との切り替えは結構難儀なものだ。


私が出張や事務仕事で店にいない時は神尾氏が接客を頑張ってくれている。ちょっと不安はあるけど彼ならきっと大丈夫だ。あの才能と情熱があれば乗り越えられるに違いない。


そして出張から帰って店に立ち寄ってみると、店長がまた妙なことを言い出した。


「ねぇ三浦さん。ちょっとお願いがあるの」

「はい。なんでしょうか?」

「今後店に立つ時は長いカツラを被ってもらえないかしら?」

「……え? どうしてまたそんな」


まさか私にコスプレをさせて店に立たせるつもりなのか。店長もなかなか歪んだ戦略を思い付いたものだ。


「なんだかここ数日ね、店に女性のお客様が殺到してるのよ。『あのステキな店員さんはいらっしゃいませんか?』って。その対応で大変なのよねぇ」

「えっ」


まぁ、中身は真人間の店長が花屋の従業員にコスプレなんかさせないだろう。というか、店長がそんなことを提案した時点で本間さんが鬼化するはずだ。


「だからね、見た目を出来るだけ女にして欲しいの。そしたら収まると思うのよ。お願いできないかしら? カツラ代は経費で落としていいから」


でもそんなことしたら今度はまた男性が……と言ったら「その時は私がカチ割るわ」と返って来た。店長は変な男には容赦ない。


そして結局、ネットで長髪のウィッグを買うことになった。その後家に届いてリビングで箱を開けた時、たまたま部屋から出てきた希さんにウィッグを見られてしまった。


「あ……いや。これは違う。私の趣味じゃなくて……」


弁解に追われながら『店を経営するのは本当に大変だ』と思った。昇進までの道のりはまだまだ遠い。



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