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暗い私

あの衝撃的な出来事から1週間が経った。

店でも家でも外出先でも1人になるとあのことばかり考えてしまう。


今日は本間さんから口数の少なさを心配された。そして店長からは真面目になったと喜ばれた。今の私は人に気付かれるほどおかしな感じになっているらしい。


あれ以来、もちろん私から優衣に連絡はしていないし、今のところ優衣からの連絡もない。


もし連絡が来たら正直なところキッパリ断れる自信はない。そのまま流されて同じことになってしまう気がする。


「ねぇ那央、シャワー浴びたら一緒にビール飲もうよ。最近飲んでなかったでしょ?」

「うん。じゃあちょっとだけ飲む」


でも、身体の関係を持ったからといって優衣に気持ちが動くことはなかった。むしろ希さんへの気持ちが増したように思う。


「ちょっと那央、ほっぺたツンツンしないで。お酒飲むと変な人になるよねぇ」

「だって希さんが可愛いからさ」

「そう? じゃあ仕返し」

「ぅぐっ……。ヘソは卑怯……」


この程度のイチャイチャでも充分幸せだ。希さんの私への愛情は充分感じるし、私を必要としてくれているのも充分わかる。


でも、それだけじゃなくて私の全部を求めて欲しい。もっと必死に私に縋り付いて、苦しくて切ない声で私の名前を呼んで欲しい。あの日の優衣との行為は、ちょっと切ないそんな気持ちを一時的に満たしてくれた。


それと、あれ以来時々考える。もし希さんに私以外の恋人ができたら私はどうするだろう。私にも急にこんな出来事が起こった訳だし、希さんにだって突然そういう出来事が起こる可能性はある。


今のところはそういう存在の気配はないけど、このさき希さんに新しい出会いがあったらその相手と付き合ってしまうかも知れない。


「ねぇ、希さん」

「ん?」

「あのさ、えっと……。今更なんだけど恋愛とか興味ないの? 全然そういう話しないけどさ」

「今は那央と一緒にいるのが楽しいからね。那央がいる限り考えられないよ。恋愛なんて」

「……そっか」

「え、どうしたの突然? ここ何日かちょっとヘンじゃない?」

「いや、もし希さんが出て行っちゃったらどうしようかなーって……」


暗い。

私が暗い。

自分でも驚くほどなんだから店長と本間さんが突っ込んでくるのも当然だ。


でもやっぱりあの出来事のせいで無駄に色んなことを考えてしまう。


「……那央、何か心配事でもあるの?」

「いや、大丈夫。そういうお年頃なんだと思う」


考えるのが苦手なクセに色々考えてしまうから、何を言葉にしていいやら全然分からなくて馬鹿みたいな言葉を返してしまう。


「那央」

「ん?」

「出て行くつもりないから。心配しないで」

「……え?」

「那央の方から離れて行かない限りね。那央に嫌われたら仕方ないから出て行くよ」


希さんの言葉に急に感情が込み上げ、涙が溢れ出しそうになった。でもこんなところで泣いてはいけない。急に私に泣かれたら希さんだって訳が分からないだろう。


じっと涙を堪える私の姿が希さんの目にどう映ったのかは分からないけど、希さんの手が私の頭をいつもみたいに撫でてくれた。そして今回はなんと、身体まで優しく抱きしめてくれた。


「何があったのか分かんないけどさ、辛いことがあったら話してね。那央が暗いと私も暗くなっちゃうよ」


こんな自分がホントに情けない。こんなんじゃ胸を張ってプロポーズなんて到底できやしない。最初は何も考えずに馬鹿みたいに頑張ってたはずなのに。


「ごめん。明日から暗くならないように頑張る」

「いや、無理して頑張って欲しくないって」

「……うん。でも大丈夫だから。別に何もないよ」

「だったらいいけどさ。でも珍しいよね。那央がこんな不安定になるのって」


希さんが気付いていないだけで実は最近わりと不安定だった。優衣とのことがあってそれが一時的に爆発してしまい、今回ついに異変に気付かれてしまったのだ。


でも多分、少し時間が経てばそれも落ち着くはず。イヤなことをすぐに忘れる脳みそはこういう時に便利だ。


「まぁ、寝たら治るよ。最近仕事が忙しくて疲れてたんだと思う」

「確かに、疲れてると気が滅入るからね。今日はもうゆっくり休んで。明日もお弁当作るからさ」


お弁当は嬉しいけど、希さんの身体が離れていくのは少し寂しい。柔らかい身体をもう少し感じていたかった。こんな時にまで希さんの胸の大きさを気にしてしまう私はやっぱり最低だ。


希さんにこれ以上変な心配はかけたくない。私のせいで希さんまで暗くなってしまったら一緒に住んでいる意味がない。


だからとりあえず『希さんをもっと笑わせるには』という議題でベッドに横になって考えることにした。それにしても最近の私は考え過ぎだ。もう一生分の脳エネルギーを放出してしまったような気がする。


するとその時、枕元のスマホが突然ピコーンと音を立てた。何かを閃いたような鋭い音にびっくりしてベッドから飛び起きてしまった。聞こえやすい音にしようとこれに設定したけどやっぱり猫の鳴き声に戻すことにした。


そしてメールの送信者の名前を見て更に心臓が飛び跳ねた。


優衣だ。あれから1週間が経っている。


『今電話してもいいですか?』


あの日の出来事が頭の中でリフレインして、また複雑な感情が蘇ってくる。


『那央さん、元気でしたか?』

「まぁ普通」


そして結局電話OKと返信してしまった。なんだかんだ綺麗事を言っても結局人間は一次的欲求には抗えない。結局私が欲しいのは人肌だ。満たされない心を人肌に癒されたいのだ。


『この前の返事、まだハッキリ聞かせてもらってないですけど』

「……ん? この前のって?」

『やだなぁ、そんなとぼけちゃって。セフレ契約ですよ。イヤですか?』

「っていうか、私意外と純情だし……」

『そうかなぁ? そうは見えなかったですけど。那央さんって結構◯◯◯の◯が◯◯ですよね?』


優衣の言葉があまりにも具体的過ぎるので頭の中で伏せ字にすることにした。事実だとしても言葉でハッキリ聞かされたくはない。


「うーん……、少し考えさせて。まだ頭の中が整理できてなくて」

『何か不都合があるんですか?』

「だからさ、片想いの相手がいるって言ったよね? あの人に示しが付かないっていうか」

『でも無理なんでしょ?』

「……うん。多分ね」

『じゃあこうしましょうよ。もし万が一那央さんの片想いが叶ったら契約解除ってことで』


都合がいいといえばその通りだった。前にも自分の中で答えを出した通りこれは別に浮気ではない。むしろ希さんの前で笑っているためには割り切ってこういう契約を結んだ方がいいのかも知れない。


「でもさ、優衣はそれでいいの?」

『いいですよ。那央さんも知っての通り私はただのビッチですから』

「……開き直ったね」

『だって事実ですもん。さすがに自覚がなきゃヤバいですって』


こうサッパリ割り切れる優衣を少し羨ましいと思った。私もここまでとはいかなくても少し気持ちを楽にした方が良さそうだ。


「まぁ、また機会があったらご飯でも食べに行こう。えーっとなんだっけ、その契約がどうこうは別として」

『とりあえずそれでもいいですけど。……あ、そうだ。今度那央さんの家に行ってもいいですか?』

「あぁいや、だから言ったじゃん。このへん霊的にかなりアレなんだって。実はこの前も見たし」

『……嘘が下手ですよね。相変わらず』

「えっ?」

『まぁいいですけど。じゃあ来月のシフト出たら教えますね』


会ってしまえばそういう展開になるのは分かり切っているのに、私はまた優衣の誘いに曖昧な答えを返してしまった。受け入れるなら受け入れる、断るなら断る。そうはっきり答えを出せないのが私の一番ダメなところだ。


そしてその後、私はまた優衣の部屋で優衣を抱いた。それが幸せかと聞かれたら正直答えに迷う。あくまで『幸せを手放さないため』であって、幸せそのものを得るための行為ではないからだ。


希さんを心に留めたまま違う人と身体を重ねるなんて、少し前の自分だったら絶対に考えられないことだった。


「あれ? 明日からの出張3日間だっけ?」

「あぁ、急に予定が変更になってさ。次の日休みだから一緒に出掛けよう。希さんも休みだよね?」

「うん。じゃあ映画館行こっか。さっき那央が言ってた映画おもしろそうだし」

「あ、いいね。楽しみだなぁ」

「あとさ、これ」

「……ん? お守り?」

「このまえ実家に帰った時お母さんと神社に行ったの。無事に帰って来てね」


だけど希さんへの気持ちだけは変わらない。他の人に気持ちが移るなんて考えられない。


希さんがくれた交通安全のお守りを握りしめてベッドに入り、まだちょっと心の中に残っている罪悪感と一緒に眠りに就く。しばらくの間そんな日々が続いた。


その後は、希さんとのことで感傷的になった時にだけ優衣の誘いに応じるようになり、その度に一時的な快楽を得て自分の心を慰めた。


「男と違って後腐れなくて都合がいい」と言ってくれる優衣との契約は、今の私には無くてはならないものだ。これがなければ希さんとの関係をすぐに壊してしまっていたに違いない。


無期限の契約期間はあっという間に過ぎて行く。

そうやって2人の人を交互に行き来しているうちに、2人の様子が少しずつ変化してきたことに気付き始めた。



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