やっぱり見捨てられない
こういうゲームの世界に転生して、自分は悪役令嬢ポジだった、という場合。
断罪回避というのが当然の行動だろう。意地悪したり、人を虐めたりするのは非常に疲れるし、ましてやそれが原因でオーバーキル気味のざまぁを食らうのもなんだかなと思う。
折角違う世界に生まれ変わったのだし、ちゃんと寿命を全うしたい。
そう考えると、ユリアンからは徐々に距離を置くのがいいのだけど。
幼いころから仲良くしているユリアンを思い出し、ため息が出る。
仲がいいのよ、わたしたち。お互いを支え合うようにして育ってきた。
記憶が戻る前のマリアンヌはユリアンをとても大切に思っていたし、異性として意識するほど好きだった。記憶が戻った後のわたしが彼に対してどう思うかはわからないけど、間違いなくマリアンヌの気持ちはこの胸の中にある。
これからどうしていったらいいのか、決めかねているうちにユリアンの部屋についてしまった。先生がノックをすると、音もなく扉が開く。すぐに寝室につながる居間に通された。
ユリアンの部屋は日当たりがよく、寝込んでいることの多いユリアンが少しでも快適に暮らせるようにととても心地がいい空間になっていた。
「わたし、ここで待っています。終わったら呼んでください」
流石に婚約者だからと言って、寝室までは押しかけるつもりはない。幼い頃は平気なことでも、年頃になると恥じらいが出てくる。
先生は快く頷くと寝室の扉を開いた。開けた途端に、ユリアンが声をかけてきた。
「マリアンヌが来ているの? こっちに来てもらって」
声に誘われて寝室を覗き込めば、顔色の悪いユリアンがベッドの上に起き上がっていた。少し熱があるのか、目が潤んでいる。
「とても具合が悪そうよ。先生の診察が終わるまで居間で待っているわ」
「側にいてほしいんだ」
へにゃりと表情を崩す婚約者はとても放っておけるような様子ではない。どうしようかと、おろおろしていれば先生が笑った。
「仕方がありませんな。ユリアン様は本当にマリアンヌ様が好きなようで」
「そうだよ。僕はマリアンヌが大好きなんだ。早く結婚したい」
「そういうことは恥ずかしいから人前で言わないで!」
真っ赤になって怒れば、ユリアンは嬉しそうに笑った。笑うと少しだけ顔色がよく見える。
「マリアンヌ、可愛い」
これ以上彼の言葉に翻弄されたくなくて、ユリアンの言葉を無視した。耳の後ろまで熱くなっているから、きっと恥ずかしさは隠せていないと思うが何でもないふりをする。
「ここで見ていればいい?」
「うん。ありがとう」
ヘレンが持ってきた丸椅子をベッドの足元の方において座る。
そして診察が始まった。
これって冗談でしょう????
ユリアンの顔色がどんどんと青ざめていく。差し出された右手首は一文字に切られ、血がどくどくとあふれ出ていた。流れ出た血は手首の下に置かれた樽の中に徐々に溜まっていく。
痛いだろうに痛さを見せないユリアンがわたしと目が合うと、力なくほほ笑んだ。
「こんなところ見せてごめんね。でもマリアンヌが側にいると頑張れるよ」
「そ、そう」
何も言うことができず、ただただ青ざめて処置の様子を見ていた。どれぐらい経ったのか、かなりの量の血が溜まったのを確認して、先生がユリアンの手首の傷に手をかざした。
「もうそろそろいいでしょう」
ふわっと治癒魔法がかけられ、右手首に有った傷口は痕もなく奇麗に塞がれる。
「頑張りましたな」
「うん。悪い血が出ると体が楽になるね」
「ユリアン様がもう少し体のお強い方なら、悪い血も自分の中で浄化できるのですが」
ほのぼのとそんな会話を交わされているのが聞こえているが、それどころじゃなかった。
悪い血って何!?
毎回こんなに沢山の血を抜いていたら、よくなるわけないじゃない!
人間、全総量の半分以上を失うと死ぬんじゃなかったかしら??
というか、あれだけ血を抜けば青白くても当然じゃない!
そう喚きたくなるけれども、そこはぐっとこらえた。先生はやぶ医者ではない。それは間違いなく、この世界にとっては最高峰の治療法のはず。
そう今まで生きてきた知識がそう囁くが、だからといって前世の常識は黙ってはくれない。ここはゲームの世界と言えども、地球ではない。魔法があることから、人体の造りなんて全く違うかもしれない。
冷静にそう考えられるものの、二つの常識が戦い始めてしまう。
正直に言って何が正しいのかわからない。
「マリアンヌ? 顔色が悪い」
こちらを見たユリアンがぎょっとして聞いてきた。先生も驚いた顔をしてこちらを見ている。
まずい。先ほど倒れたのもあって、悪い血が溜まっているとか言われると血を抜かれる。
慌ててそれっぽい言い訳を口にした。
「あ、あの。ごめんなさい。わたし、悪い血を抜くところって初めてで……。その、血が」
「ああ、そうでしたな。マリアンヌ様には刺激的でしたな」
納得したのか先生は頷いた。その様子にほっとすると、体から力が抜けた。
「マリアンヌ、こっちに来て」
「え、っと。ユリアンは休んだ方がいいのでは?」
「だから一緒に。この処置をすると体が冷たいんだ。一緒に寝て?」
一緒に寝て?
一緒に。
一緒に……。
え?
「それはいいですね」
「先生!? わたしとユリアンは異性よ? ちょっと問題がありすぎではないかしら?」
「ふうむ。しかし、お二人は婚約している。数年前まではずっと一緒に寝ていらしたから、問題ないでしょう」
確かにそうだけど!
儚い雰囲気のあるユリアンがどこかにいってしまわないか心配で、15歳になるまでは一緒のベッドで寝ていた。
その時はユリアンはまだ13歳で子供よ? だから平気だったのであって。
15歳になって別々の部屋で休むようになったのは、主にわたしの羞恥心からだ。幼馴染の攻略対象やその婚約者たちの話を聞いていたら、男女同じベッドで休むなんてありえないんだと知ったから。
それなのに、我が家の使用人たちは今さら感があったようで。こういうことも平気で容認する。
先生と侍女たちは微笑ましい笑顔を浮かべて、出て行ってしまった。残されたわたしは茫然として扉を見つめた。
「ほら、早く」
ユリアンは嬉しそうに上掛けをめくり、ぽんぽんと自分の隣を叩く。
「ユリアン、やっぱり問題があると思うのよ」
「マリアンヌが何を思っているのかわかるつもりだけど、今日だけでいいから……看病だと思って温めて?」
「看病」
決断できずにぐるぐると葛藤し続けているうちに、ユリアンがくたりと枕に寄りかかるように崩れた。
「大丈夫?」
「ちょっと寒いかな」
辛さが滲む瞳で見つめられると突っぱねることができない。
どぎまぎする気持ちを無理やり押し殺し、自分と世間に沢山のいい訳をして、そろりと彼の隣に潜り込んだ。彼に沿うようにして横になると、2年前とは全然違うことに気がついた。わたしよりも背は大きいし、肉つきは薄いかもしれないけど筋肉が硬い。
しかも仄かに彼の匂いがした。変な興奮をしないように少しだけ隙間を開けようとするが、すぐさま背中に腕が回され猫のようにすり寄る。
少しの動きで柔らかな緑の髪が頬を擽った。そのくすぐったさに思わず声を立てて笑ってしまった。
「そんなに寄り添ったら、くすぐったいわ」
「だって寒いから。マリアンヌはとても温かいね」
「ユリアン」
「治療の後はいつも寒くて、とても孤独に感じる」
思わず零れた弱音にぎゅっと強く抱きしめた。ユリアンは病弱ということもあって我儘も言わずに、誰にでも礼儀正しく接している。
それはきっと捨てられたくないという気持ちもあるのかもしれない。叔母様が亡くなってこの家で暮らすようになるまでの5年間、ユリアンは孤独に過ごしていたから。考えたこともなかったユリアンの孤独な感情に胸が痛くなる。
ユリアンの病気は聖女の生まれ変わりであるヒロインが治すのはわかっている。
そのヒロインと出会うのはユリアンの社交界デビューの時だ。あと3年ある。その間、寂しい思いをさせておくのは違うはずだ。
頭の隅に悪役令嬢の断罪という言葉が浮かんだが、それをあえて無視した。
「ユリアンが寂しくないように、ずっと側にいるわ」
「本当に? そうだったら嬉しいな」
「だから少しでも元気になるように手伝いさせて?」
「うん。マリアンヌと一緒なら苦手なことも頑張るよ」
囁くように二人で会話をして、そのうちまどろんでいった。