前世の記憶が蘇った
突然と言えば突然。
予兆なんて何もなかったし、きっかけもよくわからない。
階段から落ちて意識を失ったわけでも、池に落ちて高熱を出したわけでもなく。
普通の生活の中で、温室に咲く薔薇を見ていた時に突然前世の記憶がよみがえった。
沢山の記憶が頭の中に浮かび上がり、流れていく。短編のドラマを見ているようなそんな感じで、わたしの記憶はどんどんと戻っていった。
自分の死を確認したところで映像がぷつりと途切れ、頭が締め付けられるように痛み始めた。余りのつらさに歯を食いしばる。
「マリアンヌお嬢さま!」
侍女のヘレンの悲鳴が響いたけど、大丈夫だと言えなかった。一瞬のうちに膨大な記憶が流れ、さらには今の自分――ペンウッド侯爵家の娘、マリアンヌの17年間の記憶が混ざり始めた。
体がぐらりと揺れて、足元が不安定になる。地面がふにゃふにゃしてちゃんと立てない。
「マリアンヌ!」
切羽詰まったような男性の声が聞こえた。うっすらと目を向ければ、柔らかな緑の髪の彼がいた。ひどく焦ったような顔をして何か話しかけているようだが、耐えがたい耳鳴りがして彼の声が聞き取れない。
心配しないで、と言ってあげたいけれど、頭の中はそれどころじゃなかった。
ざっと流れた過去の中で強く残った映像があった。
1人の桃色ブロンドの少女を中心に、タイプの違う4人のイケメンたちが艶のある目で見つめながら取り囲む。
そんな5人を忌々しそうにして見ている4人の令嬢達。
――ああ、ここ。
――ゲームの世界だ。
――わたし、異世界転生したの?
◆◆◆
ゲームの世界。
というのも、幼いころから親しくしている彼らの顔がパッケージを飾っていたから覚えてるだけという何とも役に立たない程度の知識しかない。イラストは奇麗だからよく覚えているけど、内容は友達がはまっているのにつき合う程度。
それに関連して覚えているのはゲームの世界を下地にしたネット小説。
ネット小説の異世界転生モノでは鉄板と言えば鉄板。こちらは少々嗜んでいた。基本、タダだからね!
婚約者が聖女の生まれ変わりであるヒロインに恋をして、恋愛成就に全力で挑むゲームの世界。
攻略対象はわたしの幼馴染たち。第5王子、魔法師団長の息子、騎士団長の息子、そして侯爵令息。
上から、金髪、青髪、赤髪、緑髪をしていて、それぞれがタイプの違うイケメン。
魔法のある世界のため、髪の色が持っている魔力の色となる。それぞれに婚約者がいて、ヒロインの対抗馬だ。恋愛シミュレーションとしては当然必要な要素だ。
前世の記憶がないときには気にならなかったけど、すごい髪色。イケメンじゃなければ、コントかと思う。
魔法の属性だから、この世界では色とりどりであることが当たり前だ。もちろん二つの属性持ちになってくると、色が混ざるので本当に様々な色が存在する。前世の記憶が混ざって、黒が標準色だという常識が今後の生活に影響しそうだ。侍女や護衛達の髪を見て笑い出さないか心配。
わたしの婚約者である従兄弟のユリアン・シャセットはもちろん攻略対象の1人。
彼は心の落ち着く淡い緑の髪に黄色味の強い琥珀色の瞳を持っている。穏やかな見た目を裏切ることなく、本当に優しくて嬉しい時には少しはにかむように笑う。
体が弱いユリアンはお母様の妹の息子。わたしの2歳下で叔母様が亡くなったため、シャセット侯爵家に居場所をなくした。すぐに後妻を娶り、異母弟が生まれたからだ。
心配したお母様がユリアンを我が家に呼んだのが出会いだった。初めて会ったユリアンは細くてはかなげで天使のような男の子だった。守ってあげなきゃと使命に燃えた。彼を守るにはどうしたらいいか、お母様に聞けばあっさりと婚約して、我が家の婿になればいいと。
お父様にしたら、体の弱いユリアンとは違う相手と婚約して欲しかったみたいだけど、わたしがどうしてもと譲らなかった。仲良く育ち、それなりに良い関係を築いている。
彼はとても体が弱くて、どこかに一緒に出掛けることも少ないが、その代わりに毎日少しの時間でも一緒に過ごす。
それがヒロイン?という女性がやってくることで崩れてしまうのだ。それが許せなくて、ヒロインに嫌がらせを始める。
いわゆる悪役令嬢というやつだ。
悪役令嬢系にお決まりのなんちゃって中世ヨーロッパ風の世界は中世ヨーロッパ風と言いながらも実態は近世に近く、さらには日本人が受け入れやすいように男女平等だ。しかも発展的な要素も残している。
現代的なところもあれば、原始的な部分もあるといった中途半端な世界だ。
料理チートを可能にするために(偏見)、食事関係はあまり発展していない。お風呂や下水などはやたらと発展しているけれど、医療は低いものだ。怪我はポーションとかで治せるけど、内科系の病気には効かない。唯一病気に効くのは聖職者の祈りだけ。この世界、宗教と魔法がすべての中心だ。
ちなみに黒髪は全部の属性が現れた色とされている。ふふ。そうわたしは黒髪黒目よ。全属性持っている超チート。ここは裏切らない設定が嬉しい。
さてさてさて。
この世界が理解できたところで、これからの身の振り方を考えないと。
まずヒロインがユリアン・ルートに入らなかったら、予定通りに結婚。これは決定。
ユリアン・ルートに入ったら断罪なんて嫌だから、さっさと婚約白紙にして領地に引きこもる。ストーリーどおりに嫌がらせをして断罪なんて嫌だもの。温い断罪だった気もするけど、この世界では違うかもしれないし。
問題は引きこもって何をするか。
料理無双はパス。料理ほど嫌いなものはない。別に今の料理だって満足だし。わたしの焦げた料理を食べるよりは全然美味しいし、調味料を探しながら懐かしい地球食を研究するなんて無理無理。
味噌も醤油も麹菌が必要なの。医療が発達していないこの世界で菌を使うなんて怖すぎる。だってそれが麹菌かどうかなんてわかんないじゃない。
発展的な要素があるとしたら、ポーションかな?
学校なんてもうすでに出来上がってしまっているしね。改善の余地のある隙間を狙わないと。
「お嬢さま、起きていらっしゃいますか?」
忙しく頭の中で情報を整理していると、小さなノックの音と共に侍女が入ってきた。
「ヘレン」
「まあ、よかったですわ。気が付かれたのですね」
どうやらまだ気を失っているものだと思っていたようだ。心配かけて申し訳ないという気持ちを持ちながら、体を起こした。
「もう大丈夫。日差しがきつかったのかも」
「そうですか。ですが、ちゃんと先生に見てもらいましょうね」
そう言われて初めてヘレンの後ろにユリアンの専属の医師がいることに気が付いた。初老の優しいおじいちゃんだ。元々は王城の侍医だった。引退と共に侯爵家である我が家に引き抜いたのだ。
「倒れられたと聞いてびっくりしましたぞ」
「先生、心配かけてごめんなさい」
「ユリアン様がとても心配していてね。自分よりも先にマリアンヌ様を見てほしいと」
ユリアンの目の前で倒れてしまったのだから、かなり心配しているのだろう。申し訳ない気持ちと、心配してもらって嬉しい気持ちがあって複雑だ。
先生は側に寄るとわたしのおでこを触ったり、目を見たりして、いくつかの質問に答える。
「ふうむ。特に問題はなさそうだな」
「もう起きてもいいかしら? ユリアンに顔を見せたいわ」
「では、一緒に行こうか」
許可が出たので、先生と一緒にユリアンの部屋へと向かった。