鷹のような目をした少年
がやがやと言う声と人々の熱気は久しぶりに感じるもので、私はただただ興奮が迫り上がってくるのを感じていた。
ここはエルメット通り。ここらで一番賑わいを見せている商店街だ。
エルメット通りの良いところは何より物の種類が豊富と言うところであろう。ここには命以外の物なら何でも売っていると言われるほど文字通り何でも売っている。そのためたくさんの者を求め四方八方の国からここを目指して人がやって来る。
私もその一人だ。ここに来るのは何年振りだろう。久しぶりに私がここにやってきた理由はフランス語の勉強の参考書を買う、と言う口実でこのめるえっと通りにやって来ることだった。
なかなか外に出る機会は無いし、エミリーの買い出しについて行ってみたかったのもある。執事は渋ったけど、やっぱり出てきてよかった。外に出てみる青空や感じる空気、人の熱気は囚われた部屋の中から見るものとは天と地の違いがある。
今、私は自由なんだ。家庭教師に小一時間ぐちぐちと説教されることもないし、退屈な部屋で外の子供の楽しそうな声を聞き惨めな気分になることもない。
それって、幸せなことだ。でも、世間は静かに勉学に励み多彩で知識人なお堅い子供に育つことが幸せと言うらしい。私にはそれのどこが幸せなのかわからないけど、それに堪えないと幸せは無いのだろうか。
私はそんなこと信じないけどね。
「リアお嬢様、そんなに目を輝かせて、楽しいですか?」エミリーは呆れを含んだ笑みを私に向けた。
「楽しいに決まっているわ、自由が楽しくないわけないもの」
私が笑うとエミリーは「良いですね、私なんて毎日のように買い出しに出されてますから、面倒くさくて面倒くさくて、こんなこと言ったらバートンさんに怒られちゃいますけど」
バートンさんは家の執事をやっていて怒ると怖い。私も、家庭教師が寝ている間に部屋を抜け出したら怒られて、とても怖かったのを覚えている。
「それで、リアお嬢様。今日はどうしますか?」
胸が嬉しいリズムを刻んでいる。そう来なくちゃ。
「今日は、服を見て、アクセサリーを見て、そうね、色々みたいわ」
「服もアクセサリーも商人がお屋敷に来るのにですか?」
確かに、商人は一か月ごとに家に来る。素敵なものがほとんどだし、パーティーが近いときは好きな物を買ってもらえる。
「でも、それは私が探したものでないでしょ?運命的な出会いを体験してみたいの」
きっと、私が買ってもらえる服やアクセサリーはここの物より上等なものもあるかもしれないけど、自分の足で歩いて探し出した宝は持ってこられるものより価値は高いと思う。
「では、あそこの店なんていいのではないですか?貴族の若者の間で人気の店と聞きました。まぁ、リアお嬢様の様に自分の足で買いに来る貴族の方はいらっしゃらないと思いますがね」
貴族と言うものは何でそうなのだろう。もっと自由に生きればいいのに。
そう思いながら私はゆっくりと確実に歩を進めて行った。人が周りから離れて行ったのに気付いたのは少し後のこと。
さっきまで居た人々は私たちの後ろの方へ流れ、こちらを奇妙な目で見つめていた。最初はなぜかわからなかった。それに私より先にエミリーが気付いた。
「リアお嬢様、こっちは良いものが売っていないようなので、引き返しましょう。早く」
エミリーの引きつった笑みの先には汚らしい男たちが集まっていて何かを口々に叫んでいるのが見えた。
どうしてみんなはそんなに嫌がるのだろう。
無性に好奇心が掻き立てられるのを感じ、私は歩を進めた。後ろでエミリーの焦った声が聞こえていたが構わず男たちを掻きわけ入って行った。
それを見た瞬間、私の好奇心は一瞬で恐怖と憎悪に変わっていった。こんなの話にしか聞いたことがない。本当にやっているところがあるなんて。
静かに引き下がろうとしたが、もう遅かった。男たちの目線は真ん中の商品から私に移っていたのだ。
「お嬢ちゃん、こんなところに遊びに来てどうしたんだい?」
男たちの気持ちが悪い笑い声が至る所から聞こえる。
「お嬢ちゃんじゃありません。この方はコーデリア・ハワード4様です。あのハワード家のお嬢様です」
エミリーはかんしゃくを起こしながら訴える。
「じゃあ、コーデリア様。どうしてあなたのような貴族様がこんなところにいらっしゃるのですか?」
男の一人が馬鹿にしたように恭しく頭を下げた。それにまた笑いが起きる。
私はこんな下品な人たちを初めて見た。逃げようとしても体が動かない。
どこからか逃げれないかと顔を上げると、真ん中にいる人と目が合ってしまった。
すぐに目をそらそうとしたが、私にはなぜかそれが出来なかった。
街の人は奴隷のことをまるで人じゃないように言う。でも、私にはそう思えなかった。
彼はわたしより少し大きくて、でも、歳は近いように見える。
切れた目は黒く光がないけれど、強い意志を感じた。手首にはきつく鉄製の手錠がかけられている。この人が何をしたと言うのだろう。奴隷と私に違いなんてないのではないだろうか。
この人も、私と同じで囚われているんだ。きっと自由を求めてる。鳥みたいに空を羽ばたいて、幸せになることを望んでいる。
私が決意したときに奥から一際存在感のある老人が杖を突きながらやってきた。
「静かにしろ」
その一言でさっきまでの騒ぎが嘘のようにピタッと止まった。
老人は、私をしっかりと見据えて言った。
「お嬢ちゃん、ここはあんたのような貴族の娘が来るところじゃないんだよ。興味本位で入ってきたなら今すぐ帰りな」
「じゃあ、お客ならいいのね?」
私の言葉にさっきまで静まり返っていた男たちがざわざわと騒ぎ出した。
「ほう、買い人になると言うのか」
「お金はあります」
隣でエミリーが弁明しようとしているのを抑え、私は一歩前に出た。
「その子を買わせてください」
…こんなにもお金を取られるとは思っていなかった。
でも、その代り、それらよりも大切なものを買うことができた。一つの命だ。
私が引いている鎖は確かに命につながっているのだ。
早く鎖を解いてあげたい。その一心で私の足はどんどん速くなっていく。
「まさか、そんなことをやってしまうなんて」
エミリーはまだ放心状態から覚めていない。エミリーは感情の起伏が激しい方なのだ。
「そうね、私もそんなことをするなんて思わなかった」
自分でも、まだ信じられていない部分がある。家に帰ったらどうしよう。お父様はまだしも、バートンさんはひどく怒るだろう。
だとしても、私がやったことは間違ってない。彼を助けたんだもの。それはとてもいいことでしょ?
ひたすら歩いてやっと、馬車が見えた。そこに行けばカーターさんがいる。そこでかぎを使えるから、彼を解放できる。
あと少し、私が小走りになった瞬間、私の体は宙に浮いた。
「へっ?」
ドンッと言う鈍い音が聞こえて、次の瞬間には私は地面にたたきつけられていた。
エミリーの声が聞こえて、やっと理解した。彼が倒れたのだ。
私は何も考えていなかった。彼が一番疲れているのに、それを配慮していなかった。
ちゃんと近くで見てみると彼の体がぼろぼろで殴られた跡が目に見える。
こんなにひどいことを出来る人間がこの世にいるなんて。
それを見てカーターさんが走ってきてくれた。一部始終を話すと、カーターさんはすぐに彼を馬車に入れ、私たちが彼の物を買ってくる間、見ていてくれると言った。
彼のことは気になったが、一刻も早く買い物を済ませて彼を家に入れなければいけない。
私とエミリーは走り出した。
二人が走り出したのを見て、カーターは持っている鍵を彼に使った。
鍵はさびていてなかなか言うことを聞かなかったが、どうにか開けることができた。
「よし、君はもうこれ自由だ」
カーターは手錠を窓の外に放り投げた。それにしても、あのお嬢様がこんな勇気あることをするなんて、成長されたな…。
彼を横たえて、お嬢様のちいさい頃を思い出していたらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
カーターが目を覚ますと、目の前でナイフを自分に向けている少年が見えた。
「動くな」
少年の目に恐れを感じられた。きっと怖いのだ。
「大丈夫、大丈夫。何もしたりはしない」
手を上に上げ、優しく諭す。
やっと、少年はナイフを下げた。だが、握りしめたままだ。
これで、普通に会話ができるだろうと思い、カーターは語りだした。
「俺の名前はカーター。リアお嬢様の従者をしている。元奴隷だ」
カーターが人の好い笑いをすると、少年は驚いた顔をしていた。
「そりゃあ、驚くだろう。俺も君と同じ、お嬢様のお父様に助けられて、ここに雇ってもらった」
旦那様の勇敢さは、今のお嬢様に良く受け継がれているようだ。
「それで、君の名前は?」
ずっと、君呼ばわりするのもあれだろう。少年は少し考えてから重い口を開いた。
「リアンだ」
「そうか、リアン。これまで辛いことばかりだったとは思うが、これからは大丈夫だ。よろしくな」
俺の身の上を話したからか、少し信頼を勝ち得れただろうか。リアンは俺の出した手をぐっと握った。線は細いが力がある。顔も悪くない。きっとイケメンになるだろうとカーターは密かに思った。
「あっ!起きてる」
お嬢様が帰ってきたのはそれから数分後のことだった。今日は一番と目をキラキラ輝かせ、まるで初めて巣穴を出た子狐の様だ。
あとから疲労困憊な様子でやってきたのはエミリー。相当走り回ったのだろう、言葉も出ない様子だ。エミリーが喋れるようになってからやっと、ちゃんとした自己紹介を始めた。
「初めまして、私はコーデリア。さっきはごめんなさい、あなたのこと考えずに引き回しちゃって」
「私は、エミリー。リアお嬢様のお世話役をやっているわ」
まだ私たちに心は許していない彼の目は獲物を見定める鷹の様に鋭く、そしてその奥の方に渦巻く恐怖が根深いを感じ取れた。
でも、きっとこの人と分かりあえる。そんなことを思っていた。