第8話
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いつものように無駄に広い庭で魔法の練習をしていたある日のこと、私は遂に耐えきれなくなった。練習に、ではない。
耐えきれなくなったのは、この家族関係である。私は4歳になったというのに、未だにジギル以外の家族の姿を見ていない。
ジギルは家族に良い扱いを受けていないようだったので、なかなか話を切り出せないでいたが、もう耐えきれない。
「ジギルにいさま!」
ジギルは庭にあるテラスで使用人に汲んで貰った紅茶を飲みながら優雅にこちらを振り向く。今は少年という印象は消え、青年と表すのがしっくりとくるようになった。
「なんだ?」
「かあさまやとおさま、ほかのにいさまたちは、なぜわたくしにかおも、おみせにならないのでしょうか!」
ああ、とうとう言ってしまった、と私は内心身構える。
「……そうだな。知りたいだろうな」
ジギルはそう言いながら紅茶をテーブルの上に置いた。
ジギルの様子に、私は虚をつかれたように口を開いてしまった。私はこの質問が、ジギルを傷付けると思ったからだ。
私にもし「母はお前に興味が無いのだ」と言おうものなら、その言葉は刃となりジギル自身をも傷つける。
何故ならジギルもまた、私と同じように家族と会えていないようだからだ。
だが、今のジギルの様子を見るに、特別変わった様子はない。
あぁ、とうとう聞かれてしまったか、という雰囲気は見受けられるものの、それは自身の身を案じている様子ではなく、むしろ私の心配だけをしているようだった。
「この話はお前の心に傷跡を残すかもしれない」
私は構わない、と告げる。
「僕も小耳に挟んだ程度なのだが、お前の腹には痣があるだろう」
(あ、そういえばあった。今では目が馴染んでしまって特別気になることもなかったけど)
私の腹には可笑しな痣がある。
それは、まるであの時受けた弾痕のような形をしている。
「母と父はそれを、美しくないと……」
私は成程、と納得する。
ハイルウェルツ侯爵家の内情にそこまでまだ詳しくはないが、母と父は兎に角美しいものが好きな人間だと、使用人が話していたのを耳にしたことがある。
「それで、母はお前を産んだことを………恥であると思っているようだ。痣がある娘など、とな」
(だから、顔も見たくないし優秀な息子達にも自分の恥である私を会わせたくないと、そういう訳ね)
私は十分に納得した。家族が会いに来ないのはもっと深い事情があると思ったのだが、大したことは無い面白味もない理由だったな、と少し残念にも思った。
そんな私の様子を意外だと思ったのかジギルが首を傾げる。
「つらくは、ないのか?たったそれだけの理由でお前はまだ、1度も家族に会えていないのだぞ?」
(そう言われてもなぁ……)
転生して4年経つが、それよりも前世の記憶の方が何倍も長いのだ。
私にとって家族は、父と亡くなった母と、強面だけと優しかった組員達だけだ。
顔も見たことない家族にはそこまで思い入れがない。
あ、だが、今はジギルも家族だと思っている。この世界で初めて出来た私のただ1人の家族だ。
転生のことを言う訳にはいかないので、最後のことだけを伝えておく。
「わたくしにとっては、かおもみたことのないかぞくよりも、ジギルにいさまが、そばにいてくれていることが、じゅうようですわ」
「エレナーゼ……。実は、僕もそう思っていたところだ」
今度は私が首を傾げる。
「今まで長い間家族の呪縛に捕らわれていたが。エレナーゼ、お前が産まれてからは何故か心が軽い。お前が傍に居てくれると、家族のことを考えても胸が痛くならないのだ」
ジギルは緩やかにこちらに微笑んだ。ジギルが私にここまで柔らかい表情を見せるのは初めてのような気がする。
私は思っていた以上にジギルに好かれていたのかもしれない。
「だが、お前ことだけを暴露するのは兄としての沽券に関わるな」
ジギルは上品な上着を脱ぎ腕を捲りあげた。
私は息を呑む。
(酷い)
ジギルの程よく筋肉のついた腕には生々しい火傷の痕があった。
「醜いだろう?この火傷は背中一面にある」
私は目を見開く。涙が出そうになるのを必死に堪えた。涙は彼への侮辱になると思った。
誰がこんなことを、なんて聞くまでもない。だが、彼らがここまでする人間だとは思っていなかった。
「僕は、魔法こそは1歳で扱えていたが、最上級魔法ができるようになったのは5歳の時だ。兄さん達は3歳になる頃にはできていたらしい」
私はジギルの話を黙って聞いた。
「父上は、僕に火系の魔法を扱えるようになって欲しかったみたいだ。アルヴィン兄様は氷で、カーティス兄様は水だからな。バランスを考えたんだろう。三兄弟で氷水火の最上級位魔法が使える、なんて他の貴族の目も引くだろうし、話題性としても申し分ないからな」
ジギルは苦痛の表情を浮かべ、目を閉じた。その姿はまるで過去の自分と戦っているようだった。
「父上は、僕が火系の最上級位魔法を扱えないのは火を怖がっているからだ、って。僕がやめてくれと泣いて謝って頭を垂れても、毎日、毎日毎日毎日毎日! 少しずつ僕の背中を焼いていった。最初は痛くて苦しいかったが、段々と背中の感覚がなくなっていくんだよ。焼かれる度、ただ言い様もない恐怖と皮膚が焼かれていく焦げ臭い匂いがするだけで……」
(ジギル……もういい。やめて、そんな苦しそうな顔で、声で、話すくらいなら)
私は弱い。ジギルが戦っているというのに、そんな事ばかり考えてしまう。今すぐに彼の口を手で塞ぎ、他愛もない話をして、こんな話なかったかのように、いつものように彼に偽物の計算された笑顔を送る。
(でも、きっともう手遅れだ。もう戻れない。こんな話を聞いてしまったら、私は彼らを一生許すことができない)
「……火の最上級位魔法が使えるようになった頃には僕の体は醜く焼き爛れていて……。そうなると、わかるだろう?」
ジギルはゆっくりと目を開け、私の頭を愛おしそうに撫でた。
「醜い息子はいらないって捨てられた」
ジギルの目には涙はなかった。彼はきっと、私の気付かぬうちに腹を括っていたのだ。
「……僕は魔法がきらいだった」
でも、とジギルは続ける。
「愚かな妹は気付いていなかっただろうが、お前に魔法を教えている時、初めて魔法は楽しいものだ、と思った」
これ以上もうやめて。
私の血が騒いでいるのが分かる。
私は彼を教育するだ何だといって、彼の本質を見ていただろうか。彼自身と本気で向き合っていただろうか。
体があつい。
皮膚が血が細胞が騒いでいるのが分かる。
これは怒りだ。
私はエレナーゼ・ハイルウェルツとしての初めての怒りを覚えた。
それと同時に
私の体に魔力が溢れ出しているのが分かる。