第3話
「う、うるさい! なんとかしろ!」
ジギルは耳を両手で塞いだ。
その動きと共に、金髪の女性の体が解放される。
「くそ!! 気分が悪い!僕は帰る!」
ジギルは、ドタドタと足音を鳴らしながら部屋から出ていった。
(なんだったのよ、アイツ)
「お嬢様……。助けて下さったのでしょうか。……いや、まさかね…」
金髪の女性はノロノロと体を起こした。
(大丈夫かしら。あなた、また虐められたら言うのよ。私が大声で泣いてやるんだから)
▽▽▽▽
それから1年の月日が流れた。
金髪の女性の名前がベルだということ、私はハイルウェルツ侯爵家の長女エレナーゼ・ハイルウェルツだということが分かった。
そしてここは日本ではないらしい。
いや、それ所か私がいた世界ではない。
私の兄ジギルは当然のように魔法(?)を使っているし、周りもそれを不思議に思っていない。ここは魔法(?)が存在する世界なのだ。
この1年間何故かジギルは1週間に1度ほど顔を見せに来ては悪態をついて帰る、という謎の行動を繰り返しており、逆に母親は1度も顔を見せに来なかった。
私の世話は専らベルがしてくれた。
さすがに精神年齢は高校生な訳だから、お下のお世話をしてもらうのは居た堪れなかったけど、赤ん坊は何も出来ないのだ、仕方がない。
(どうやら私は異世界に転生した、っていうことを認めざるを得ないみたいね)
いつものようにジギルが部屋に来たある日のこと。
「妹よ、顔を見にきてやったぞ!」
ジギルがドカドカと部屋に入ってくる。
(こいつ、暇なのかな)
「ふん、こやつもようやく人の形になってきたではないか。だが、言葉はまだ喋れんのか」
ジギルがベルに尋ね、ベルは深く頭を下げ答える。
「はい、ジギル様」
ベルがこの1年間で学んだことの1つは、ジギルの質問には簡潔に要点のみで答える、ということだ。
「不出来な妹だ。そうだ、妹よ。貴様が初めて話す言葉が『ジギル兄様』である事をこの僕が許可してやる」
(は、こいつ一体何をふざけたことを)
私はジギルからプイッと目を背けた。
だが、それが間違いだったようだ。
初めてされる扱いにジギルが怒り狂いだす。
「き、貴様ァ! このハイルウェルツ公爵家三男に何たる態度! 無礼だぞ!」
まだ1歳程にしか満たない子供相手に何を本気になって怒っているのか私には理解不能だったが私は瞬時に やらかした と自分の行いを反省した。
もちろん、兄に対して無礼な態度をとってしまった、という反省ではない。ジギルが怒り出すと、とばっちりを食らうのは
ベルだ。
「乳母! 貴様がこやつの教育を怠るからだ!!」
「も、申し訳ありません! どうかお許しを……」
ベルは反射的に謝る。だがジギルの怒りはそれでは収まらない。
「地に額をこすりつけ許しを乞え」
ベルの体が一瞬ではあったが固まったのを私は見逃さなかった。
それでもベルはすぐに床に膝をつけ、頭を下げた。
そのベルの頭をジギルは足で踏みつけた。
「貴様……責任はとってもらうぞ?」
(あいつ……許せない。男なら、男なら……仁義を守りなさいよ!)
泣き声攻撃は、この1年で耐性がついたのか効かなくなり、ベルの頭を踏みつけているジギルを止めることもできない私は為す術がなく、ひたすらに仁義仁義仁義……と念を送る。それだけのことしか出来ない自分の不甲斐なさに嫌気がさす。
(仁義仁義仁義仁義「じ、んぎぃ」
あ、声に出しちゃった)
ジギルがこちらを勢いよく見た。
「貴様、今なんと?」
(え、なに、この世界ではもしかして仁義ってNGワード?)
「今、ジギル と申したか?」
ジギルはキラキラとした瞳でこちらを覗き込む。
(…………えっ)
私の戸惑いには目もくれず、ジギルは指先をクイッと動かし私の体を宙に浮かせた。
(わっわっ 怖い怖い! 怖いんだけど!)
「兄様がついていなかったことは気にはなるが、まぁいいだろう!」
ジギルが指先をクルクルと動かすと私の体もクルクルと回る。
(も、もしかして仁義をジギルと聞き間違えた?)
「……ああ、忘れていた。そこの乳母。今、僕は気分がいい。先程のことは不問にしてやる」
ジギルはそう言葉を言い残し、私をベッドに戻した後、軽い足取りで上機嫌に部屋を出ていった。ベルが何事もなく開放されたことに安堵するが、事の発端は私の態度のせいだ。
(これからは言動には気を付けないと……)
………………なぁんて
私が殊勝にもそう思うと思ったら大間違いだ。
私は綾辻組組長の一人娘、綾辻 愛奈。
人の道理から外れたものは人の道へと導き正す。それが私の任侠魂。
(見てなさい、ジギル。私があなたを正しく導いてみせる)