初めての取材旅行
そろそろストックが切れる…ヤバイ。
長野県のとある小都市。一人のお巡りさんが自転車に乗りながら街を巡回していた。今では珍しくなった自転車での巡回だが、初老に差し掛かりつつあった彼だけは頑固にこのやり方を貫いていた。
(全く、嘆かわしい…)
街を一回りしながらも、誰一人として自分の方を向こうともしない市民に思わず心の中で毒づく。特に町を我が物顔で練り歩く今どきの若者共の、礼節という物の欠片すら感じられない態度は、彼の中にある若者への敵意を増幅させていた。
若い夫婦らしきの二人組の足元の子供が大声を上げる。しかし、二人共がそんな子供のことなど気にも留めずスマホのゲームに熱中している。
(子供のしつけ一つまともに出来んのか、今時の若者は…!!)
心の中ではそう吐き捨てつつも、わざわざ言った所で迷惑そうにされるばかりで、あまつさえ名前を憶えられて本部にあることない事クレームとして入れられるばかり。市民が身の丈に合わない反撃の手段ばかりが増えてしまったこの時代、警官の仕事など割に合わないと言ったらない。
むしゃくしゃして自転車をこぎ続ける中で、やがて交番がある駅前広場に到着する。休日ともあってか人通りも多い。だが着任した当時ならば、休日の街を一通り回れば市民と一言二言会話があったと言うのに、今では目障りな連中ばかりが目についてしまう。
苛立った気持ちを隠し切れず、思いっきり音を立てて自転車を止めると、観光客らしき見覚えのない市民がビックリしたような顔をしてこっちを見てきた。その姿に微かな満足を抱きながら交番に戻ろうとしたその時、駅の外観をスケッチする若い男に気づいた。見たところ高校生くらいだが、横顔の辺りにでっかい傷痕が見える。周囲に保護者らしき大人が見当たらない辺り、一人でわざわざここまで来たんだろう。
(ふん。どっかのオタク趣味を持った不良か)
顔の傷から彼の素性をある程度察した彼はむしゃくしゃした想いのまま彼に近づいていく。この街の住人なら下手に顔と名前が知られているせいでクレームを付けられることも多いが、観光客ならその心配も薄い。ああいう若い一人旅の観光客ならうってつけだ。
「おいお前!ここで何をしている!!」
「何って…スケッチ。地方の駅の外観は直接見てスケッチしたほうが正確なんで」
彼は不思議そうにこちらを見て、描かれたスケッチを見せてくる。一目でわかるほどの相当な上手さだが、そんな物こちらにしてみれば何の価値も無い。
「そう言うことじゃない!お前は何処のどいつで、ここに何をしに来たかと聞いているんだ。ええ?」
長年の警官としての経験で培った、学生には耐えられるはずのない迫力の籠った恫喝をするりと躱し、彼はスケッチブック閉じて答えた。
「なぁに。怪しいもんじゃないですよ。ただの漫画家志望の高校生が、この長野に漫画の取材しに来たってだけの話さ」
彼、葦原和也はそう言って小さく笑った。
駅前広場でやたら偉そうな警官に絡まれるよりも二時間ほど前。長野行きの電車の中で、俺は滝先生と二人で窓から見える景色を眺めながら駅弁を食べていた。
「全く、俺は学校の仕事で長野に行くんだぞ。なんだってお前までついて来るんだ?」
「やだな。俺はちょっと漫画の取材で同じ所に行くから同行しただけですって。移動費も、宿代も、それにほら、この駅弁だって自腹だ。何か文句あるんで?」
「だから何だってお前が長野について来るってことになったんだって聞いているんだ。まさかとは思うが、例の秘密結社と何か関係があるんじゃないだろうな」
「さぁ…そっちはどうかは分かりませんけど…とりあえず、ヒーロー活動と漫画家への道が半々って所ですかね」
「お前な…」
隣に座る滝先生が苦笑い交じりに駅弁の残りをかき込んだ。
事の始まりは、隔離状態の水城さんだった。彼女の事情を聴いた俺は、彼女のスランプの真実って奴がどうも気になってしまった。彼女の故郷と家族への複雑な事情と想いは知れたが、だからと言ってスランプにまで陥った理由は分からないままだ。実家から離れられた解放感と、日常の全てで剣道を強制されることが無くなったことでの気のゆるみ…それだけでは説明がつかない。
納得する為には、彼女自身が知らない故郷と実家のことを知らなくてはならない。そう思った俺は、水城さんが病気で現在隔離入院措置を受けていることを家族に学校として説明するべく長野に向かう滝先生に便乗させてもらう形で長野に向かっていた。
爺さんとヒカリは何やら忙しいらしく来られなかった。何をしているのかは気になるが、まあいつかは教えてくれるだろうし、これは個人的な興味の範囲だ。わざわざ彼女の巻き込むことも無いだろう。
やがて電車が目的の駅に到着し、俺と滝先生は久しぶりの動かない地面に感動しながら今後の行動を確認する。
「いいか。俺は水城の実家に行くが、お前は絶対に来るなよ。ややこしいことになるからな」
「分かってますって。でも、これはあくまで漫画の取材なんで。水城さんの中学時代の同級生にはインタビューくらいするかも」
「…まあ、それくらいはいいか。今は昼の一時…五時までには宿に来いよ。じゃあな」
滝先生はそれだけ言い残して頭をかきながらタクシー乗り場に向かっていった。このまま真っ直ぐ水城さんの実家に向かうらしい。プライバシーの観点から、滝先生には彼女から聞いた話を伝えていないが、果たしてどうなることやら。
「おっと。まずは駅の外観のスケッチからだな。随分と古ぼけてるが、これはこれで味のある。そう有名じゃないからネットで検索してもいいアングルが見当たらないし…」
思わずブツブツ独り言を言いながらスケッチしていくと、何やら強面で初老のお巡りさんに職務質問されてしまった。
このお巡りさんは相当イライラしているらしい。まさかただスケッチしているだけで職務質問されるなんて思いもしなかったな。
「漫画家志望?フン、下らん。学生がそんなことに現を抜かしおって。いいか、お前くらいの年のガキが勉強とスポーツ以外に熱を上げる余裕があるとでも思っているのか?」
「思ってますよ?親父の代から漫画で飯食ってますから」
「なっ…!?」
言い返されると思っていなかったらしく、お巡りさんは顔を真っ赤にして詰め寄って来る。随分とカルシウムが足りてない人だな。
「何を言っているのか分かっておるのか?そんな下らないことで、お前は人生を台無しにするつもりか?」
「将来の夢くらい好きに見させてくださいよ。夢破れて挫折する経験だって、人生では何度も味わえない貴重な経験だって教わりましたよ。ま、俺はそうはならないけど」
かつて立花さんから教わった格言。ただまあ、初めて漫画を持ち込んで早々に言うセリフじゃねーよな。一応、多少上手く描けるからって慢心するな、って意味も込めていたんだろうけども。
「貴様!!大人からの助言をありがたく受け取ることも出来んのか!!ええ!?ただの学生風情が!!」
しかし、反論したせいで怒りだしてしまったお巡りさんの叫び声に、周囲に居る駅の利用客がざわつき始める。警官があんだけデカい声で騒ぎ立てれば、そりゃあ目立つようなぁ。明らかに何人かスマホでこっちを撮ってるし。
「ちょっと交番まで来い!!人生を甘く見とるお前にはたっぷりと説教してやる!!」
「やですよ。俺、取材しにわざわざ来たのに」
「関係あるか!!来ないと言うなら公務執行妨害で補導してやってもいいんだぞ!!」
「そいつぁ職権乱用じゃぁなかろうかねぇ…」
その時、見知らぬ誰かが声をかけてきた。グレーのスーツに身を包み、立派な革靴を履いたその男は、日本人離れした浅黒い肌をしていた。
「だ、誰だ貴様は!!邪魔立てするなら、お前の方は逮捕するぞ!!」
「そりゃあ困るなぁ。けれども、もうちょいとだけでいいから穏やかにことを済ませられないかい?そんな勢いで逮捕しちまえば、この国の牢屋が足りなくなるだろうに」
彼は薄らと笑いながらお巡りさんに近寄っていく。その足取りは軽やかだったが、同時に隙の無い武人の足取りでもあった。
一体、この人は誰だ?わざわざ助けに来てくれたのはありがたいが、こんな怪しい人じゃあ疑ってしまいたくなる。この騒ぎを遠目に見ている人たちも同じ気持ちだろう。
周囲の怪訝そうな目つきなど気にせず、彼はお巡りさんの肩に手を置いた。
「落ち着きなさいや。ここはサムライの国なんだろう?サムライが権力を傘にして横暴を働くのか?」
「喧しいッ!!税金を払わん外人が我々の仕事に口出しするんじゃあない!!」
「消費税位なら、俺もこの人も払っていると思うんだけどなぁ…」
とりあえず、俺もここは援護射撃だ。一対一ならわざわざ怒らせることは無いが、この状態なら怒れば怒るほどこのお巡りさんがボロを出すだろう。交番に引きずり込まれれば完全に負けだが、実質二体一ならそうはなるまい。
しかし、お巡りさんは勝ち目がないことを悟れなかったらしい。
「公務執行妨害だ!!二人共交番まで来い!!」
「えー?」
「この状態でか?」
「つべこべ言うな!!まずはお前から…」
そう言って男の腕を掴むお巡り。するとその時、彼の目つきが変わった。
「えっ?」
一瞬のことだった。彼は掴まれた腕を振りほどき、そのまま逆にお巡りの腕を掴み返して空中に投げ飛ばしてみせた。
誰しもが状況を把握できず凍り付く中、彼に投げ手と掴み手を離されたお巡りが頭から地面に落下しそうになるのを見た俺は咄嗟にお巡りの体をキャッチする。
「はっ!?」
「あっぶなぁ…!!」
頭から落下すると言う大参事を回避できたことを喜ぶ俺と、それを見て呆気に取られた顔をする彼。
「君は物好きだな。あのまま放置すれば気を失ってくれただろうに」
「…その方が楽かもしれませんけどもね。俺としては納得のいくラストじゃないんで」
呆然としているお巡りを無視して見つめ合う俺と彼。このお巡りを投げる時、確かに彼からは異質な気配を感じた。やはり、この男は…。
「き、貴様ら!!この私に暴力を振るったな!!これでもう言い訳は聞かんぞ!!今度こそ正真正銘公務執行妨害で…!!」
「そこまでだ!!」
「ん…?」
その時、再び乱入者が。やたらと多いな、と思いながらそちらを見ると、その一瞬の隙に彼が姿を消していくのが見えた。
「な、なんだお前は!?お前も邪魔をするのなら…」
「公務執行妨害は、正当な公務を妨害された時のみ適応される。君のような公務員が好き勝手行うための免罪符では無い!!」
救援にやって来た二人目の男は、さっきの男と同じくスーツを着こなした若いイケメンだった。ただしこっちは純粋な日本人らしく、スーツの色も真っ黒だった。
「す、好き勝手やっているだと!?市民への教育も立派な公務だ!!それを知らない一市民は…」
そう言って詰め寄るお巡りに、彼は懐から警察手帳を取り出して見せた。
「警察庁警備局・公安課・特殊組織犯罪対策室・第零係所属。三条慎吾警部補だ。長野県警から本日そちらの署に向かうことになったと連絡が行っているはずだったが、まさかこのような状況に出くわすとはな」
彼の手帳を前にしたお巡りが真っ青な顔をして凍り付いた。三条警部補は手帳を懐に戻すと、お巡りの制服のポケットから手帳を取り出して中身を確認する。
「駅前交番所属の水城巡査部長か。悪いが署長に報告させてもらう」
「水城…?」
その名前を聞いて思わず考え込む俺。三条警部補の言葉通りなら、まさかこの悪徳警官が水城さんの親父?
考え込んでいると、三条警部補は俺の顔をちらりとだけ見て呟いた。
「悪かったな、葦原君。詫びは次の機会に取っておいてくれ」
手帳をお巡り三条警部補はそれだけ言い残して立ち去っていく。
「…あれ?なんであの人、俺の名前を…」
追いかけようにも既に三条警部補は駅を出て、タクシーに乗り込むところだった。
俺は何だか納得のいかない物を抱えつつ、放心状態の水城さんの親父っぽい人の顔だけを軽くスケッチしてその場を立ち去るのだった。
感想待ってます。




