アフリカ蜂の5枚目の羽根
灼熱の砂漠があれば、雪を冠った山々も見える。
見たまま言えば、なんでもありの景色だ。
ジープなんて可愛い車に乗ってる場合じゃない。
中古のトラックに、中古のコンテナを荷台を乗せて、落ちたらひっくり返る道を南に下る。
引っ切り無しに通る車で、砂煙りが遥か先まで、漂い道を隠している。
陽が落ちる前に、村に着きたい。
水無し河を、越えればすぐのはず。
このポンコツはとうに、クーラーも壊れ、ミラーにつけたクリップ式の扇風機が、オモチャの様に、回っている。
砂ぼこりよけに、窓は半分あげているが、もう、諦めて全開にした方が、良いのかも。
バンダナをマスク代わりに鼻まで、引き上げているので、そこが黒い筋になっている。
一気に暗くなった道の先に明かりが見えた。
義理の叔父の住む村だ。
こんなボロトラックにも、子供達は眼を輝かせて、ワラワラと寄ってくる。
降りてきたのが、日本人の女性なので、ざわめきが起きるが、もう慣れた。
白い家から、義理の叔父さんが、出てきた。
お互い、言葉は半分ぐらいの理解で、結婚式以来だ。
夫が、出てきて、通訳してくれたから、楽だった。
今回、ここに寄ったのは、夫もさる事ながら、荷物を届ける為が大きい。
明日から、この村にソーラー発電装置と携帯の中継局を設置するのだ。
コンテナには、ちょっとやそっとでは切れないステンレスの鎖とどでかい鍵がついている。
村長の3階建ての家の屋上に、取り付ける予定だ。
バラ線のある塀と鉄格子の様なゴツい門の中に、車ごと、乗り込む。
最初はあまりの仰々(ぎょうぎょう)しさに、驚いたが、金と地位のある立場なら、こうしなければむしろ、馬鹿にされてしまうのだ。
大きな建物と侵入者を許さないバリケードが、かえって周りに安心感を与えていると、教えられた。
それでも万が一、夜中に持逃げされては、ここまで運んだ意味が無いので、バッテリーを外して、夫に渡す。
バッテリーは、使い道があるし持ち出しやすいから、ちょくちょく盗まれるのだ。
歓迎され、女だけの部屋に通されることになる。
ここの娘3人は、フランス語と少し英語がわかるので、安心だ。
初めて会う人もいるので、まずは挨拶から。
ここまでは、夫もいたが、この先は男は男、女は女と、キッチリ分かれる。
明日の朝まで、夫婦でも、それは違えることはないのだ。
円座になって、夕飯を皆で食べる。
意外に辛くて美味い。
パサつくご飯に野菜のスープをかけ、細く裂いた柔らかい肉と豆の潰したのを混ぜながら、手で食べる。
私は、マイスプーンで食べるのを許してもらっている。
それ以外は、慣れだので、すんなり食べているが、床に置いた食器でも、持ち上げてはいけないのには、違和感があった。
カップ以外の食器は、床に置いたまま、食べなければならないのだ。
世界を見れば、色んな食器を手で持ち上げる民族は、少数派で、ほとんどは、床かテーブルに張り付いた皿で、食事をする。
長いドレスの中で、片膝ついての食事風景にも慣れた。
本当は醤油をかけたいのだが、作ってくれた人に、かなり失礼に当たるので、味を変えたりは、出来ないのが、最初辛かった。
本当に何にでも、醤油をかけて食べていたのが、ここに来てから身に沁みた。
3姉妹の1人とシングルベッドに一緒に寝る。
ひどい時は、シングルに大人3人なんて時もあるから、贅沢は言えない。
床で寝なければ、それだけで、贅沢だ。
明け方が冷えるので、かえって人と寝た方が良いぐらいなのだ。
ここに来てから、寒暖の差で、鼻風邪をこじらせたし、扁桃腺も腫らした。
疲れていたので、気にもしないで、すぐに寝付いた。
明け方の寒さで、咳が出て、起きてしまった。
左をずっと下にしていたので、痛い。
それでも、あのトラックで寝るより、楽だ。
そっと、ベッドを抜け出し、台所に行った。
ここの母親と1番上の娘がもう起きている。
膨らまないペッタンコのパンを、中華鍋の様な丸く大きなフライパンで、貼り付けて焼いていた。
香ばしい匂いが、立ちこめている。
横で豆が煮られていた。
トマトが入っていて、良い匂いだ。
朝の挨拶をして、女用の水瓶から、洗面器に水をもらい、これで身支度を整える。
ここの女達は、コップ一杯あれば、顔から歯、身体まで、清めてしまうが、そんな芸道は、まだまだ出来ない。
歯を磨き、日本手ぬぐいで顔をぬぐい、ザッと身体を拭くが、どうしてもここの女達の5倍ぐらいの水を使ってしまう。
どれだけ、無駄に水を使っていたか、わかる。
瓶詰めの水の贅沢な事。
滝や温泉の話しに、昨夜はかなりもりあがったが、今無いものを語っても、虚しいとおもえた。
今回、ろ過装置も持ってきたから、うまく行けば、清水が作れるかもしれない。
ここの汲んできた水は、薄っすら茶色に濁っている。
最近は下痢をしなくなったが、旅に出たら、気をつけている。
窓越しに、夫に呼ばれた。
朝の涼しいうちに、作業したいそうだ。
オンボロでも、我がトラックがあった。
ホッとする。
頑丈な鍵を開け、ソーラー発電装置を出す。
アンテナや土台も、引っ張り出す。
この家の男たちが、総出だ。
1匹のアブが、ブーンと出て来た。
誰も刺すことなく、トラックの荷台の上に飛んで行った。
刺さないかぎり、かまってる暇は無い。
建物の外側についている階段を上がり、夫が中心になって、組み立てが始まった。
なんでもこなす人が多いので、作業が始まれば早い。
1時間ぐらいで、組み立ては終わった。
ここからは、まず太陽の力を、上手く電気に変えられるかが肝心要。
つまり、待てば結果が明らかになる。
朝ごはんの時間だ。
昼間のギラつく太陽をさけて、少し気温の下がった夕方、夫が本社と連絡が取れた。
携帯基地局として、動き出したのだ。
まあ、これから色々問題も出るだろうけど、動き出せば、どうにかなるもんだ。
翌日、義理の叔父にここのメンテナンスの仕方と新しいプリペイド携帯を渡し、私は夫と、ここの基地局の電波がどこまで飛んでるのか、ザッと見に行くことにした。
バッテリーをつけ、我がオンボロが、走り出す。
いつまでも追いかける子供達に、窓越しに夫が怒鳴っている。
危ないからもあるが、ここらは子供の誘拐も多い。
あまり村から外れると、本当に危ないのだ。
子供達がゾロゾロと村に帰って行くと、ホッとする。
母親らしき姿も2、3人見えていた。
時々止まり、アンテナを出し、電波を探る。
思っていたより、広範囲を網羅していて、お互い笑いあう。
ポットに入れてもらった珈琲と蜜を塗って二つ折りにした薄いパンは、ご馳走だ。
珈琲は、その家の主人が、客人をもてなす時に、振舞われる。
蜂蜜は、どこの部族でもご馳走だ。
巣の欠片や蜂の入った蜜にビックリしたが、今では、この濃厚な蜜の味が大好きで、瓶詰めの半透明な蜜には無い、野生味を感じている。
一箇所に留まることなく、2人で電波を探しながら、走った。
夫が本社に、状況を知らせる。
満足そうな横顔が、帰宅を促す。
明日は、反対側だ。
そうやって、5日ほどたってから、この村を後にする日が迫る。
今日は、水のろ過装置の運転だ。
タンクは、空でも重い。
人力に頼り、庭に設置する。
今回は、ダンプで、ありったけの入れ物をかき集め、水を運ぶ。
ここいらは、井戸を掘っても良い水が出ない。
川からの恩恵が頼りだ。
遥か彼方の山脈のそばなら、良い水がたくさん湧いているだろう。
それを持ってくるには、その間の幾つもの部族との交渉が必要で、中々難しい。
国よりも、部族の方が優先されるので、面倒なのだが、彼らの風習は変わらず、水でもなんでも、揉めるし解決しないのだ。
今回、タイヤが自転車ので四つ付いた、リヤカーを持ってきていた。
今後は、これを使ってもらうが、いかんせん水汲みは、女子供の仕事なのだ。
男がした方がよい様な力仕事でも、風習は変わらない。
このリヤカーは、軽くて小さい。
それでも、かなりの水を1度に運べるはずだ。
タップリの水が、タンクに入った。
どういった仕組みかは、話してもわからないから、魔法の領域なんだろう。
茶色かかってた水が、無色透明になって、蛇口から出て来た。
まずは、夫が毒見し、村長の叔父や男達が飲む。
取り決めは簡単だ。
運んだ水の分量だけ、水をろ過してもらう。
今回は夫がこの村に寄贈したので、話は早い。
翌日、2人はポットの珈琲とパンを持ち、この村を離れた。
こんなに、スンナリと事が運ぶ事など、まず無い。
大抵は、村長や長老なんかに邪魔される。
ダンプは、街道に出た。
一気に行き来する車が増え、緊張が走る。
暑い1日を走るのだ。
パンダナの境は埃の筋がつき、流れた汗でベトついている。
ハンドルも熱くなりだし、大きな樹の下で休む事にした。
温くなってるあのろ過した水を飲む。
外も内も気温は変わらないが、それでも日陰に置いておいたから気持ち、旨い。
川の水をそのまま使うのは、寄生虫の卵も飲む事になるので、子供の死亡率が高い。
大人でも、下痢をして、そのまま死亡してしまうのだ。
暑さの厳しい地域での下痢は、死に直結してしまう。
呪い師にすがるが、それでは改善されない部分だ。
我がオンボロは、シャフトの音が気になりだしたので、帰ったら見てやらなければならないだろう。
木陰を渡る風が優しい。
地響きあげて、満員のバスが通り過ぎていく。
屋根の荷台にも、長い布で身体を巻いてる若者が3人、張り付いている。
真ん中の山羊が二頭、バスに合わせて揺れていた。
蜂蜜パンに手を伸ばした夫が、アッと叫んだ。
アブだ。
私は慌てて、叩く物を探し、打ち下ろそうとしたが、夫が止める。
それは、アブに擬態した蜂だった。
尻が違うと、夫に諭される。
ブーンと低い羽音が響く。
腰の辺りに、5枚目の羽根が小刻みに揺れていた。
2人でしばらくこのアブにそっくりの蜂の羽根を観察した。
5枚目の羽根は、可愛らしく、他の羽根に負けない様に、良く動いている。
夫が、風習や掟と言うものも、この余分な羽根みたいなものだな、と、ひとり納得している。
ここは、5枚目の羽根を捨てない土地なのだ。
蜂は、やがてパンから離れ、開いている窓のひとつから、外に飛んで行ってしまった。
これから都会に帰ったら、4枚羽の蜂達が飛び交っているだろう。
5枚目の羽根は、いらないのかもしれない。
それでも、そこの風習をなるべく壊さない様に、またソーラー発電機やろ過装置を運ぶのだろう。
5枚目の羽根が、入りようか否かの答えは、出せないまま、蜂の残したパンと珈琲で、昼食を済ませ、我がオンボロは、来た道をとって返るのだった。
今は、ここまで。