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訪れた少女

ああ、もう、どうして!そんな……そんなのって、ないよ!!

雨粒が体を濡らしていくのにも関わらず、傘は差さない。なぜなら、学校に置き忘れてしまったから。少女は今、強い悲しみに襲われていて必死で、そんな彼女に傘を持っていく余裕がある訳がない。

行き交う人々からは不審げな、あるいは心配そうな視線を向けられるがしかし、それらに気付く事もなく少女はひたすらに走り続ける。周りの景色が、一瞬にして代わるまでは。

最初に気付いたのは、床。今までずっとアスファルトが続いていた筈なのに、いつの間にやら木の床へ変わっていた。

それから、音。道路を走る車のブレーキ、わいわいと話す人々、そしてなにより耳に深く残っていた雨音。それら全ては、まるで最初からなかったかのように、どこかへ吸い込まれて消えてしまっていた。代わりにどすんと居座る静寂は、私までも追い出すかのようにずずいと迫ってくる気がした。

怖い、動けない__。

そう思った矢先、誰かの足音が聞こえてきた。

だんだんと近付いてくる足音に体を震わせつつゆっくりと顔を上げると、一人の少年の姿が見えた。大量の本棚を背景にゆったりと歩いていく少年は少し幼い顔つきをしつつも、周りの雰囲気がそれを打ち消し、自分より年上なのでは、と錯覚させる。それはきっと、紺色の燕尾服というのも手伝っての事だろう。

コツ、コツ……コツン。

少年が立ち止まり、あたりは再び静寂に包まれる。金髪に水色の瞳と、西洋めいた容姿の彼は、片手を胸に当て、深々と礼をした。艶やかな金色が顔の横に垂れて、その美しく整った顔を隠す。

「本日はご利用いただき、ありがとうございます。私はこの図書館の管理人を務めている者です」

厳かに発せられたその声はやはり少年のもので。少女は頭に浮かんだ大量の疑問をなんとか飲み込み、一番聞きたい事だけを質問した。

「ここはどこ?私、さっきまで町にいたのに……」

それを聞いた少年はゆっくりと背筋を伸ばし、柔らかく微笑んだ。

「先程申し上げた通り、ここは図書館ですよ」

そうじゃなくて、と叫びそうになった瞬間、少年の付け足した言葉に口をつぐむ。

「まぁ……ちょっと世界がずれていますが」

 世界が、ずれている?それは一体どういう意味なのだろう?と聞く間もなく、少年はくるりと背を向けて歩いていってしまう。

「あ、ねぇ、待って!」

 まだ完全に恐怖がなくなった訳ではないが、一人になるのはもっと怖いだけだ。そう思った少女はようやく一歩を踏み出した。

「ねぇ……管理人さん?」

「はい、なんでしょうか」

 果てしなく続き本の海の中、聞こえるのは二人の足音と話し声だけ。だからこそ、少女は会話を止めたくなかった。

「管理人さんは、どこに行こうとしてるの?というより、名前、なんていうの?」

 しばらくしてから、答えが返ってきた。

「……この図書館は、人々がある本をとても必要とした時に現れます。その人が求める本をお渡しするために。そして管理人せある私は、そんな方々を案内するという役目があるのです」

 あなたもその一人ですから、と振り返って微笑する少年に、少女は少し見とれながらも、二つ目の質問に答えてもらってないのを指摘すると、少年は一息ついてから首を振った。

「私の事は、管理人と呼んでください」

「でも、」

「私はそれ以上でも、それ以下でもありませんから」

「……そう、なんだ」

 納得出来ない答えだった。けれど、こんなところで務めている時点で、彼にも色々あるのかもしれない。そう考えた少女は、ひとまず聞かない事にした。

「さぁ、お探しの本はこちらです」

 突然棚が消えたように思ったけどそれは違って、今度は低い本棚が並ぶ、いわば児童書コーナーに着いたようだ。そしてまたしても、少女には疑問が湧く。

「こちら、ってどこ?私は絵本を必要としてるの?」

「ええ。ここにいる間は向こうでの記憶を忘れてしまうため、なぜ本が必要になったのかは、実際にその本を見つけないといけません」

 向こうでの記憶をわすれてしまう__そう言われて初めて、少女は自分の記憶が無い事に気付いた。ここにくる直前までは走っていたのを覚えている。しかし、どこを、なぜ走っていたかなど、細部はすっぽり抜け落ちている。

 その、大切な何かを忘れているのに思い出せない、というもどかしさと焦燥感から、思わず口調が速くなる。

「それで、私が探してるのはどの本?」

 ところが少年は、少女の焦りを知っているのかいないのか、のんびりした口調で返す。

「さぁ。それはあなた自身で見つけてもらわないといけません。私はただのきっかけに過ぎませんから」

「なんで!?あなた、さっき言ったでしょ?『利用者を案内する』って」

「しかし、『本を見つける』とまでは言ってませんよ。私の『案内』はここまでです」

 段々と速くなる少女の言葉と、徐々にスピードが落ちてくる少年の言葉。自分とは対称的な少年の態度に、少女は諦めを感じたのだろう。少年に背を向け、小さな本棚を眺め始めた。そこにある棚は、今までと違ってスペースが広く取られていて、棚と棚の間には小さなソファまで置いてある。棚の数さえ無視すれば、ただの図書館だ。

「どうですか?いい図書館でしょう?」

 少年の声が耳元で囁かれた。さらさらした髪が首筋に触れ、バニラのような甘い香りが広がる。少女はばっと体を話して頷いたものの、赤面した顔は隠しきれていなかったかもしれない。

「それじゃあ私、探してくるっ」

 少女は少しだけ慌てながらその場を離れた。

「では、ごゆっくり」

 そんな少女の背中に一礼し、少年もどこかへ去っていった。


それから少しした頃、少女はある事に気付く。

「呼ばれてる……?」

 心が引っ張られている。とっさにそう思った。それはとても直観的で、曖昧で、確かだった。

 少女は引っ張られている方向__図書館の奥へ奥へと進んでいく。

「……あった」

 歩き始めてすぐ、その本は見つかった。それと同時に、自分を呼んでいたのはこの本だったのだと悟る。少女は目の前に並ぶ絵本の中から一冊を手に取り、そばにあった子供用の小さなソファに座って読み始めた。


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