こんな夢を観た「プロテクター・スーツを買う」
荻窪のキオスクで、「本日限りの特売!」と書かれたスウェット上下が売られていた。麻製で2,230円。さらっとした感触が、この暑い季節にはぴったりに思えた。
ただ、色が肌色なので、たとえ部屋着と割り切っても、買う気にはなれない。
肩をすくめて立ち去ろうとするわたしを、キオスクの店員が呼び止める。
「お客さん、これはただのスウェットじゃないんですよ。何を隠そう、最強のプロテクター・スーツなんです」
「プロテクター・スーツ? それってなんですか?」わたしは聞いた。
「ほら、バイクに乗る人が着てる、パッド付きのごっついギアがあるじゃないですか」
「あ、あの鎧みたいなっ」
「そうそう、ああいうの。このスウェットは、薄っぺらに見えて、あんなのより、ずっと防御力があるんですよ」
わたしはにわかに興味が湧いてきた。
町中をただ歩いていたって、いつクルマにはねられるかもわからない。変質者に襲われて刺されるかもしれない。かと言って、レーサーみたいな格好で歩くわけにもいかない。
けれど、スウェットならアンダーウェア代わりに着ることもできる。しかも、防御力が高いというのだ。
「でも、どう見たって夏用の薄いスウェットですよね。こんなんで身を守るなんて、ほんとにできるんですか?」わたしは疑った。
「NASAが開発したんですよ。月面で、うっかり宇宙服が脱げてしまったときのことを考えて。信頼のできる製品です」店員は太鼓判を押す。
NASAが作ったというのなら間違いないな。
わたしは1セット、買うことにした。
「お買い上げ、ありがとうございます。さっそく着ていかれますか?」
「えっ、ここでですか?」わたしは少し驚く。
「はい、狭いですが、店の中に更衣室がありますから」
「じゃあ、着ていっちゃおうかな」
横の出入り口から中に入れてもらい、カーテンで仕切られた更衣室を借りる。確かに狭かったけれど、着替えるだけなら十分のスペースはあった。
シャツとジーンズを脱ぐと、買ったスウェットを着る。上下だと思っていたが、実はツナギだったことが判明した。身につけて鏡に映すと、肌色ということもあって丸裸に見える。
「まるで肉襦袢みたい」自分でも吹き出してしまうほどだ。
上着を着て更衣室を出ると、店員がにこにこと待ち構えていた。
「お似合いですよ。速乾吸湿なので、中にお召しの下着も蒸れないでしょ?」
外からは見えないはずなのに、何がお似合いなのか。下着が蒸れないのは本当だった。着ていることを忘れてしまうほど、違和感がない。
「単に汗取り用として着ても、いい感じです」わたしは言った。
「でしょう? それに加えての防御性能です。2,230円はお得ですよねえ」店員は自慢げに言うのだった。
新宿行きの電車を待っていると、昼日中から飲んだくれた中年の男性が現れる。
「わたしゃあ、飲んでません。ええ、飲んでませんとも~」赤い顔で自己申告をしながら、ふらふらとやって来る。相当に酔っているようで、左右の足がそれぞれ好き勝手を歩いていた。左におっとっと、と寄ったかと思えば、今度は右にてってって……と戻ってくる。
ホームにいる他の客も、彼が近づいてくると、迷惑そうな顔をして道を譲る。
煙と酔っ払いは、嫌だと思う者の方へ寄ってくるらしい。ゆっくりと、けれど着実にわたしの方へやって来た。
「そんな足元じゃ危ないですよ」白線を越えそうなので、わたしは声を掛ける。
「わたしじゃあ足元にも及びませんか。そうですか。へいへい、そうですかぁ」と、話が噛み合わない。
電車がホームに入ってきた。その瞬間、男の体がぐらっと傾く。
「危ないっ!」わたしは、酔っ払いを白線の外側に押しのけた。
反動で、自分が線路に落ちてしまう。目の前には、迫り来る電車が。
もうだめか、と思ったその時、衣服が弾け、体はボンッと膨れ上がる。電車にぶつかって勢いよくはね飛ばされた後も、まったくと言っていいほど衝撃を感じなかった。
「これがスウェットの防御機能?!」半ばめり込んだ顔から見えるのは、パンパンになった肌色の巨大風船だ。なるほど、確かにもの凄い性能だった。
ホームの上は騒然となっていた。
「大変だっ、人が落ちたぞっ!」
「落ちたのは相撲取りらしい。見ろ、線路の上を跳ねながら転がっていくぞ」
助かったのは嬉しいが、穴があったら入りたい気分だった。