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9/9

本の虫より

 冬休みが始まった。

 私は、新幹線の席で、携帯電話を触っていた。

 翔太からは、あれ以来連絡がない。

 怒っているのだろう。

 二人の仲は、些細なことで修復しそうな気もしたし、けして修復出来ない気もした。

 私はきっと、ずっと翔太のことを親には紹介できないだろう。

 反対されることが、わかっているからだ。

 翔太は、関西で就職するつもりだ。私に地元に帰って欲しい親が、彼を気に入るわけがない。

 ならば、私達の関係は、今後どうなるのだろうか。

 彼に抱きしめられた時の温もりを、私は思い返す。なんだか切ない気持ちが込みあがってきて、私は少しだけ泣きたくなった。

 新幹線が動き始めた。

 私は、寝て過ごすつもりだったが、翔太のことを考えているとひとつも寝付けなかった。

 気がつくと、私は電車を何度か乗り換えて、地元の駅まで辿り着いていた。

 小さな駅に、シャッターのしまった商店街。人気のない町並み。

 それが、私の故郷だった。

 空から雪が降っていた。

 今年の最初の雪は、翔太と見るつもりだった。

 それを思うと、私の目からは涙が零れ始めた。私はそれを、必死に腕で拭った。

「どうした?」

 懐かしい声がした。

 父が、待合室からこちらに向かって歩いてきていた。

「お父さん」

 涙は幸いなことに、すぐに引っ込んだ。

 久々に見る父が、私を見下ろしていた。

 頭の白髪が、少し増えたような気がした。

「迎えに来るなら、言ってくれれば良かったのに」

「途中に用事があったから寄っただけだ。ほら、車に行くぞ」

 父に促されて、駐車場に歩く。

 家の車の匂いは、なんだか懐かしかった。


 両親の話し声が聞こえて、私は深夜に目を覚ました。

 足音を殺して、一階へと降りていく。

「やりすぎじゃないのかと言っているんだ」

 父の、苦々しい声がする。

「けれど、いつまでも恋愛のひとつもしないって、貴方も心配してたじゃない」

 母の声がする。

「大学で相手を見つけるかもしれん」

「見つけるかわからないわよ」

「とにかく、環の負担になるようなやり方は控えろと言っているんだ。あの子は、駅で泣いてたんだぞ」

 母は、反論しない。

「あの子に、自分の老後の世話をさせる気か」

「私は、あの子の幸せを考えてるんです。貴方こそ、あの子が結婚しなかった時のことを考えているの?」

 愉快な話題ではないらしい。

 私は、足音を殺して、再び二階へと上がった。

 自分の部屋に入る。高校時代からまるで変わっていない。本ばかりが溢れている部屋だ。

 私はベッドに寝転がり、携帯電話を開いた。

 新しいメールは、届いていない。

 私は、翔太に向かってメールを打ち始めた。

 文章を書いては、気に入らなくて消す。それを何度か繰り返していると、いつの間にか心地良い睡魔が私を抱きすくめていた。


 見合いの日は、二日後に決まった。

 写真を見るかと母に問われたが、私は断った。

 どうせ、相手は翔太ではないのだ。ならば、誰が相手だろうと同じことだった。

 相手は警察官なのだそうだ。安定した収入があることを考えれば、母が薦めるのも納得がいった。

 父に誘われて、私はドライブに出かけた。

 通り過ぎていく景色に、私は視線を向ける。

「なんだか、町並みも結構変わったね」

 本屋が潰れて病院になっていたり、個人スーパーが潰れてドラックストアになっていたりした。

「なあ、環」

「なに?」

「お父さんは、お前に恩を着せる気はないんだよ」

 父の言葉に、私は戸惑った。

「だから私は、お前に見合いを強制する気はないし、結婚しろという気もない」

 私は、思わず微笑んでいた。

「ありがとう、お父さん。少し、気が楽になった」

「大学では、好きな人はいないのか」

 私は、答えに詰まった。

 いると言えば、それは母の耳にも届くだろう。ならば、地元で就職する気はないのかと母に問い詰められることになる。

「いるんだな」

 私の沈黙を、父は肯定と受け止めたらしかった。

「うん」

 滑り落ちるように、その言葉は口から出てきた。

 すると、次から次へと言葉が続いた。

「好きな人が、付き合ってる人が、いるの」

「同じ学校の生徒か?」

「うん」

「なら、見合いなんてしたら怒られるんじゃないか」

「うん、相手はへそ曲げてる」

「だろうな」

 父は、苦笑した。

「お父さんは応援するよ、環。私は、娘に頼らなくても、自分の後始末ぐらい自分で出来る気だ」

 父の言葉に、私は思わず微笑んだ。

 家に帰ると、私は自室でメールの文章を打った。

 お父さんが、翔太のことを認めてくれました。

 そう短い文面を書いて、私は指を止めた。

 こんなことを書いたところで、翔太の怒りは和らぐだろうか。

 しかし、送らないよりはましだった。

 私は、送信ボタンを押そうとした。

 すると、そこにメールが届いた。

 お前の実家の住所ってなに? という短い文面だった。

 翔太からのメールだ。

 私は微笑んで、さっき書いたメールを送ることにした。

 しばらくして、返事が届いた。

 それはどうでもいいから、住所。という短い文面だった。

 どうでもいいと言うことはないだろう。私は腹が立ったが、住所を書いて送ってみせた。

 考えてみれば、浮気をしたわけでもないのに、別れたいと言ったわけでもないのに、どうして自分はこんなに怒られなければならないのだろう。

 それきり、返信は来なかった。

 何を送る気なのだろうか。彼の部屋に置いてある私の本が届いたりしたら、私は立ち直れないかもしれなかった。


 見合いの日がやってきた。

 私は憂鬱な気持ちで、その日の朝を迎えた。

 母が上機嫌で、会場や相手の話をする。

 その情報は、私の右の耳から入って、左の耳へと通り過ぎて行った。

 父も最早、母には何を言っても無駄だと思っているらしかった。

「私、結婚相手を決める気なんてないからね」

「けど、いい人よ。きちんと将来のことも考えて、結論を出すのね。貴女は、こっちで暮らすことになるんだから」

 確かに、母の出した条件は考えようによっては優良だ。相手は公務員で、私は卒業と同時に専業主婦に納まれる。

 けれども、優良であることと幸せであることはまた別のことなのだ。

 母のプランからは、私個人の幸せが抜け落ちているように思う。

 まるで形だけ整えて、味を考えない料理のようだ。

 私は朝食を食べると、地元に帰ってから買ったスーツに身を包んだ。

 着飾って、無駄な時間を過ごすだろう自分が、なんだか馬鹿らしく思えた。

 家のチャイムがなった。

 父の話し声と共に、聞きなれた声が耳に届いた。

 まさかと思いながら、私は部屋の扉を開け、階段を下りて、玄関に向かって歩いて行く。

「俺は、環さんの大学の友人で」

「翔太?」

 父の背中の向こう側に、翔太がいた。

「環」

 彼は、私に目を留めると、微笑んだ。

 私は驚いた。そして、胸が高鳴っているのを感じていた。

 翔太は父に視線を向けると、真剣な表情で頭を下げた。

「お父さん、僕は環さんと真剣に交際しています。こっちで就職することも厭いません。どうか、交際を認めてください」

 父が、困ったような表情でこちらを見る。

 私は、慌てて翔太の肘を掴むと、そのまま家の外まで連れ出した。


 近くの公園で、私と翔太はベンチに座っていた。

「何をやっているんだか」

 私は、ぼやき混じりに言う。

「ドラマみたいだったな」

 他人事みたいに、翔太は言う。

「冗談じゃないよ。これからどんな顔して親と顔合わせれば良いのさ」

「けど、いつかは親に紹介しなきゃいけないよね」

 沈黙が場に流れた。

 彼の言うことは、もっともだった。

 不思議な気分だった。

 子供の頃、駆け回った公園に、今は大学で知り合った恋人と共に居る。

「智子さんに聞いたよ。環の考えていること」

「なるほど、情報源は智子か」

「聡美が悪さした時もそう」

「あいつ……」

 私は、口の軽い友人を心の中で恨みもし、感謝もした。

「だって、仕方ないよ。お姉さんはすぐに自分の殻に篭るし、口も上手くないんだから」

 お姉さん、という言い方が、どこか余所余所しかった。彼は、私のことを責めているらしい。

「それ、智子が言ったの?」

「智子さんは、恋愛経験が中学生並みの子が、貴方をキープするだなんて賢しいことを思いつくわけがないって言ってた」

 やはり、智子は内心では結構辛らつな人物評を抱えていたらしい。

 しかし、怒る気にはならなかった。

 彼女のおかげで、翔太と再び話せるようになったのは事実なのだから。

「こっちで就職するって? 夢はどうなったのよ」

「夢?」

「友達と甲子園」

「ああ」

 翔太は苦笑した。

「野球観戦なら、新幹線に乗ればたまに出来る。けど、環は逃したらもう手に入らないでしょ」

「……私は、物かよ」

「好きだよ、環」

 誤魔化すように、翔太は言った。

 それで、誤魔化されてしまう自分がなんだか嫌だった。

「君と一緒なら、都会でも、田舎でも、きっと楽しく過ごせるよ」

「けど私、責任なんて取れないよ。こっちで貴方が就職するからって、喧嘩をしたら別れるかもしれない」

「その時はその時で考えるさ」

「前向きなのか、投げやりなのかわかんないわね」

「環は、後ろ向きだよ。先のことを考えて、今ある気持ちを投げ捨てるなんて、馬鹿げてる。いいじゃない。時に恋愛主体の判断をしても」

 私は、反論する言葉を失っていた。

「好きだよ、環」

 翔太は、繰り返し言った。

 彼の唇が、私の唇に触れた。

「もう、手放さないから」

 私は、やはり、まな板の上の鯉の気分なのだった。


「宅急便ですー」

 声をかけられて、私はゆっくりと立ち上がった。

 玄関へ行き、宅配物の受領書にサインをする。

 若い宅配員は、爽やかな笑顔を浮かべて、去って行った。

 台所へ宅配物を持っていくと、母がどうでも良さげに聞いてきた。

「何処からの荷物?」

「翔太からの」

「なるほどね。しかし、あんた達も自分達が不都合な時ばっかり親を頼るんだから」

「そう言わないでよ。お母さん達だって、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんに結構頼ってたじゃない」

 痛い所を突かれたらしい。母は黙り込んだ。

 しかし、彼女は最近忘れっぽい、しばらく経つと、また似たような嫌味を言うのだろう。

「野球と本と、どっちにする気なの?」

「野球かな。本を選んで、私は良かったと思う部分もあるけれど、後悔している部分もあるから」

「けど、野球を知ってる人は忙しいでしょう」

「……結局、本を読み聞かせてる自分が想像出来ちゃうなあ」

 これは、育児方針に関する話だ。

 私のお腹の中には、赤ちゃんがいるのだった。出産に備えて、私は一時的に地元に帰っているのだ。

 私が翔太と結婚してから、めっきり愚痴っぽくなった母も、孫が生まれれば態度が変わるのではないか、と私は楽観視している。

 むしろ、そう考えていないと胎教に悪い。

「ただいま」

 玄関から、父の声がした。

 足音と共に、父が台所に入ってきた。

 その手には、日本酒の瓶がある。

「どうしたの、お父さん。お酒なんて」

「なあに。翔太くんが来た時に備えておこうと思ってな」

「お父さんがそう甘いからいけないんですよ。環の出産だって、一方的にうちで預かるって決めて」

「そう言うな。お前だって孫の顔を見たいだろう」

「まあ、そうですけど……」

 翔太は今頃どうしているかな、と私は思った。

 きっとスーツ姿で、仕事に励んでいるのだろう。

 私はなんとなく、スマートフォンを起動して、彼にメールを送った。

 本文は、短い。

 君に会えて良かった。本の虫より。

 大学に入学した時の私は、本当に本の虫だった。彼がいなければ、恋をしたかもわからない。

 入学時も、二人の交際のきっかけになった学生証の貸し借りをした時も、お互いにこんな結果は想像しなかっただろう。

 ほどなく、返信が届いた。

 君が居てくれて良かった。野球男より。

 私は少しだけ苦笑して、スマートフォンをポケットにしまった。

短い間ですが、お付き合いいただきありがとうございました

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