表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

好かれてるね

 彼とキャンパスで再会したのは、翌週のことだった。

 彼は、コンビニ傍のベンチで、紙パックのジュースを飲んでいた。

 私が近寄ると、彼は子供のように微笑んだ。

「おっす」

 掛け声が、前より親しげだ。

 私はそれが、気に触った。

「こんにちは」

 他人行儀な挨拶にも、彼は気にした様子はない。

 余裕のある彼の態度が、今はなんだか苛立たしかった。

「返すね」

 私はそう言って、三冊の古本を彼に手渡す。

 彼はそれを鞄に入れると、興味深げに言った。

「どうだった?」

「うん、面白かった」

 会話を拒絶する、短い返事。

 流石に、彼も妙だと思ったのだろうか。沈黙が、場に漂った。

「続き、読む?」

 彼はそう言って、鞄に手を伸ばした。

「いらない」

「なんで? 面白くなかった?」

「自分で探すから、大丈夫」

「けど、お金が勿体無いよ」

 貴方に借りるよりはマシだ。そんな言葉を、私は飲み込んだ。

 軽薄なナンパ男に、私はこれ以上借りを作りたくなかった。

「じゃ、私、行くから」

「……うん」

 彼の言葉は、弱弱しかった。

 講義の最中、私は小声で智子に愚痴っていた。

 昼の日差しが差し込む教室で、老教師の睡魔を誘う穏やかな声が響き続けている。

「結構やんちゃなイケメンだったわけだ」

 こんな時にも、智子の評価は柔らかい。

「女子高生をナンパなんて、信じられないわ」

「私達も去年まで女子高生だよ」

 言われてみれば、確かにそうだった。

「……まあ、それはそうだけど」

「ナンパって行動そのものが、貴女には信じられないのね」

 智子の言葉は、私の中にある感情の答えを示してくれていた。

「うん。不純だわ」

「貴女らしいね」

 潔癖症だ、と暗に言われたようで、私はやや面白くなかった。

 その時、携帯電話が震えた。

 私はそれを取り出して、開く。

 翔太からのメールが届いていた。

「誰から?」

「あいつ」

 私は、弱弱しく言う。

「ああ、イケメンか」

 智子は、愉快げだった。

 メールの文面は、シンプルだった。

 俺、なんかしたかな?

 彼の戸惑いがありありと脳裏に浮かんで、私はなんだか申し訳なくなった。

 そして、なんであんなナンパ男のために申し訳なくならねばならないのだろうと、苛立たしくなった。

「返信する?」

 智子が、面白げに言う。

「面白がってる?」

「そんなことないよ」

 そう語る智子の表情は、明らかに面白がっている。

 私は、戸惑う彼の姿を想像した。

 すると、自分が悪いことをしているような気分になってしまった。

 このまま余計な罪悪感を背負い込むのは、嫌だった。

「……可哀想だから、理由ぐらい話しとく」

 私は、メールを書き始めた。

 どう書けば良いのか悩んだ。

 ナンパ男お断り、では、自分が自惚れているかのようだ。

 そして、ふと私はあることに思い至った。

 彼がナンパしている場面を、私は目撃したわけではないのだ。

 ナンパしたって本当? 私は、そうとだけ書いたメールを送信した。

 そして、ふと気がついた。これでは、嫉妬しているかのようだ。

 そう取られるのが面白くなくて、私は続けてメールを書こうかとした。

 しかし、送ったら送ったで、自意識過剰と取られそうな気がした。

「黒板、消されちゃうよ」

 智子が、楽しげに小声で言う。

 私は慌てて、携帯を閉じようとした。

 彼から、メールが届いた。

 きちんと、話させてほしい。私はそんな文面を眺めて、しばし考え込んだ。

 彼のために、そこまでする義理はあるだろうか。

 けれども、彼は面白い本を紹介してくれた。本に関して色々と語れそうだった。

 このまま、縁を切るのは勿体無いように思えた。

 最初のメールに返信してしまったのも、結局はそう考えているからなのだろう。


 放課後では、構内のコンビニには生徒が集まりすぎる。なので、私達は、駅の傍にある喫茶店で、テーブルを挟んで向かい合っていた。

 智子も、傍にいる。

 なんとなく、彼と二人きりになるのが嫌だったのだ。

 私と彼は紅茶を頼み、智子はコーヒーを頼んだ。

 ウェイトレスが去ると、彼は口を開いた。

「誤解があると思うんだ」

「……ナンパなんて誤解だってこと?」

 私は、恐る恐る口を開く。

 そして、これでは嫉妬に聞こえてしまうと考え、慌てて言葉を付け足した。

「あのね、私は貴方がナンパをしようとどうでもいいの。ただ、ナンパをする人間が嫌いなだけ」

「うん」

 彼は、黙り込んだ。

 私は、少し戸惑った。いつもの彼の、余裕が無い。表情は、叱られた犬のようだ。

 沈黙が、店内に漂った。

「で、ナンパしたの?」

 智子が、興味深げに口を開いた。

 彼は、しばらく考え込んだ後、言った。

「ある意味ではしたことになるけれど、俺個人はしてない」

「記者会見みたいだよ、その返答」

 智子は、上手いことを言う。

 彼は、微笑んでいた。

「上手いこと言うね」

 彼と同じことを思ってしまって、私は浮かんでいた笑みを慌てて引っ込めた。

「つまりどういうこと? 連れ二人がナンパしたって、自分はしてないってこと?」

「そんな感じかな。俺はさ、見世物なんだよ」

 智子の問いに、彼はそう答えた。

 思いもしない言葉が出てきて、私は戸惑った。

 智子のおかげだろう。彼は、滑らかに喋り始めた。

「俺さ、自分で言うのはあれだけど、顔立ちが女好みらしいんだ。だから、ついて来てくれって言われてさ」

「疑似餌なんだね」

「そういうこと。カラオケも、途中で抜けたよ。邪魔になるしな。まさか、あんたの耳に入るとは」

 彼は、そう言って小さくなった。

 私は、智子と彼の会話を頭の中で整理した。

 つまり彼は、女の子を誘う時の餌役なのだという。

「それって、相手を馬鹿にしてない?」

 私は、嫌悪感からそう口にしていた。

「結局、相手を騙してるんじゃない」

 彼は、眉間にしわをよせた。

「けど、俺は傍にいるだけで、その子達に興味があるなんて言ってない。実際、話したこともない相手に興味も持てないしな」

「へえ、居直るんだ」

「考えてみろよ。俺は、居ただけだろ?」

 相手が自分の容姿を見て期待しただけだ。それが、彼の譲れない一線らしい。

 彼は、小さくなるのをやめて、頬杖をついた。その切れ長の瞳が、じっと私を見る。

 私は、少しだけ怯んだ。

 そして、それを隠すために、腕を組んで相手を見下した。

「じゃあ、その子達が貴方の友達に酷い目に合わされたらどうするの?」

「そこまで馬鹿な連中じゃないよ。良い奴らだって自信をもって言える」

「良い奴らがナンパするんだ」

「ナンパするのは悪い奴なのか? それなら、見合いや婚活はどうなる? 積極性があるのは俺は悪いこととは思わないけどな」

「恋愛なんて何が楽しいのかしら。本能が生み出す錯覚じゃない」

「その言い草、まるでネットで恋愛叩きしてる連中みたいだよ」

「貴方こそ、そこらにいる遊び人って感じだわ。女を騙して、なんとも思わないんだからね」

「まあまあまあ」

 智子の呑気な声が、私達の会話を断ち切った。

 互いに、言いすぎたと思ったのだろう。私達は、黙り込んだ。

「さ、今のうちにどうぞ」

 智子が視線を向けた先には、ウェイトレスがいた。

 いつからいたのだろう。私よりも若いだろう彼女は、驚いた表情で立ち尽くしている。

 彼女は我に帰って、紅茶とコーヒーをテーブルに置くと、頭を下げて逃げるように駆けて行った。

 残された紅茶とコーヒーを、智子がそれぞれに配る。

 私は、なんだか気まずくて、それを誤魔化すように紅茶を啜った。

「あんただって、そうだろ」

 翔太は、情けなさげに言った。

「俺のこと、外見で本が似合わないとか。そう言って、避けてたじゃんか」

 私は、心臓を氷柱で刺されたような気分になった。

「皆、俺に勝手に理想や偏見を押し付ける。どうせそう思われるなら、少しぐらい有効活用しようと思っただけさ」

 私は、気持ちが沈んでいくのを感じた。

 文研は、彼に酷いことをした。外見から遊び人と決め付け、女をつまみ食いに来た色欲の権化と決め付けた。

 私も、その一員なのだ。

 彼が、自分の顔を有効活用しようとしたのも、そんな背景があるからなのだろう。

「……けど、私は、女の子を騙すのは良くないと思う」

 それは、精一杯の反論だった。

「そういうことをしていると、本当に誤解しかされなくなると思う。気が効いて優しいのに、勿体無いよ」

 そうだ、彼は優しかった。

 他人の為に、学生証を置いて行って、しかも相手の勝手な心境を慮ってロッカーに返しておけば良いとまで言ってくれた。

 私のために、時間を作って、本を貸してくれた。

 私は、彼のことを、好意的に見ていた。それは、恋愛感情とは異なるものだ。

「……やめたら、許してくれる?」

 彼は、小さな声で言った。

 私はなんだか、気恥ずかしい気持ちになった。

「許すも何も、私には関係ないわよ」

「あんたが許すか許さないかが問題点だよ」

 智子が、苦笑混じりに言う。

 私は、困ってしまった。ここで許す、というのも、なんだかおこがましい気がしたのだ。

「もう、人を騙すようなことはしないよ。だからまた、本の貸し借りしようよ。本の話も、したいしさ」

 彼の言葉に、私はしばし考え込んだ。

 自分の口から出てきた言葉は、短かった。

「うん」

「それじゃ、俺もナンパの手伝いはやめます。確かに、相手の気持ちを考えない行為だったよ」

 素直な彼と違って、私は自分の反省を口には出せなかった。

 外見で彼を判断していた私のほうが、よほど彼を馬鹿にしていたのだ。


「あんた、好かれてるね」

 帰りの電車で、智子はそんなことを言った。

「馬鹿言わないで」

 私は、弱弱しい声で返した。

 自己嫌悪で、なんだか胸が一杯になってしまったのだ。

「だってさ、あんたとやり取りしたいがために、ナンパやめるんだよ」

「そもそも、本人がナンパしてるわけじゃないじゃない。友達に付き合っただけだわ」

「あら、最初からそう言ってたっけ?」

 私は、黙り込んだ。

 案外、智子も意地の悪いことを言う。

 今日の彼女を見ていて、思ったことがあった。

 それは、人を褒めるのが上手い彼女は、見せかけの存在なのではないだろうかということだ。

 その笑顔の下に、彼女は鋭い人物評を抱えていそうな気がした。

「素直だし、優しいし、イケメンだし。いいなあ、私もそういう縁が欲しい」

「そういうんじゃ、ないよ」

 私は、小さな声で返した。

 罪悪感で、冗談に乗る気にもなれなかったのだ。

 叱られた犬のように小さくなっている彼を思い出す。

 文研で、色欲の権化のように彼が語られていることを思い出す。

 言葉に出来ない感情が、胸の中に溜まっていった。

 ここまで人のことを気にかけたのは、生まれて初めてかもしれなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ