ナンパ男
ちなみに、二人の話題に出てくる小説家や小説は、全て架空のものです。
彼を見つけたのは、翌日の講義の合間だった。
最近の彼は、部室に顔を出さなくなっていたので、探すのに苦労したものだ。
構内にあるコンビニ傍のベンチで、彼は紙パックのジュースを飲んでいた。
私は智子に別行動を取ってもらい、彼に早足で駆け寄り、学生証を突き出していた。
「ありがとう。けど、置いていくぐらいならその場で借りて返したわ」
「嫌そうにしてた癖に。まあ、わざわざ返してくれてありがとう」
彼は学生証を受け取って、悪戯っぽく笑う。
これが、主要人物の余裕という奴なのだろうか。
私は、自分の心を見透かされているようで、恥ずかしくなった。
「昨日は雨酷かったね。女性は化粧してるから大変だ」
「お生憎様、化粧なんてしたことないわ」
「そう」
彼は、素っ気なく言った。
私は、化粧もしてないだなんてと咎められている気がした。
私は肌が弱くて化粧ができないし、最近までファッションに疎かった。それに対するコンプレックスのせいかもしれない。
「貴方は、化粧してそうね」
「なんで?」
彼は、面白がっているように言う。
その余裕と明るさが、私はますます気に入らない。自分とは相容れない存在、という気がするのだ。
「貴方は似合いそうじゃない。本よりよっぽど」
それは、幼稚な嫌味でしかなかった。
しかし、彼が本当に本が好きなのか、怪しいものだ。
容易く口説ける女がいると踏んで文研に入った異端児。
私とは縁遠い存在だ。
彼は、しばし考え込んだ。その表情が、ふいに柔らかい苦笑顔になった。
「ああ、この毛は地毛だよ」
それまでの彼の印象に、小さなヒビが入った。
「サークルの人達には疑われてるみたいだけれど、本が好きなのも嘘じゃないよ」
疑わしい言葉だった。
「好きな作家は?」
「山野文子。描写力も設定の緻密さも、凄いと思う」
ヒビが大きくなる。
彼女の作品は、私も好きだった。情景がありありと脳裏に浮かぶような、密度の濃い描写をする人だ。
「じゃあ、部室でもその話をすれば良いじゃない」
「だってさ。皆の好きなレーベルの作品とは違うじゃない。そうこうしてるうちに浮いちゃって、口開き辛くなってさ。そのレーベルの作品も、昔の奴なら姉貴に借りて読んだのにな」
「どんな作品?」
彼が上げたのは、確かに五年前ほどに流行った作品の数々だった。
私の中で、彼に対する悪評が小さくなった。
すると、私は驚くほど彼のことを知らないと気がつかされた。
悪い人では、ないのかもしれない。
「これ、貸したげる」
私はバックから、文庫本を一冊差し出した。
表紙はブックカバーで隠れて見えない。中身は、私が好きな作家の作品だった。
文研でも、話題に上がることのある作品だ。
「なにこれ」
「学生証のお礼よ。文研の皆も知ってる作品」
「いいの?」
「いいよ」
私は、淡々と言って、彼に背を向けた。
「ねえ、君はどんな作品が好きなの?」
彼の声に、私は振り返る。
私がある作品の名前を挙げると、彼は嬉しげに微笑んだ。
「歴史小説好きなんだ」
私は、話が通じたことに戸惑いながら頷いた。
彼が本好きという話を、私は信じつつあった。
「次は俺が好きな作品、持ってくるよ。待ち合わせしたいから、メルアド教えてくれない?」
私の頭の中で、警報が鳴り響いた。
「明日と明後日も同じ時間にこの場所に来るから、読み終わったらそこで渡して」
「わかった」
彼は承諾した。
私は駆け足でその場を去りながら、変な話になったな、と思っていた。
ことの顛末を話すと、智子は含みのある笑顔を浮かべた。
「おおー、イケメンと接点か。あんたもやるときゃやるね」
「私は、借りっぱなしか気持ち悪いから返しただけよ。イケメンとか、私にはどうでもいいわ」
「サバサバしてるよねー、あんたって。羨ましくなる」
智子は、大抵の場合は相手を褒める。それがなんだかくすぐったかった。
「興味がわかないものは仕方がありません」
私は、褒められることの心地良さを隠すように、淡々と言った。
翌日、彼が持ってきたのは古いファンタジー作品だった。古本なのだろう。日焼けしている。
彼の外見と古い本がミスマッチで、私は戸惑った。
「歴史小説が好きなら、この作品もきっと気に入るよ。群雄ものだからね」
「ふうん……」
私は戸惑いながら、その本を受け取る。
その上に、昨日私が貸した本が置かれた。
「あと、ありがとう。面白かったよ」
もう読んだのか。私は驚いた。
「……そう? キャラクターも盛り上げ方も淡泊じゃない?」
本当は、私はこの作品が大好きだった。けれども、相手の本音を聞き出そうと、あえてそんな言い方をしたのだ。
それは、文研の人々がその作品に下した評価でもあった。
「それがマイナスにならないと俺は思うけれどな。バックホーンの設定もしっかりしてて、人があっけなく死ぬから、ある種の生々しさがあると思うけど」
私は、微笑んでいた。
彼の述べたそれと同じ意見を、私は持っていた。それは、文研では口にできたことがなかったのだ。
「本当は、私も同じ意見よ。特に、東くんが好き」
「ああ、東くんね。あれは嫉妬キャラとして良い味出してるよね」
「何気にああいうキャラが上手いと思うの。結局は主人公の引き立て役なんだけどさ」
その時ふと、時計に目を落とすと、講義の時間が近付いてきていた。
「あ、ごめん、行くね。これ、いつ返せばいい?」
「どれぐらいで読み終える?」
彼が訊ねてくる。
私にはそれが、挑戦のように思えた。
彼には一日で読めた。それが、どうして私に出来ぬというのだろう。
伊達に、小説に青春を捧げたわけではないのだ。
「明日、同じ時間にここで」
「いいよ。小説の話ができて、楽しかった」
彼は微笑んで言うと、去って行った。
私も、楽しかった。そう心の中だけで呟いた。
歩いているうちに、戸惑いが沸いてきた。どうして、あんな悪い噂のある男と仲良く話していたのだろう、と。
彼とは、感性が似ているのかもしれない。だから、作品への感想が似通うのかもしれない。そんなことを思った。
そして、その感性の似通いというのは、私が文研に望んでいたものかもしれなかった。
翌日、私は彼に借りた小説を返していた。
面白い話だった。
各国の主義主張が自然で、国の責任者達と、英雄や補助役との関係性も魅力的だった。
それを告げると、彼は鞄から古本を三冊取り出して、言った。
「続き、読む?」
「読む」
私は答えていた。
この作品は古い作品で、本屋に置いてあっても、巻の抜けが多かったのだ。
「これから凄いことになるよ。アルトラスと護衛が中心に話が進んでく」
話を聞いているだけで、続きが気になって仕方がなかった。
帰ってこの本を開くのが楽しみだ。
「じゃあ、また明日返せばいい?」
「明日は俺は休み」
「じゃあ、明後日?」
「明後日は、この時間帯はいないんだよね」
「何時頃に来る?」
「昼。だけど、昼は友達といるからなあ」
「私も昼はいるけど、友達とご飯食べなきゃ」
二人の間に、沈黙が漂った。
講義の時間は近付きつつあった。
「メルアド、交換する?」
私は、告げていた。
「嫌なんじゃなかったっけ」
彼は悪戯っぽく微笑んだ。
「不便なら、仕方ないじゃない」
交換し終わってから、私は思った。これでは餌付けされているようだ。
しかし、彼が本を好んでいるのは本当だと思うのだ。それも、心の深い部分で。
それだけで、私は彼を好意的に見た。
仲間を、見つけた気がしたのだ。
一日の講義が終わると、私は部室で本を読んでいた。
彼に借りた小説だ。
折り畳み式の携帯電話を取り出して、アドレス帳を開く。そこには、ショウタという名前がある。
男性の名前がアドレス帳に追加されたのは初めてだ。
それも、相手は爽やかな美青年だ。
智子あたりが知ったら、からかうだろうなと苦笑した。
そんな気はなくとも、男と女が仲良くしたら周囲は邪推するものだ。
「おす」
三回生の先輩が入ってきた。名前は確か、佐伯と言ったはずだ。
「こんにちわ」
同じく本を読んでいた一回生の男子が挨拶する。名前は、榊だっただろうか。一度も話したことがないので、うろ覚えだ。
「こんにちわ」
私も、顔を上げて挨拶した。
「昨日さ、斉藤翔太の奴見かけたよ」
斉藤翔太。翔太。彼の名前だ。
「マジすか」
榊が、テンプレート的な言葉を返す。
「ちゃらいにーちゃん二人とナンパしてた」
「あー、わかります」
「わかるだろ?」
榊はテンプレート的なことしか言わない。しかし、佐伯は満足しているようだ。
「女子高生の二人組を誘って、カラオケボックスに入ってったよ。モテる男は違うねえ」
「イケメンって凄いことしますね。けど、犯罪じゃないですか?」
私は、アドレス帳に登録されたショウタという名前を見る。
消そうかな、という思いが頭に沸いた。
女目当てで文研に入った男。そんな噂が、再び私の心の中で膨れ上がり始めた。