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眼鏡の似合う女

短編にする予定だったものが、膨れ上がってしまったので長編に書き換えた作品です。

短期集中の投稿になると思いますが、よろしくお願いします。

 その日、私は大学で午前中の講義を終えて、構内の図書館にやってきていた。

 一時間ほどかけて気に入った本を選んだ私は、テーブルの上に本を重ね、財布の中身を見て愕然とした。

 学生証がないのだ。貸出機に学生証を通さなければ、本を借りることが出来ない。

 無断で持ち出したりしたら、後々問題になるだろう。

 そういえばコンビニエンスストアで、学生証のコピーを取った覚えがあった。しかし、その後に学生証を見た覚えがない。

 これでは選び損だ。それまでかかった時間はなんだったのだろう。

「どうしたの?」

 声をかけられて振り向くと、優しく笑う彼がいた。

 栗色の髪の毛に、男臭さを感じさせない細身の体。背丈は私よりも頭一個分大きい。爽やかな青年、という形容詞が似合う人だった。

「どうもしてないです」

 あてもないのに、私は顔を背けて拒絶した。

 彼は敵だと、私の知っている情報が告げていた。

 彼は困ったように考えこむと、テーブルに置かれた本の上に、自らの学生証を置いて行った。

「使ったら、部室のロッカーにでも置いといて」

 悪戯っぽく笑うと、彼は速足で歩いて行った。

「ちょっと」

 私は唖然として、その背後を目で追うことしか出来なかった。

 そして、目の前の学生証に視線を落とす。

「どうしろと……」

 自分に問うように呟く。

 本を戻す作業を考えると、それは酷く物憂く思えた。

 ならば、渡された学生証を使うしかないのだ。


 午後の講義を終えて、館の昇降口まで出る。

 肌寒い空気と、色の薄い晴空をイメージしていた私は愕然とした。

 春にしては肌寒い空気は変わらない。しかし、灰色の雲が空に広がり、力強い雨が地面を叩きつけていたのだ。

「うわ、傘持ってる?」

 友人である智子が言う。

 周囲にいる十数人の生徒達も、似たようなことを相談しあっている。

 私はその場に立ち尽くし、バックの中を探った。折りたたみ傘は、なかった。

「ごめん、ない」

「私もなんだよね」

 智子は、冗談めかして言う。一々明るくものを言うのが彼女らしくはあった。

 私達は、まるでクルーザーが流されてクローズドサークルに閉じ込められた旅客の如く、昇降口に溜まっていた。

 中には、置き傘を盗んでいくことを声高に語り合い、それを実行に移した不届き者もいたが。

 私達に残された選択肢は、そう多くはない。

 思い浮かぶのは、構内にあるコンビニまで駆けて、ずぶ濡れになった後に傘を買うことだ。

 それを覚悟して、数人が雨の中に駆け出し、また数人は、先人に習って何食わぬ顔で置き傘を盗んで広げ始めた。

「雨の中、走る?」

「本借りたから、ちょっと濡れるのは困るな」

「私も、正直濡れたくない。小降りになるの、待とうか」

 コーヒーでも買おうかと、財布を開く。

 すると、間に挟んでいた彼の学生証が、滑り落ちた。

 智子がそれを拾って、感嘆の声を上げる。

「お、イケメンじゃーん。どうしたの、これ」

「……評判の悪い男よ」

 私は、そうとしか言いようがなかった。


 眼鏡の似合う女。それが、高校時代の私のあだ名だ。

 別に外見を褒められているわけではない。通学の電車で熱心に本を読んでいる私を、男子達が揶揄してそう言ったのだ。

 あだ名は広まり、短縮され、最終的にはメガネとなった。

 眼鏡の女子が多いのに、私だけメガネ呼ばわりされるのは中々不服だったが、どちらかというと堅物で、どこでも本を読み始める私に、そのあだ名は嫌なことにしっくりときた。

 漫画で例えるなら、背景で本を読みながら座っている影の薄い優等生。それが私だった。

 私は、趣味に生きていた。

 純文学からライトノベルまで、本を読むのが趣味で、将来は小説家になるのが夢だった。

 ファッションに注ぐ金を惜しんで、私は本を買い続けた。

 恋愛や結婚に興味を示さない私を、親は半ば心配し、半ば安心しているようだった。

 県外の大学に進学を許されたのは、そのせいもあるのだろう。

 県外の大学に進学することを希望した時に、母は言った。

「うちで墓や土地を守れるのは貴女だけなんだから、卒業後は地元で就職なさい。それが私の条件」

 私はそれでも満足だった。

 ある物語では貴族が暮らし、ある物語では様々な戦国大名が訪れ、ある物語では幕末の志士達が死闘を繰り広げた、歴史のある京都に住めることが、嬉しかった。

 地元から出たことのない私は、受験の時に産まれて初めて京都駅に訪れた。

 その内部にある多くの電光掲示板を唖然として見上げ、若いサラリーマン達がその中を歩き回る姿に驚き、中にある大きな店の数々に戸惑った。

 田舎では、通勤手段は車が主になるので、駅が若い社会人で溢れることは中々ない。

 京都弁の柔らかさにも感動した。外の地方に住む人のイントネーションを聞くのは、それが産まれて初めてだったのだ。

 合格して、私は変わろうと思った。

 親の与えてくれた準備金の五万円と貯金から、新しい服と、コンタクトレンズを買い込んだ。もちろん、当面読む本を買った後ではあったが。

 かくして私は、京都の学生になったのだ。

 もっとも、トラブルはなかったわけではない。

 大家とこんな行き違いはあった。

「そんな時は、市役所に電話をして、アパートの前にほかしてくれ」

「ほかすって、なんですか?」

 外にする。場所を移動させるということだろうか。

「ほかすは、ほかすよ」

「いや、そのほかすがわからないんです」

 頭の禿げ上がった気の良さそうな小柄な男性は、困ったような表情で言った。

「とりあえず、ほかしてくれれば間違いはないから」

「はい……」

 私は、引き下がるしかなかった。

 後から調べて、それが捨てるという意味の言葉だと知って、私は酷く納得したものだった。


 彼と出会ったのは、文学研究会に入った時のことだった。

 文学研究会、略して文研。我が大学のサークルである。

 字面からすると堅苦しそうだが、新人勧誘の時の看板はアニメのキャラクターだった。

 実態も、名前をアニメ研究会に変えれば良いのではないかと今は半ば呆れながら思う。

 話題に上がるのは深夜枠でアニメ化した作家の作品や、深夜枠でのアニメ化が多いレーベルの話ばかり。

 萌えとかツンデレという言葉が飛び交う部室には、字面の堅苦しさはどこにもない。

 正直、もっと古い作品の話や、アニメとは無縁な有名作家の話をしたいと思うことはしばしばある。

 ただ、空いた時間に部室で本を読んでいても誰にもからかわれないのは、私にとってはありがたくあった。

 そこで私は、彼と出会った。

 場違いな人が来たな、というのが第一印象だった。 

 身長は高く、痩せ型。髪の毛は栗色で、子供のような、性別を感じさせない顔立ちをしている。

 笑顔が爽やかで、まるでそこだけ光が差しているかのように見えた。

 指まで長くて綺麗で、まるで神様が彼だけ力を篭めて作ったかのように見えた。

 漫画に例えるならば、主要人物は間違いない外見。脇役の私とは、住む世界の違う人間だ。

 黒髪のメンバー達の中で、彼は明らかに浮いていた。

 結果的に、彼は立場的にも浮いてしまったのだった。

 彼に話しかけるのは、女性の部長ばかりだ。

 部長は、ライトノベルの知識に乏しい彼の隣に座って、度々話しに付き合ってやっていた。

 彼はアニメは見ていても、その原作や関連作品はまったく知らず、話題に入れないことが多かった。

 小説の知識を披露しない彼は、女性をつまみ食いにきているのだと一部のメンバーに噂されるようになった。

 彼らが言うには、オタクは恋愛経験が浅いから落としやすい、と考える男が多いのだと言う。

 なるほど、男とはそう考えるものかと、私は素直に納得したのだった。

 そんな男から学生証を借りてしまったというのは、いささか気が重いことなのだった。

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