時渡り
「えーっと。いくつか聞きたいことがあるんだが、分かる範囲でいい、答えてもらえるかな?」
目の前の少女は小さくはいと答えた。
「まず、あの金髪の男が今、どこにいるのかアテはあるのか? 」
この世界の時間はまだ止まったままだ。風は止み。空に点々と在る雲は微動だにしない。
中を舞う桜の花びらはいつになっても降りてこないし、ビルの壁をつたう水滴は氷の様に固まっている。
異様な光景に慣れることはできず、気持が落ち着かない。
いつになったら時は動き出すのだろうか。
「先生の居場所についてですが、全くわからないというわけではありません。今もこうして先生の後を追ってこの時間に来たんですけど。……もう、ここには居ないみたいですね」
先生、か。
「彼の名前は?」
あの時は余裕がなくて聞くのを忘れていたが、弟子なら当然知っているだろう。
「本名はわかりません」
彼女は頬を右手の人差し指で掻きながら言った。
名前も知らない男に弟子入りしたのか。
「あっ、でもっ、周りからは『伯爵』って呼ばれてます。と言っても、先生と言葉を交わす方はあまりいません。同じ時代に長くいることがあまり無いので」
彼女は少し俯き、答えた。
伯爵か。
話を聞いているうちに少しずつだが彼、伯爵とこの友里という少女のことが分かってきた。
本当に少しだが。
師弟である彼らが、どうして現在別行動をしているのだろうか。
さらに言えば、彼女は何故伯爵を追うのか。
疑問は絶えない。が、なによりもまず気になるのは
「次の質問、いい? この世界は、一体いつになったら時間が動き始めるんだ? まさか、ずっとこのままなんてことは……」
「あ、元に戻すの忘れてました。今もとに戻します」と笑顔で言い返してきた。
そして右手首につけている腕時計をコソコソと弄りだした。
忘れてたって。大丈夫か?
数秒後、時間が動き出した。
一安心である。
「そもそも、どうして伯爵と神原さんは別行動をしているんだ。師弟なんだろう?」
笑顔から欝顔へ。
「昨日……といっても私の感覚で、ですが。突然姿を消してしまったんです。それも、書き置きも残さず。次の日になれば帰ってくると思って待ってみたんですけど、帰ってこなくて。いままでこんなことはなかったんです。それに、最近誰かに追われていたみたいだから余計心配で……」
なるほど。それで伯爵を探しに追いかけて来たというわけか。
「さっき、伯爵の居場所が全くわからないことは無いと言っていたが。それは、どういう意味だ?」
分かるのなら話は早い、追いかけて見つけ出せば済む話だ。しかし、それにしては妙な答え方だ。
「ええと、私はまだ時渡りを完全に許可されていないんです。先生の居る年とある程度の場所を指定し、時渡する許可のみ頂いているんです。……簡単に言えば、先生のあとを追いかける時渡ができるんです。というかそれしかできません」
わかりづらい。
だが、あとを追いかける事ができるならそれでいいんじゃないか?
伯爵が時渡したのと同じ年に……月日までは指定出来ないのか。
だから神原は伯爵の消えたあと、この時間へと来たのだ。
伯爵が此処に居た詳細な時間までは選択できないから。
「なるほど。つまり、伯爵が動いていて、時間の差がある以上、時渡してすぐに出会えるわけではないのか」
コクンと小さく頷き。
「そんな感じです」と言った。
大体事態は把握した。
まだわからないことだらけだが。
随分大変なことに巻き込まれてしまった。という認識だけははっきりとしていた。
不安は拭えない。
しかし、彼に会うためだ。会って、もう一度あの力を借りたい。
この少女の時渡りではダメだ。
聞きたいことと言えば、時計と一緒に落ちていた血痕のことが少し気になるが。それは彼女にもわからないだろう。
「それで、伯爵は今、何処に居るんだ? 」
とりあえずは追いかける他無いだろう。変な人に追われている。サラっとそんなことを言っていたな。
追われるということは、その変な人も時渡ができるのだろう。伯爵は俺を時渡させたあと、その人に襲われ、拐われたという可能性もある。
少し……いや、十分に警戒しながら時渡りをするべきだろう。
あぁ、こんなことをしていると母が聞いたらショックで倒れてしまうな。
「えーっと。一八五三年。場所は、この時代で言う神奈川県です」
神奈川ってここじゃん。
しかし、一八五三年てことは、百年以上昔だな。
江戸時代か、歴史の教科書に乗っているような有名な人も当然居るのだろう。
少し会ってみたい気もする。
「あの……本当にいいんですか? 確かにあたし、一人じゃ心細いけど、会ったばかりなのに大変なことに巻き込んでいる気がします……」
彼女とは確かに出会ったばかりだし、時渡にも大きな不安がある。だが、伯爵と呼ばれるあの金髪の男。
彼に、俺はもう一度会う必要がある。
彼女も師である彼を探している。
当面の目的は同じだ。
「伯爵には大きな借りがある。もし何か、事件に巻き込まれているのなら、微力ながら力になりたい。彼の弟子である友里、あんたにも可能な限りで協力したい。邪魔でなければ一緒に連れていってくれ」
彼女は再び笑顔になり、ありがとうございます。と小さく呟いた。
「それじゃあ、行きましょうか。その懐中時計、しっかり持っていてくださいっ! 持ってないとあたしの作る凍結時間に入れませんからねっ!」
そう言って友里は自分の右手に付けている腕時計をキリキリと弄りだした。すると辺りは再び淡く、セピアの世界となった。……これが凍結時間なのだろう。
「さあっ、行きますよーっ!」
再び時計を弄りだしたかと思えば目の前に黒い点がポツリと現れた。それは徐々に大きくなり、やがて人が難なく潜れる大きさとなった。
「はいっ! どうぞっ!」
どうぞって。
「これは……?」
「時空街道です」
あぁ、時空街道ね。
なにそれ。
「くぐればいいの?」
「はいっ」と笑顔で返された。
もの凄い不安なんだが。やっぱやめると言うわけにもいかない。
意を決して歪の中に入る。
あとから友里が続いた。
初めての時渡では意識を失い、気がつけば過去に戻っていた。今回は気を失う事も無さそうだ。
「こっちです」
真っ暗の中友里は歩みをすすめる。
周囲には淡く光る窓が点在し、各々様々な景色を映し出している。
しばらく後をついていくと、友里が一つの窓の前に立ち止まった。
「着きました。1853年です。先生、すぐ見つかればいいんですけど……」
窓に映しだされているのは、
道行く人々
木造の建築物
広大で美しい海
それに浮かぶ大きな船
スライドショーのように映し出されている。
「お先にどうぞー」
進められるがままにそれをくぐる。
今回も例によって友里がその後に続いた。
窓をくぐる時に感じた、水面を通過したような奇妙な感覚がなかなか身体から離れなかった。
深々と草木が広がっている。
夜で視界が悪いが、四肢の感覚と聴覚がそれを確信させる。
定期的に人の手が入っているという状況ではない。枝は伸び放題だし。草は膝小僧より高いほどである。
夜風がびゅうびゅうと吹き、その植物達と正面の友里の髪が仲睦まじく踊っているようだ。
辺りは真っ暗で人通りも確認できない。すぐ目の前にいる友里が、かろうじて認識できる。
丁寧な虫の声と荒々しい風の音だけが耳に響く。
見上げれば、木々の隙間にから砕けた金平糖みたいな星と真夏の太陽のような満月が俺と友里を真っ直ぐ見下ろしているのがわかる。
しかし、神秘的とも言えるその月光は、我々の周囲の木々に遮られていて残念ながら殆ど届いていない。
「ここは、町からすこし離れた丘の上……ですかね。あそこに視えるのが街のようです」
そう言った彼女の指の先には明かりの灯っていてそれなりに大きな町が見えた。
俺たちの居る場所は思っていたより高地のようで、その街を完全に見下ろせるくらいもある。
徐々に暗闇にも慣れ、船が停まっているのも確認できた。
どうやら、海沿いのようだ。ここが神奈川県だとしたら、浦賀か江ノ島か。
「とりあえず、あそこへ向かいましょうかっ!」
彼女は言った。
俺もグダグダ考えるのをやめて、そうだな。と答えて彼女と共に歩き出した。
他に行く宛も無いのだから。




