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日常の終わり

 四月。

 今年の桜は例年より随分早く咲いた。

 三月の頭には既に見頃を終え、同月下旬からこの数日にかけての雨だったり、春一番の強風だったりで徐々に花びらは散り、入学式・入社式シーズンである四月上旬。この時期には五分咲きへとすっかり逆戻りしていた。しかし、それでも頭上から時折、真新しい少し大きめの制服や新品のスーツの肩、人々の頭に白桃のようなやや桃味のかかった白い花びらをはらはらと落としていた。


 約一ヶ月前。

 三月一日。

 無事県立の進学高校を卒業した俺は、昨年の十月にAO入試というやや特殊な試験で進学先の大学に合格した。


 そして昨日、四月二日がその入学式だった。

 卒業祝いに買ってもらった新品のスーツと革靴に身を包み、結びなれないネクタイを首に巻いて出席した。

 入学式は、中学・高校の時に経験したものと大きな差はなく、お約束である学長の只々長い話に終始うつらうつらとするものだった。

 午前の十一時から開始した式は何一つ問題なく問題なく進み、予定通り一時間と数分で解散となった。しかし、式が終わった後にもいくつか書類上の手続きがあり、結局家についた頃には時計の長針と短針は真っ直ぐ一本の橋となって、時計の上の12と6とを繋いでいた。

 書類の記入、提出にしてはあまりに時間がかかり過ぎではないかと思うだろうが、神奈川県の大学までは、静岡県の実家から電車通いなのだ。

 隣の県だが、如何せん遠い。

 高校時代、当然俺は一人暮らしを考えており、幾度と無く両親に説得を試みたが、昔から心配性な母からついにその許可が降りることはなかった。

 通学は大変だが、この先四年間の大学生活は有意義で一生の宝になるだろうと楽しみだ。


 四月三日の朝。

 桜の早咲が話題となった今年と言えど、日本の四月の朝はまだまだ寒い。

 掛け布団のぬくもりと外界との温度差に絶望しながら俺は、気合でベッドから身体を出した。


 自室から廊下へ出るとまた一段と体が冷える。

 狭い階段の踊り場には朱鷺田家のアイドル、猫のクラーク(雄)が丸まっている。その毛皮を是非譲っていただきたい。

 ちなみに、クラークの名前はジャズ好きの父が着けた名前である。

 通せんぼしているクラークをまたいで一階に降りると、父と母はテレビの占いを眺めながら朝食を取っていた。

「おはよう」

 俺の小さな声を彼らはしっかり聞き取ってくれたようだ。

「悠、おはよう」と、父と母の口からほぼ同時に挨拶が返ってきた。

「朝ごはんは、食べて行くの?」

 母が言った。

「いや、時間無いからいいよ。コンビニで買って食べる」

 温かい朝食を逃すのは少々惜しいが、時間があまりない。初日から遅刻というのは回避したい。

 急いで顔を洗って寝ぐせを直した。昨日の夜に用意しておいた服に着替え、和室へと向かう。仏壇に線香を上げ、挨拶を済ませる。


 この二年間、一度も欠かしたことはない。

 今日も妹の優奈は、写真の中で満面の笑みを浮かべている。俺と同じで、目の下には泣きぼくろがある。


 準備完了だ。


 時計を確認すると予定より若干遅れているようだ。急いで玄関を出て、原付きにまたがる。

 ものすごくお尻が冷たい。

 此処数日と比べても今朝は特別寒い。

 見あげれば雲がぎっしりと空を埋めている。


 台風でも来ているかのように、風が吹き荒れていた。


 講義(と言っても、どの講義も一回目は説明で終わった)を終え、学校の門から帰りの電車に乗る駅へと向かう。

 途中幾つかのサークルから勧誘されたが、すべて断った。静岡からの通いだし、なかなか時間が取れないと思ったからだ。


 面白そうなサークルも幾つかあった。

 中でも、ジャズバンドサークルには非常に興味があったが、仕方ない。サークルに加入しても活動に参加できないのでは他のメンバーにも迷惑がかかるだろう。

 参加はできないが、文化祭での演奏が今から楽しみだ。

 他にもバスケやサッカーなど、メジャーなものだけでなく、サークル名を聞いただけでは何をしているのか全く想像のつかないものもあった。


 大学から駅までは徒歩だ。

 天候のせいだろうか。やはり少し肌寒い、道端の自動販売機で缶コーヒーを買い、冷えた指先を温めながら歩く。

 アルバイトの初任給で買った携帯音楽プレーヤーからは、アート・ブレイキーのモーニンが流れている。

 俺がジャズに興味を持ったのは父の影響だ。昔、ジャズバーで演奏していた時期があり、母親に連れられ、よく演奏を聞きに行ったものだ。モーニンはその頃から、俺のお気に入りだ。もちろん、Jポップも大好物だ。


 駅に着き、改札を通り、ホームへと向かう。会社勤めのサラリーマンが帰宅するには、まだずいぶんと早い時間だ。

 それが理由かはわからないが、人は少ない。

「♪♪♪」

 ケータイの着信音が鳴り、ホームに響いた。周りに人がいたら注目の的だっただろう。助かった。

 画面に写っている番号は知らない電話番号だった。

「もしもし」

「突然のお電話失礼致します。朱鷺田悠さんの携帯電話でお間違いないですか?」

 若い女性の声だった。

 どうやら、知り合いではなさそうだ。

「はい、そうですけど」

「私、静岡県警の鈴木と申します。落ち着いて、話を聞いてください。今日、四月三日の午後三時三十分頃、あなたのご自宅の隣にある小野さんのお家にて火災が発生しました。強風により、朱鷺田さんのお宅にも火が移り、朱鷺田さんの家族は重体です。今、市立病院で治療を受けています。幾つか、お話したいこともありますので、すぐに市立病院の…………。」




 その後、ようやく到着した電車に足早に乗り込んだ。

 座席についてから出発までの数分が永遠のように感じた。

 こんなことになるなら近くの大学にすればよかったと心底後悔した。




 病院に付いた頃には辺りはすっかり暗闇に飲まれていた。

 駅についてから原付で何度も信号を無視し、その度に事故しかけたが無事無傷で到着することができたのはある意味奇跡といえる。


 病院のロビーに入ると白衣にマスク姿のいかにもな男性とスーツ姿の若い女性が近づいてきた。

「こんばんわ。朱鷺田悠さんね?」

 女性が目の前に立ち止まり言った。

 この声には、聞き覚えがあった。。

「先ほど電話した鈴木です。あなたのご家族はまだ全員手術中よ。疲れているでしょうけど、いろいろ話したいこともあるし、談話室へ行きましょうか」


 もう外来は終わっている時間だ。人は極端に少ない。

 姿を確認できたのは鈴木さんと一緒に居た医者、ナースステーションに居る夜勤の看護師だけだ。

 廊下を進み、誰もいない談話室へと辿り着いた。俺は、鈴木さんに進められるがままに椅子に腰を下ろした。

 彼女はその正面へと落ち着いた。

 そして、手提げのビジネスバッグから封筒やクリアファイルを取り出し、真剣な眼差しで口を開いた。

「時間も悪くて……。朱鷺田さんのご家族は夕飯の支度をしていたみたいなの。それがもう一つの火元になってしまったようね。火災の原因はまだ調査中。放火の可能性も考えられるわね。それと……」

 彼女の話はほとんど頭に入って来なかった。

 封筒からはいくつかの書類と現場の写真が出てきた。

 その写真には焼け焦げた家具となんとか形を保っているだけの真っ黒な俺の家が写っていた。

 十八年間過ごした我が家は無くなり、家族はまだ手術室にいる。隣の小野さんを攻めようにも彼らは既に亡くなっている。


 この行き場のない怒りはどうしたら良いのだろう。


「朱鷺田さん。よろしいでしょうか」

 背後から聞こえた声の主はさっきの医者だった。


「残念ながら……」


 また、家族を守れなかった。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 どうして、俺だけが残っているのだろう。

 俺はもう――。

 たった一人なのだ。




 四月四日と五日にはそれぞれ通夜、葬式が執り行われた。

 普段から付き合いのある親戚などほとんど居ない。叔父叔母の夫婦がかろうじてという具合だ。

 殆ど面識のない親戚達も集まり、とんとん拍子で物事は進んだ。

 俺の出る幕など、殆ど無かった。


 四月六日、朝起きると窓の外は静かに雨が降っていた。

 まだ桜も美しい春だというのに、梅雨の時期のようなやけにしっとりとした嫌な雨である。

 我が家を無くし、家族をも亡くした俺は、叔父と叔母の家で部屋を借り、寝泊まりをしている。

 折角大学に入学させてもらったのだから、しっかり卒業しなければ両親に合わせる顔がない。

 学費は両親が残してくれた保険金でなんとかなると叔母が言っていた。


 一度に二つも遺影が増えた仏壇は、火事のあと叔父と叔母が買って来た。

 俺は、線香を一つ上げて三人の写真をみた。


 三人とも笑っている。

 何がおかしいのか。


 泣いているのは写真立てのガラスに映っている俺の顔だけだった。

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