序章
○
「このように世界はつい五十年前まで、魔法軍と科学軍の戦争の中にあった」
得意げに語る教師の声を聞き流しながら、新野真希は頬杖をついた。
ハラリと降りてきた金色の髪が、視界を覆い尽くす。
真希はそれを直そうともせず、大きく欠伸をした。
もちろんそれを教師が見逃す訳もなく、
「おい! 新野! 聞いているのか!?」
教室中の空気が、ピシリと凍った。
真希は、学園内でも札付きの不良生徒だ。
彼女が、暴れだしたりはしないか。
そう、クラスの生徒は固唾を飲んだ。
対して真希は、
「聞いてるよ。聞いてるから欠伸したんだけど」
ニヤニヤと笑いながら、ゆるりと言ってのけた。
「んだと貴様ァ! まだ魔法を嫌うか!?」
教師が、怒りにまかせて教科書を床に叩きつける。
「関係ねぇだろ、そんなん」
そう言って、真希は立ち上がる。
生徒たちが、固まった。
真希はそのまま、教師の目の前まで移動する。
「な、何だ? 教師に手を挙げるのか?」
たじろぐ教師に向けて、真希は屈託のない笑みを作り、言ってのけた。
「――お腹痛いんで、早退しまぁす!」
○
真希の家――新野家は、学園からは数キロ離れた先にある。正直、少ししんどい。
自転車で通えば済むのだが、時代は‘魔法時代’。自転車ですら、魔力を注入しなければ作動しない。
それだけで、彼女は徒歩という手段を活用していた。
――世界戦争。
つい五十年前まで行われていた、魔法と科学の大戦争だ。
それまで科学が動かしていた世界に‘幻想’である魔法の一石を投じたのは、ラルヴァンダード、ホルミスダス、グシュナサフという三人の魔法研究家。
魔法は、勿論科学より便利である上、利便性も高い。故に、一歩間違えれば死に至るほどの危険も保有している。
故、平凡な日々に退屈していた者は、皆、目前の非凡へ手を伸ばした。
それにより、世界は科学軍と魔法軍の真っ二つに分かれた。
‘核’と‘魔術’。二つの力により荒廃していった世界を終わらせたのは、イギリス人の研究家が発見した、‘錬金術’だった。
‘非金属’を、‘貴金属’へ変える。
最初は、それだけだった。
しかし研究が進むにつれ、人々は、錬金術を応用し、‘寿命’と引き換えに‘錬金術’を使用する方法を発見。さらにその機密を盗んだドイツが蛇型の巨大生物兵器‘ウロボロス’を開発し、科学軍を一掃した。
皆、科学を幻想の物とした。
戦争は終結。錬金術を開発したヘルメス・トリスメギストスとドイツのウロボロス発明家、更に戦争を激化させようとして独自に小型生物兵器‘ホムンクルス’を開発していた活動家を処刑。
世界は、‘平和な魔法時代’へと突入した。
真希の祖父母は、その戦争に殺された。
そして、父母も。
それは、ある雪の日のこと。
まだ小学生の真希は、友達と雪を投げ合いながら、帰路を歩いていた。
雪を魔力で星の形にし、それをまた魔法で相手に投げつける。
それが、どうも楽しくて、キャッキャキャッキャと騒ぎながら、彼女は家の前で足を止めた。
『じゃぁね、真希ちゃん!』
『ウン!』
手を振る友人を見送り、家のドアを開けようとする。
そこで、彼女は固まった。
その頃家の鍵として主流だったのは、その家の居住者の‘魔力’を、専用機械に流すことだった。
魔力は人により指紋のように異なるため、家を開けられるのは、予め魔力を機械に登録していた家族のみ。
その機械が、めちゃくちゃに壊されていた。
『お……お母さん!?』
真希は今までの笑顔など焼き捨てたかのように顔を固くし、扉を開けた。
探す必要は、どこにもなかった。
目的の‘物’は、扉を開けた先に‘あった’。
青白くなり倒れた母と、その上で、彼女をかばうように倒れ込む父。
二人とも、既に動かなくなっていた。
そして、二人の前でほくそ笑む、唐草模様の鉄製の魔法杖を持った覆面の男。
そいつは、冷たい瞳で、真希を見つめていた。
ふと、真希の視界が歪む。
『ガキが……』
彼女が、意識を失う寸前に目にした物。
それは、こちらに杖を向ける、男の姿だった。
○
「――母さん……」
昔のことを思い出し、彼女は大きく空を仰いだ。
寂れたアーチ状の看板が、やけに彼女の目に着く。
ひまわり商店街。
彼女がまだ魔法が好きだった頃――つまりまだ両親が生きていたころ、真希はよく、母とここに夕食の買い物に来ていた。
それが、今は人っ子一人いない。
人はみんな都心部に流れ、ここも過疎地と化してしまったのだろう。
だが、それが彼女にはうれしかった。
瞳に映る涙を、誰にも見られたくなかったから。
「畜生……」
泣くのは、もう飽きた筈だった。
だが、その滴は、留まることを知らない。
「うぁ……」
もう駄目だ。‘決壊’する……。
彼女が大きく声を上げようとした、その時。
――四十代ほどの小太りな男が、道端のゴミ捨て場に、頭から突っ込んできた。
「うひゃっ!?」
あまりにも唐突なその出来事に、思わず彼女の口から、今まで出したことのないような悲鳴が漏れる。が、それを誤魔化そうともせず、彼女は涙を拭い、男の顔を覗き込んだ。
男は白目をむき、口から泡を吹きている。
意識がないのは、明確な事だ。
――一体、何があったのか。
そう思い彼女が辺りを見渡すと、精肉店の路地裏に、人影があった。
どうやら、杖を構えているようだ。
魔法使いどうしの喧嘩だろうか。
だとしたら、面倒なところに出くわしてしまった。
こっそり、見なかったことにして帰ってしまおうか。
真希はそう思った。
ちょうどその時。
一つの声が、鴉の鳴き声の響く商店街へ、心地よく響いた。
「――連続通り魔殺人犯、八重野九兵衛! 貴方を逮捕させていただきます!」
連続通り魔。
そう聞いて、真希の顔がさあと蒼くなった。
今、自分は殺人犯の顔を覗き込んでいたのだ。
「……おや」
此方の存在に気付いたのか、陰がこちらに歩み始める。
それは路地裏から出た所で日の光を浴び、姿を露わにする。
「――その男の、お仲間ですか?」
歳は、同い年くらいだろうか。
癖のある白銀の髪に、赤縁のメガネ。
黒いスーツに身を包むその青年は、あくどい笑みを浮かべながら、真希に杖を向けていた。