彼女は笑いたかった
明はドアに凭れながら考えた。どうして自分は誠をああも怒らせてしまったのか、と。
怒った起点は間違いなく、僕が魔法使いの家系だと言った所だ。ならどうしてそれで怒ったのか。
明は考える。それまで自分が誠の異世界の話を疑った時には、怒ったように見えただけの誠が、本気で怒声を浴びせた原因を。
──実の所、明は帰るつもりなど毛頭なかったのだ。少しのクールタイムを置くべきだとは判断したが、話に不可思議なものが絡んでいる今、この機を逃すべきではないと考えている。
我ながら最低だよと自嘲するも、それは全て己の心の些事だと切り捨てる。己は省みず、少しでも誠の助けとなろうと彼は必死だった。
情報を整理する時に重要なキーワードとなるものは異世界である。しかし明には未だ異世界というファンタジーを信用しきれていなかった。魔法などというファンタジーを操り、異世界をファンタジーと括り否定する。一見矛盾した行為であるが、それも無理もないことなのだ。
──何故ならこの世界の人間には、未だ異世界を発見することが出来ていないからだ。いわゆる未知であり、未観測。非常識の固まりたる魔法使いが発見できぬ、本当のファンタジー。
それが五十嵐明における、いやこの世界の人間における“異世界”の定義である。
魔法にのみ特化した異世界と、科学文明の中ひっそりと伝えることしかできなった地球との差が、ここで明確に現れる。
非常識を扱っておきながら、常識に縛られる彼は何とも滑稽だと、異世界の人間が見れば言うに違いない。彼らにとっての魔法は、全てを叶える万能の能力と相違ないのだから。
だが、明はその程度で思考停止に陥るほど、愚かではなかった。
明は思う。異世界を否定するのは簡単だが、二年間、腐っても魔術結社の捜索網を掻い潜り、かつ全く埃をこぼさない連中がどれだけいるか、と。いくらか候補はあるものの、それだけ厳重に隠していた誠がどうして逃げることが可能なのか。解放したと仮定しても、その意図は見えてこない。
明はそこまで考えて頭を振った。どれだけ無い知恵を絞ろうと、圧倒的に情報量が足りていない。それでは考えつく結論などたかが知れている。
今分かることは、自分が誠の逆鱗に触れたこと。それが魔法に関係すること。そして、誠は拉致された場所で話したくもないほどのヒドい目にあったということだ。それだけ分かれば十分だと、明は血が滲むほど強く拳を握った。
明の予想は、情報量が限られた中で及第点が貰える程度には的中していた。欲を言えば、何故誠がああも怒ったのかを予測して然るべきなのだが、そこまで求めるのは酷というものだろう。
彼は非日常に足を踏み入れているとはいえ、たかが平和な世界に生きてきた十八歳の子供なのだ。生半可な覚悟では、レティシアの地獄を知ることはできない。
なんにせよ、明は凭れていた扉から体重を戻し歩きだした。ギシギシと踏み込む度に木目の床は音を立てて、彼の居場所を知らせる。
明は絶対的に情報が足りていないと考えている。しかし誠の威圧感による圧迫から鑑みて、今の誠から情報をこれ以上引き出すのは自殺行為とも、誠との不和を冷静に受け止めていた。
明は急な階段を踏み確かめるように降りていく。ギィギィとうるさく奏でる階段は、当然のごとく木製。八角家は現代に珍しく木造建築の家屋なのだ。外側から見れば、かなりの歴史を感じさせる風格を伴っている大きな日本家屋。そして黒ずんだ廊下と階段は、古いだけが取り柄だと、人が通ると必ず不協和音をさえずるのだ。
八角家の住人はうちの家は鶯張りなんだ、とよく揶揄している。
その特性故に、階段から遠く離れた奥の居間にいても、誠の母と妹は明の突然の来訪にも驚きが少なかった。
明はスライド式のドアを開け放ち、ソファに座り顔だけをこちらに向ける誠の家族を睥睨した。
「少し、お聞きしたいことがあります」
そう言って、明は後ろ手にドアを閉める。
「──うちの誠のこと、ですよね」
予想していたように反応したのは誠の母、由紀恵だった。由紀恵は逡巡もせず立ち上がり、明を身振りでソファに座らせると、お茶菓子と飲み物を真ん中のテーブルに用意した。座椅子に近いソファはテーブルを囲むように三方に配置され、ソファがない方向には大きな薄型テレビとテレビ台がある。居間は横長の部屋で、真ん中から縦に畳と木目の床に分けられている。
入ってすぐが畳のフロアで、向かって左が黒ずんだ板張りの床だ。
板張りのフロアには冷蔵庫やキッチンも兼ね備えられていて、家族四人が囲めるテーブルもそこにある。
お茶菓子と飲み物を配り終えると、由紀恵はテレビの対面の美保の隣に座る。明はそこから見て右の一人用の座椅子に腰掛けている。
明は配られた飲み物にお礼を言い、喉を潤した。そこでようやく彼は、極度の緊張状態にいたように喉がからからになっていたことを自覚した。一気に飲み干してしまった彼に見かねた奏が、ペットボトルのジュースを冷蔵庫から本体ごと取り出した。
真面目な顔から一転、気恥ずかしそうに明が礼を言った。
それが良かったのだろう。無意味な重い空気は緩和されたようだった。
思い詰めた顔をしていた美保がそれを見て、くすりと笑う。
「ここまで、黙れぇ、と叫ぶお兄ちゃんの声が聞こえてきましたよ、明さん」
「……面目ない。まさかあそこまで怒鳴られるとは思ってなかったよ。っと、すみません……誠を怒らせてしまいました」
途中まで言い、由紀恵がいることを思い出した明は少し焦って謝った。例え付き合いが長くとも、誠の親の前で怒らせました、なんて言ってなにも思わないでいられるほど、明の面の皮は厚くない。
しかしそれは杞憂だった。
由紀恵は静かに首を振る。
「いいえ、むしろお礼が言いたいくらいだわ」
由紀恵は柔らかに微笑した。
ここ三日、感情を一切露わにしなかった誠の怒声は由紀恵にある種の安心感をもたらしていたのだ。由紀恵の隣では美保がうんうんと頷いている。
「そんな、僕は、別に……」
しどろもどろに恐縮するのは、緊張状態から抜け出した煽り、だけではない。見た目が若い由紀恵の微笑みは、思春期男子にそれなり以上の効果を発揮する。
彼にとっては怒らせてしまったことを後悔しているのだから、お礼を言われても困るというのもまた事実だった。
こほん、と明は仕切り直すように咳払いを一つ。
「でですね。誠君の、いえ君付けは今更ですね。誠になにがあったのか、お聞きしたいのですが」
やや顔が赤いのはご愛敬だろう。女性的な彼が恥ずかしがれば、より女性的に見えることに彼は気がついているのだろうか。
なんにせよ、彼は余計な言葉を省き、単刀直入に誠のことを聞いた。
「──どこまでお聞きに?」
由紀恵は微笑んだまま答える。いくら息子の親友とはいえ、下手なことを喋って息子の立場を悪くしたくない、という親の愛だ。自分は息子を無条件に信じるが、狂人と言われても文句は言えない話なので、と。
由紀恵は己を頭が良くないと過小評価するが、全く持ってそれは間違いだった。彼女は誰よりも思いやり深い。そしてそれは思慮深さに繋がる。
「異世界と、魔法まで」
座椅子に座りながら、精一杯身を乗り出して言う。
明はなにも小細工せず、自身が聞いたことを話した。今はまだ、彼は己が魔法使いだということを誠以外に言うつもりはなかった。
「信じてる?」
普段はほわほわと柔らかい雰囲気の彼女だったが、今の彼女はそれに加えて少しの棘が加わっている。
息子だろうと、娘だろうと、庇護する対象であることに変わりはないのだ。明による息子兼娘を追求する厳しい視線に晒され、由紀恵はやや過敏になっていた。
「はい、信じます。異世界も、魔法も。誠が言うなら、僕は信じます」
あくまで真摯に明は答える。異世界についてはまだ半信半疑だが、疑うよりも信じたい。それが彼の答えだった。
ギラついた視線は伏せられ、険しい表情はそっと緩んだ。
美保は母に一任するというスタンスで何も喋っていない。しかし明の迷い無い言葉に“疑った私は狭量なのだろうか”と真剣な顔の裏で悶えていることに、明も由紀恵も気付かない。
由紀恵はそんな明を眩しそうに見ると、目を細めてにっこりと笑った。羨ましいわ、と誰にも聞こえない声で呟く。
「なら、知っている限り話しましょう。でもごめんなさい。たぶん、ほとんど明君が聞いたことと同じだと思うわ」
「な、なら私も参加する。私が、直接お兄ちゃんから聞いたんだからね、じゃ、じゃなくて、お聞きしましたわ」
美保は自己嫌悪から立ち直ると、焦ったように会話に参加し壮絶に猫の皮を投げ飛ばした。後のフォローはより傷を深めただけである。
手を挙げて発言する様はコミカルで可愛らしいが、本人はそうは思わないらしく、真っ赤な顔でそろそろと挙げた手を下げていた。
あはは、と声を上げて明が笑った。今日、八角家に訪問してから初めての笑顔であった。
「わ、笑わないでくださいよ、明さん」
ぷしゅー、と湯気を出しそうなほど真っ赤にさせた美保が、拗ねたように口を尖らせる。それがまた明の笑いを誘った。
「あはは、ごめんごめんっ。でも、誠にべったりの美保ちゃんを知ってる僕からすれば、猫を被ってる方が違和感なんだよ」
笑いながら明は言った。ふふふ、と言い終わった後も声をかみ殺して笑っている。
「もう知りません!」
美保はぷいっと顔を横に向けて憤った。しかし口元が弧を描いている真っ赤な横顔を見れば、誰もが本気でないと判断するだろう。
由紀恵はそんな二人を微笑ましそうに見守っている。
部屋に再び和やかな空気が帰ってくる。カチカチ、と鳴る壁時計は朝の十時を回ったところだ。ここぞと、三人はコップを手に取りシンクロするように喉を潤した。
とぽとぽ、とコップに飲み物を入れる音が聞こえる。
それが三回鳴ると、美保は異世界の物語を話し出した。それはやはり明が聞いた話とは違った物語だ。しかし、少し話の内容が異なるだけで、明にとって目新しい情報は少ない。
一つ、全く知らなかった情報も混じっていたが、明は素知らぬ顔で知っている風を装った。得意げに話す美保が少しでも情報を落としてくれることを願っての行動だ。
その情報を美保が事も無げに言ったことで由紀恵が額に手を当てたことに気がついた彼は、美保が単純な性格で良かったと考えたとかいないとか。
頭の良さと思慮深さは必ずしも比例しないのである。
──そしてもう一つ、彼にとって気になる情報があった。これについては由紀恵も把握しておらず、そういえばと小話的に語られた内容であった。
明は意見を求められたが、わからないとだけ首を振り、嫌な予感に顔をしかめた。
確認せねばならないことが増えたと、明は冷めた頭で指折り数える。
ものはついでと、美保からの話を聞き終えると、明は先ほど誠から聞いた話を二人に話した。
話を聞いていく内、美保はだんだんと青ざめ、由紀恵は困ったわねと首を振り、明は乾いた笑いを口元に称える。美保は由紀恵を見、次に明を見、自分の犯したミスを知った。
彼女ができるのは、事態が悪化しないことを神に祈るのみである。ただし生憎彼女は神様だの超常の存在を信じない性質だったので、彼女は心の中で兄に謝った。
少なくとも、異世界の話には誇張、虚飾があることだけは、疑いようがないとして三人は頷いた。
時計はいつの間にか十一時を回っている。
昼ご飯を勧める由紀恵に断りを入れ、明は八角家を後にする。彼は玄関で奏に言った、また後で来ます、と。
その薄い笑みで固定された表情は人に揺らめく青い炎を彷彿させるが、しかし由紀恵には、彼の顔が今にも泣き出しそうな幼子にも見えた。
誠と明、そして八角家の分岐点となる長い一日が幕を開けた。
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日光が無遠慮に部屋を照らし出す。バラバラと落ちた本棚の本、乱れたベッドに、うるさく時を刻む時計、何年も使用されていないCDカセットとCDの山、水晶などの鉱石が集められたガラスの箱、生気を失い虚ろな視線を扉に寄越す草臥れた男。
誠だ。彼は明が出ていき随分と経っているのに、未だ扉の向こう側に明を見ていた。それはレティシアの意識が生み出す幻影だった。
明の幻影はただ佇んでいる。動きもせず、ただレティシアを見ていた。彼はただそこいる。手を伸ばせば、歩き出せばレティシアの脆い腕を掬い上げられるのに、彼は何もしない。
できるのに、何もしない。助けない。
止めてくれ、と過去の誠が叫んだ。これ以上レティシアを無為に傷つけないでくれ、と彼女の生み出す幻影を、彼女の生み出した誠の記憶の残滓が追い払う。それは自作自演にほど近く、果てしなく遠かった。
だが頭にこびり付いたように、錆びた幻影がそこにいる。扉の向こうに、明の幻影が薄ら寒い笑みを浮かべて立っている。
レティシアは今すぐ魔力を解放して、ここら一体を焦土に変えてしまいたかった。数秒で終わる。禁断の果実にも似た甘い衝動。
その度に誠が、落ち着け、何か理由があったんだ、とレティシアを諭す。親友を信じたい、と過去の記憶が言う。
彼女が限界を迎えてなお、辛うじて狂気に堕ちないのは過去の誠がそこにあるからだった。冷静になれ、と何度も頭の中で叫ぶ。負の思いが振り切れば、奴らの思い通りになるだけだと。
あれは明じゃない。明はあんな酷薄な笑みを浮かべない。聞いただろ。あいつはお前を助けるために、東へ西へ走り回っていたそうじゃないか。そうだ、もしかしたらあいつには才能がないのかもしれない。だから助けたくても、見つけ出せなかった。そうじゃないか。
明が聞けば殴りかかりそうなことを平然と語りかける。
ここにきて、誠の意識とレティシアの意識はほぼ分離しかけていた。二つの自分、どちらも誠でレティシアだが、頭の中に二つ人格が別々に混ざり合っているようだった。
誠の意識は明を信じようとし、レティシアは頑なに憎んでいる。しかし誠の意識は分離しかけているとはいえ、レティシアの支配下にある。つまり、誠が思っていることは、同時にレティシアがこうありたいと願っている理想なのだ。
あれは楔だ。奴らがお前を引きずり堕とそうと、待ちかまえているのだ。お前はその程度で憎しみを抱いて果てるのか。奴らは狡猾だ。そして臆病だ。決して自分の手は汚さず、裏で手を引くだけの腰抜けどもだ。
そんな誇りない人種に言い様にされていいのか。奴らは笑っているぞ。人形は所詮人形だ、と。そうなれば今度こそお前は逃げられない。あの永劫の地獄を再び垣間見ることになる。言われただろう。次はないと。
人形に堕ちたいのなら好きにしろ。憎む相手を履き違え、あまつさえそれが原因で堕ちるなど、それは最早俺ではない。屈辱に耐え、恥辱に耐え、姦計に耐え、それでも完全には堕ちなかった俺ではない。
誠の説得に熱が入り始める。それは彼の中の矜持であった。誇りであった。同時に、彼がレティシアの支配から一時的に脱却した瞬間だった。
そうだ。お前は屈服したと勘違いしているが、それは違う。お前は真に耐えきって見せた。首輪がどうした。そんなものこの身体に最初からあったものではないか。誇れ。傲慢になれ。お前は外道の魔法に耐えている。耳鼻を擽る甘美な囁きをいくつ無視した。その数こそがお前の強さの証じゃないか。
虚空を見つめる瞳に徐々に光が戻っていく。憎しみに曇った視界は微かに晴れ、亡霊は霞み顔すら判別できなくなっていく。
誇れレティシア! お前は強く、美しい! その気高き心は奴ら如き奸智に折れはしない! 誇れ! その凛然とした魂は何人にも侵せはしない! 誇れ! 奴らは畏れているのだ。お前が悠然と立ち上がり、反逆の灯火を胸に宿すその時を! 誇れよレティシア!
魂に直接響くその声は、レティシアの自信と自負を大きく膨れ上がらせた。誠の瞳に濁ったものはすでになく、幻影は跡形もなく消え失せた。
だが、それも一瞬のことだった。
ベッドの上の誠はたちまち消え去り、神秘的な美しさを身に纏うレティシアが姿を現す。誠の独立した意識はレティシアに変ずると、意識の大海の中に霧散した。
レティシアはくすくすと可憐に笑っている。深窓の令嬢のように可愛らしく上品に笑っている。見る人を魅了する微笑みだ。
それなのに、彼女がおかしくてたまらないと笑う様は、歪で壊れたものにしか見えなかった。
もし誠がこれを見ることが叶うならば、“違う。断じて違う。こんなものは笑顔ではない”と言ったに違いない。
それはまさしく狂気に呑まれた自嘲の微笑みだった。
レティシアは誠を嘲笑する。誠は忘れたの、と。
屈服したとか、屈服してないとか、強いとか、弱いとか、そんなのは関係ない。わたしは人を殺した。一人や、二人でなく、万人の人をこの手で焼き払った。わたしは戦争の道具で、人形。そこに疑問を感じる余地はなく、わたしが許されざる罪過の輩である、証左。
明を恨むのは、違う。それは、わかった。でも、間違っている。わたしの、心も、身体も、魂も、とっくに奴らに浸食されている。奴らの魔力が通ってない場所なんて、身体のどこにもない。
誇る。何を。穢れきったこの身のどこを誇れと言う。
誠の人格は、所詮二年前までの平和な世界にいた恵まれた坊ちゃんの人格でしかなかったと、レティシアは思う。記憶は記憶。もう、わたしとは違う。人格を改変され、歪んだわたしに誠は眩しすぎると。
そう。誠は幸せだったのに。
どうして、わたしは。
彼女の憂いを真に理解できるものなど、どこにもいないのだ。過去の自分でさえ、今の自分を理解できぬのに、一体誰が彼女を理解してやれるのだろうか。いや、いないに違いない。
彼女は諦めながら、その誰かを求めているというのに。
レティシアが意図して長い間考えないようにしていた誠の記憶が、彼女の意志に反して蘇ってくる。
とても残酷な記憶だった。
──二年前、あの運命の日まで誠は幸せの絶頂だった。あの時はそれを知らなかった。でも今は断言できる。あれが、あの時までが、人生最高の幸福だった、と。
家族に恵まれ、親友に恵まれ、学校生活は始まったばかりだけど順風満帆。未来は広がり、輝いている。どんな場所にも手が届くと思っていた。
諦めるなんて言葉は知らない。努力と根性で乗り越えられる。明がいれば絶対だ。親友と二人ならなんでも出来る。そう信じて疑わなかった。
美保は俺が支えてやらないと。外面だけよくて、内面はずぼら。いい加減成長して欲しい。頼られるのは嬉しいけれど。
母はおっとり天然。心配をかけるとすぐ泣くから、気をつけないと。でも鋭い一面もあって、一番俺を理解してくれているのは母だ。
父は頑固一徹。真面目一筋。どんな無理難題も父ならできる。最後に泣きつけば、きっと怒りながらも解決してくれる。俺は父を尊敬していた。
明は掴み所のない親友。つまらない嘘が嫌いで、心配性で、時に冷淡で、現実家でありながら、理想家。女性的な顔立ちを裏切る、一概にこうと括れない親友だ。
思い出したくもない幸せな記憶に苛まれ、押しつぶされた感情が群をなして沸き上がる。
レティシアは現実とのあまりの違いに、歪んだ笑みがさらに気味悪く裂けていくのを感じた。
美保はわたしに疑念を覚えている。
母はわたしを理解できずに扱いかねる。
父はわたしを拒絶し顔も合わせない。
明をわたしは拒絶し友情は終わる。
未来は閉ざされ、絶望にまみれ、諦めて現実を見る。無理なものは無理。できない。手が届く範囲なんてない。首輪がその象徴。
レティシアは肩を震わして笑っている。頭は下がり、表情は見えないが、肩を震わして、自嘲ではなくきっと笑っていた。
首輪を掛けられ、操られ、洗脳されて、屈服し、殺して、殺して、殺して、殺して、愛玩人形、勇者レティシア。
三流小説の題材にもなりはしない。
レティシアは笑っていた。肩を震わして延々と。ベッドがいくら濡れようと彼女は構わない。肩を震わして、彼女は笑っている。ぽたぽたとベッドに水滴が落ち続ける。彼女はきっと笑いたかった。肩を震わして、涙を流す。
彼女は笑っている。
美保にお姉ちゃんと親しまれながら、
母に着せかえ人形にされながら、
父の大きな手に頭を撫でられながら、
明と一緒に馬鹿なことを本気でやりながら、
学校生活は戸惑うことはあるけど順風満帆。未来は広がり、輝いている。どんな場所にも手が届く。
異世界の旅路は辛いこともあったけど、こうして帰ってこれた。性別の違いは、少し困るけど、もう慣れた。暖かい家族と最高の親友に囲まれて、彼女は今日も笑っている。
彼女はベッドの上でひたすら涙を流す。
──彼女は笑いたかった。笑いたかっただけなのだ。
レティシアの超常的な聴力が、遠くから響く床が軋む音を捉えた。
──首筋に浮かぶ幾何学的な紋様が、淡く不気味に光った。
ここはおかしい、話が飛びすぎ、無理やりすぎ、わかりにくい、等など批判がございましたらご指摘お願いしますm(__)m