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明かされぬ過去


「お兄ちゃん!? 待って!」


 兄は一息で用事を言い終えると、二階へ駈けだしてしまった。それを美保は引き留める声をあげるものの、兄は無視して上っていってしまう。向けられた背中は、兄と自分にどうしようもない距離感が、物理的にも精神的にも、出来てしまっていることを美保に切なさとともに悟らせた。

 追いかけよう。そう思い、立ち上がると、


「美保。少し、三人で話をしよう」


 父はいつにもまして真剣な声で呟いた。美保は歩きだそうとした足を引っ込め、もう一度座る度にきしむ木製の椅子に座った。


「一度、誠から聞いたという話を教えてくれないか」


 美保は頷き、覚えてる限りのことを話した。大事なところが虫食いになっている話はどこか整合性がない。美保も話しながら、あれ? と何度も疑問を覚え、父は難しい顔を濃くしていく。母は痛みをこらえるように、顔をしかめていた。


 話を終えると、父は大きく息を吐きながら、


「そうか」


 と、だけ言った。


 そして父はなにかを考え込み始めた。

 美保は空いた時間で自分の話した内容を吟味した。


 兄は異世界に跳ばされた。勇者として異世界に跳ばされると、自分は少女になっており魔王との戦いが始まった。一年後、戦いが終わると兄はこちらに帰る方法を探す旅にでた。そして見つかり、今に至る。



 

 よく考えてみれば、兄が少女になっている理由が不明だ。

 魔王との戦いが始まったのに、兄は戦争のようなことを途中言っていた。直接戦争とは聞いていないもの、戦争としか思えない描写だった。

 そもそも兄は召喚されて、素直に魔王退治の旅に出るようなタマだろうか。そうとは思えない。一旦了承したフリをして、虎視眈々と逃げ出す準備を始めそうだ。

 おかしい。


 なにかが決定的におかしい。


 喉に詰まった小骨が、エンカすることを妨げている。


 そうだ、一番おかしなことがあった。


 魂でも抜かれたかのような濃い暗闇がを宿す──兄の瞳。

 

 

「お父さん……」


 泣きそうになりながら、美保は父を呼んだ。否定して欲しかった。父に、私の考えなんて馬鹿らしいと一蹴して欲しかった。


 兄は決定的ななにかを隠している。


「美保はなにも心配しなくていい。誠は誠だ」


 無理をした父の笑顔。それは父も自分と同じ結論に達した、もしくはもっと深い方まで気がついたという証拠他ならない。


「……どうして、誠が……」


 美保はなにも言えなくなり、母の啜り泣く声を聞いていた。


・・・・・・・・・・


 

 レティシアが次に目を覚ましたのは、自室のドアの開く音が聞こえたときだ。

 キイッと、軽く音を立てて、少し古ぼけた味があると言えば味があるドアが開く。独りでに開くわけもない、当然誰かしらが開けたのだ。


「……なんだ、起きていたのか」


 父だ。

 明かりもつけないで、じっとこちらを注視しているレティシアに驚いている。それとも寝ていると思ったのに、起きていることに驚いたのか。


「……今、起きた」

 

 パチン、と電気がついた。

 ……いつの間にか夜になっていたのか。日が入り込まないので、電気をつけないと一般人の父にはなにも見えないのだろう。

 一般人の枠からとっくに外れているレティシアには、暗かろうと昼間のように見えている。外を見て、一つの月が浮かんでいることにようやく気づく。

 そして端的に、父の言葉を訂正した。

 

「そうか、すまんな。起こして」


 そう言うと、父は静かに学習机付属の椅子に腰掛けた。態度から察するに、父はなにがしかの話を腰を据えて話すつもりのようだ。

 いつまでも仰向けのまま顔だけ寄越すというのも締まりが悪いので、スプリングを軋ませながらレティシアはベッド脇に座った。

 

「本当は、お前になにかご馳走してやりたかったんだがな。疲れているだろうということで、気の済むまで寝かしてやることにしたんだが」


 それなのに、起こしちまって悪かった。父は決まり悪そうに頭を掻いた。

 レティシアは頭を振る。わたしは眠れるときに寝貯めしていたので、起こさなかったらいつまでも寝ていたと、拙い言葉で伝えた。

 レティシアにとって、睡眠は生命活動に必要なことの一つでしかない。睡眠が安らぎの時間であった試しはない。


「ほお。なら寝坊助な所は二年前と変わってないのか」

「そう、なの」


 からかうように父が言うが、言葉通りにしかほとんど受け止められないレティシアは、自分は二年前から成長していないのか、と頷いた。


 父はからかいの言葉を真っ向からスルーされた悲しみと、レティシアはよく意味が分かっていない沈黙で、部屋に寒風が吹く。


 今の彼女に冗談を分かれというのは、いささか酷な話だ。


「んっんん! まあ、なんだ。その」

「聞きたいこと、ある、でしょ」


 まどろっこしく父が距離感を計りかねてるうち、レティシアは本題に入ることを無理矢理促した。


「お、おう」


 人の心の機微については期待するだけ無駄である。

 

 父は居住まいを正し、真剣な顔でレティシアを見る。どうしてか、いつかこれと似たような表情を見た気がする。


 どこだっけ、と父の覚悟を前にして、レティシアは別のことに意識を割いた。

 

「まあ、なんだ──妻と娘には話さなくていい。だが俺にだけは本当のことを話してくれないか。俺は、お前の父親で、味方だ」

「一般人には、キツい。止めておいた方が、いい」


 にべもなく拒絶。レティシアは一般論を述べた。


 しかしそれは同時に、大事なことを隠していると告白するのと同義だった。レティシアは座ったままひたすら次の父の言葉を待った。まるで実の父を試しているかのような、静謐を思わせる静けさ。確かに彼女は人形のような美人だったが、今は神秘的な美しさも内封していた。

 同じ空間にいるだけでプレッシャーを与える。

 父の額に脂汗が寸断なく流れ落ちた。今すぐここを離れたい。出ていきたい。後ろを振り返ることなく駆けだして逃げることのみを考えて、どれだけ走っても立ち止まらず。どこまでも追いかけられることを幻視して。逃げろ、逃げろ、逃げろ。ほら追いつかれる。だめだ。もうすぐ死ぬ。諦めろ。そらそらそら。拒絶しろ。目の前のバケ──ふざけるな。


 人としての本能が父に逃げ出すことを強要してきた。それどころか拒絶し恐れることを本能が脳に直接訴える。

 

 だが、


「一般人じゃない。俺はお前の親だ」


 父は顎から滴り落ちる汗を拭うこともせず、ただ息子への愛だけでその強迫観念をはね飛ばした。誓いにも似た言霊を宿す、力ある言葉。

 眼光が強い意志の光となって煌めく。レティシアは目を見開いて驚いた。意識して発していたプレッシャーではないものの、発していることには気がついていた。だけど止めなかったのは、父には自発的に出ていってもらおうと思ったからである。

 本能に訴えるわたしのプレッシャーは、例えドラゴンに単独で勝てる猛者も立っていることを許さない。

 本来のプレッシャーの半分にも満たないとはいえ、一般人が耐えるなんてありえないのである。

 

 だけど父は耐えて見せた。


 わたしの親というだけで。 


 なら、全部話さないと失礼。


 レティシアは人の機微に疎くなり、感情が希薄になっているが無くなってはいない。その証拠にレティシアは帰還してから何度も涙を流している。

 故に、彼女なりのキョウジも持っていた。

 

 戦いなんて強い人は一杯いるけど、心が強い人はそういはない。


「わかった」


 そしてレティシアは語りだした。呼び出された異世界の真実とおぞましい凄惨な過去の出来事を。

 

 タールのような黒い粘液が、心の奥でぼこぼこと泡を立てて燻り始めた。

 

 彼女の物語はこう始まる。


 ──私は王国貴族の人形だ。

 

 ────────────────────


「じゃ、後で、ご飯」

「……ああ、30分程待ってくれ」


 そう言って、レティシアの父は扉を閉めた。廊下にでると春先のひんやりとした空気が叫び出しそうな頭を冷やす。


 だがそんなものは散々に焼かれて煮えたぎった感情を冷やすには、焼け石に水どころの話ではない。


 父は妻に食事のことを伝えると、自室に戻っていった。妻は父のことを心配したが、それに構っていられる精神状態ではなかったため、手だけ振って大丈夫だと伝えた。


 乱暴にドアを閉める。


 電気もつけずに、父は部屋の一番奥、なにもない壁の前に幽鬼のようにゆらりと立った。


 そして血が出るのも厭わず、壁を、大きく手を振りかぶって、手加減無しに、殴りつけた。殴る、殴る、殴る。両の拳で交互に、壁を壊しているのか、己を壊しているのか、分からなくなる。ただ痛めつけなければ気が済まなかった。痛みはだんだんと麻痺し始めて、弱々しく壁を叩くだけになってしまっている。叩く度に痛々しく壁に血の跡だけが残った。

 それでも殴らなければならいけなかった。


 俺は実の息子すら救うことができない。

 

「畜生っ! 畜生っ!」


 目の前にいるのに、言葉が届いていない。

 父はどこまでも吸い込まれそうな瞳を思い出す。爛々と暗い憎しみの大火を宿していた瞳は、今思い出すだけでも──怯えてしまう。

 当然、それを直接見たのなら、


「畜生っ!」


 その時のことを思い出して、もう一度強く壁を殴った。痛みはもうない。


 キイッと音が鳴った。


「どうしたの、お父さん」


 美保が母に頼まれて様子を見に来た。父は気にせずたん、たん、と壁を殴り続けている。

 その音に首を傾げながら、美保は電気をつけた。


 すると明かりに、壁を殴る父が照らし出された。


「お父さん!? なにやってるの!?」


 その奇行は美保がお母さんと叫び、無理矢理に羽交い締めするまで続くことになる。


 その時の父は情けなく顔をくしゃりと歪め、今にも泣き出しそうだった。



 美保の耳に消え入りそうな声で、言葉が届いた。


 誰でもいいから、娘を救ってくれ──。


 その娘が自分ではないことだけは確かだった。


プロローグの終わり



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