友に誓う
長いです。
説明は最初の3千文字くらい
彼は説明する順番を考えながら、訥々と地球の魔法について語りだした。
「……とりあえず、魔術式より前に地球の魔法がどうやって今日まで残ってきたかを教えようか」
要約すれば、地球はある時から科学が台頭し、魔法はオカルトと切って捨てられた世界である。よって、魔法という分野は目立てず、ろくに実験も行えず、机に座っての研究が大半になったのだ。そして、それらは魔法使いから次の世代へ淑淑と伝えられてきた、と彼は言った。
レティシアは少し不機嫌になりながら、こくりと頷いた。まだやはり朝のわだかまりが彼女の中で消化しきれていなかったのだろう。
「地球の魔法使いはまだ異世界を見つけていない」
彼がそう言った時、彼女に失望の念と納得が広がった。所詮その程度だったのだ。期待するだけ間違っていたんだと。
明はレティシアの反応を伺っていたが、彼女はもうどうでもいいと考えていた。救いに来てくれる可能性が最初から零だったことを知れただけ、彼女の中で折り合いをつけられた。
彼は申し訳なさそうに頭を一つ撫でると、そっと手を離した。
彼は説明を再開した。
「魔法は幾何学的な立体の構成からなる、とは知ってるよね」
地球の魔法は机にかじり付いて研究されたものであるから、大規模な魔法やら、特別素晴らしい効果を持つ新しい魔法は生まれていない。それは大規模魔法など目立ってしょうがない、というのと、新しい魔法を生み出すために実験などして暴発などしたら元も子もないという理由だった。
だから彼らは考えた。いつか科学と魔法が共存できる日を夢見て、どこまでも理論的に魔法を証明して見せよう、と。最初から科学を抜いて魔法が台頭してみせる、という気概がない時点で、地球の昔の魔法使いたちはどこかへたれだった。
なんにせよ、彼らはすぐに魔法の構成の無駄を省き、贅肉をこそぎ取り、限界までシンプルに効率的に仕立てあげていった。かつて長々とした呪文を必要とした魔法たちは、言葉一つで発動するまで発展を遂げたのだった。
呪文は魔法の構成がどれだけヒドかろうと発動させるための、矯正器具だったのだ。
魔法の根幹は立体かつ幾何学的な構成である。これは地球の魔法使いたちにとっての常識だった。魔法を発動させる前に、頭の中で構成を描き出せば魔法が発動する、それが地球の魔法使いにとっての当たり前なのだ。
だから明は一般常識を一応の確認としてレティシアに聞いたのだった、が、
「……構成、って、魔法を発動させよう、した時……目の前に勝手に現れる、デタラメな立体の、こと?」
「……どうしてそれを知らずに魔法が発動できるのさ」
「……発動後の魔法、思い浮かべる……と、目の前に立体が現れるから、そこに……魔力を流し込めばいい。上手くできない……なら、詠唱すると、立体が現れる……」
「僕はもう挫けそうだよ」
異世界の魔法は明が考えている以上に大ざっぱだった。というより、ヒドすぎた。もしかして、大っぴらに研究できる分、新しい魔法の発見やらに躍起になって研鑽を行わなかったのではないかとすら、彼には思えた。
この時の彼は知らないがそれは半分正解で、半分間違いである。本当の理由は、もっとヒドい。
「……魔法の根幹は、その目の前に現れる立体です。わかりましたか」
「……わかった」
彼の異様な迫力に押され、彼女は有無も言わずこくりと頷く。なんにせよ彼女にとってその情報は朗報だった。
「で、さっきのはレティシアの身体強化の魔法の構成にハッキングして無効化しただけ。やけに簡単に入り込めたのは知らなかったからだったのか、そういうことか……」
「……なにそれ」
聞き逃せないことだった。魔法にハッキングして無効化なんて、そんな馬鹿なことがあってたまるものか、と彼女は思いたかった。
「……地球の魔法使いの魔法はもっとガッチガチに保護されてるからさ。しかも構成はほとんど最適解だから入り込みにくく、無効化してる内に発動されるのオチなんだよ。それを解消するための道具を作って、今日初披露だったから……上手くいったと思ったのにまさか魔法の構成に関しては素人だったとは」
「へ、え……」
明はそんなレティシアに配慮することなく、見事に彼女のプライドを傷つけた。思わず表に出さないようにしていた魔力の塊を部屋一杯に充満させてしまうくらい。
彼女は魔力のプレッシャーに汗を流し始めた明を見て、あくまで気になったことを聞いた。
「……魔法の発動、は、無効化できて……も、魔力の塊を直接、なら」
「……無理」
その言葉に満足したように、レティシアは魔力を引っ込めた。明はぶつぶつと、魔力の塊で攻撃とか想定外すぎるよ、と悲しげに呟いた。
腰を抜かすようにしていた彼女はベッドの上で座り直した。明には話す予定はないが、彼女は考えていることがある。今の説明だと、魔法一つ一つに対して無効化は行わなければならないようである。そして、無効化は一瞬でできるわけじゃない。わたしのならば、悔しいけどかなりの速さで消せるようだけど、人間であるならそこに限界があるだろう。
要は消される速さを越えて瞬間的に大量の魔法を構成すればいいのだ、と彼女は暴論を考えついた。そして彼女にはそれが決して不可能ではない。やろうと思えば分速数百の魔法だって放てるのだ、この少女は。
つまりどれだけ小細工をしようと明は弱かった。そしてわたしは強い。彼女は負けず嫌いだった。
勘違いをしてはいけないが、明は地球の魔法使いの中でも突出した実力の持ち主である。さらには自分で現代の魔法使いの杖を開発するのだから、世の魔法使いからは鬼才とさえ呼ばれている。
レティシアが規格外なだけである。
彼女を支えている数少ない柱が一つ、なんのドラマもなく戻ってきた瞬間だった。
──しかしおかしい。聞いている限り魔法の発動を無効化できても、すでに発動を終えた魔法は出来ないようなのに……わたしの身体強化はすでに発動を終えていた。
……まだ知らない法則があるのだろうか。
「うぐっ……なにを考えてるのかわかったけど……ああ、まさしくその通りだよ。僕じゃ君に勝てない──でも勝っていることもある」
明は力強く断言した。
「話は最初に戻るよ。魔術式、というのは近代で発見されたものだ。魔法構成の最適解を見つけた過去の魔法使いたちは、魔法構成に限界を感じた。最適解が見つかった以上、もはや強化の余地はないとされたんだ──しかしとある魔法使いが魔術式を発見した」
魔術式とは、魔法構成に書き込むプログラムである。彼は、そう言った。
魔法構成に一定のパターンに従って、文字、数字を書き込むとその魔法が変化する。指の先に火を灯す魔法を例に取ってみれば、大火、温度上昇、放出、必要魔力減少、等様々な変化を元の魔法に与えることが可能になったのである。
だがそれは余りにもパターンが多く、かつただの魔法構成だけで発動するよりも遙かに時間がかかるのだという。
ゆえに、地球でもあまりメジャーなものではないのだ、と彼は言う。
そして、明は六角形のデバイスを得意満面に取り出した。
「で、これが試作品の、僕が開発した、科学と魔法の融合。魔術式はプログラムって言ったろ? だから僕は本当にデータの中に魔法構成の図式を描いて、プログラムを作った。すると、魔力を流し込むだけでその魔法が発動できるようになった……理由はわからないけどね」
明はことさら自分が作ったことを強調した。誰も成し遂げていない科学と魔法の融合、先人たちの願い、それを若干十八歳の少年が開発したのだ、天狗にならないほうがおかしかった。
このデバイス以外にも過去に魔法を補助する道具を開発してきたが、まだデバイスについては未披露なのだという。理由が解明できていないのを提出するのは、プライドが許さないとかで目下研究中なのだとか。
格好良いことを言っているが、頬が緩みまくり自慢したくて仕方がないという表情が、全てを台無しにしている。
ちなみに一つのデバイスに一つの魔法が限界らしい。いくつも入れようとすると、魔法構成が絡まって意味をなくすそうだ。
「そしてこれが試作品二号」
彼は手に持っていた六角形のデバイスを懐に仕舞い、戻す手でもう一つ、懐から背が低い五角柱の黒光りする機械を取り出した。その機械もデバイスであることは明らかだった。
「これは無効化をアシストするデバイスだ」
彼の表情が引き締まる。そこにはすでに緩んだ頬もニヤケた顔も存在しない。一つの覚悟を決め、踏み込もうとする、男の顔をしていた。
「そしてこれが、君の首輪を破壊できる、たった一つの代物だ」
──彼は意図的に情報に嘘を混ぜた。
レティシアは歓喜よりも前に疑惑をそのデバイスに向けた。彼女には彼の言っている意味が分からなかったのだ。
彼女にとり首輪とは絶対的に破壊が不可能な最悪の魔法である。彼が無効化だの言っていた時、興味深いとは思ったけど、発動済みの魔法を無効化できない時点で興味は失せた。
──だけど明は発動済みの身体強化の魔法をいともたやすく無効化してみせた。まったく矛盾した出来事だった。そのせいでわたしは一時自信を失い縮こまり、無力な少女のように怯えた姿を見せてしまった。
その種が、あの黒光りする無機質な機械なのではないのか。彼女にはそれを否定する材料を持ち合わせていなかった。
しかしすぐに肯定するのにも、彼女にはこの首輪の不死性を目の当たりにし過ぎていた。どれだけ破壊しようと思っても決して壊れぬ強固な首輪を。一度は破壊されたと確信したのに、すぐに復活し休眠した劣悪な鎖の紋様を。心を縛り、体を縛る、悪趣味極まりない諸悪の根元たる、魔法で出来た隷属の首輪を。
これが破壊出来る日が来るなんて、彼女はついぞ思ったことがなかったのだ。
だから、それを破壊できます、そうですか、お願いします、と思えるほど彼女の頭は能天気に出来ていなかった。むしろそのように出来ていたなら、彼女は己の内に闇よりも暗い憎悪の炎を絶やさず燃やすことはなかったに違いないのだ。
動揺に揺れる魔力を抑えて、もっと具体的な情報が手に入らないか、彼女は思考を巡らせた。
「普通、魔法の無効化は、未完成の魔法にしか効果がない。相手の魔法構成を意図的に乱すことで、その構成を無意味化する、それが無効化だ」
レティシアが迷っているうち、明は勝手に続きを話し始めた。
「しかしこれがあれば一度発動した魔法に対してハッキングし、構成を浮き彫りにさせることが可能になる。それらの行程を肩代わりしてくれるのが、このデバイスの役割だ。あとは浮き彫りになった魔法の構成を乱し無意味化すれば、無効化ができるって寸法なんだ」
なにか聞かれたくないことでもあるように、彼はレティシアに質問をさせる前に細かく説明をする。幸い、彼女は考えごとに夢中であまり明の言葉に耳を傾けていなかった。
「だからこれを使えば、見るからに術者の醜悪な顔や趣味が反映されたその醜悪極まりない首輪を、レティシアの首から解くことができる」
彼は力強く断言した。自信に満ち溢れ出来ないとは微塵も考えていない、清々しい表情だった。
彼は最初のデバイスを未解明と言った。そして試作品二号と彼は黒光りするデバイスについて名称したのだ。なのに、その自信はどこから沸いてくるのか。レティシアにはどうにもわからなかった。
しかし、難癖付けても始まらないのも事実。そして首輪さえ解ければ、わたしの目的は完遂できる。首輪の復活に怯え苦しまなくていいのだ。それはなんと甘美な響きだろうか。自由になるのだ。名実ともにわたしの精神は解放され、体を縛る首輪もなくなり、自由を得るのだ。それはフランス革命を起こした民衆たちの願いと同じだった。
自由を得る、それは抗い難い言葉になり、麻薬のように脳内を浸食していった。彼女の猜疑心はすでに媚毒に溶かされた。決して彼の説明が素晴らしかった訳じゃない。彼の自信だけが彼女の信を得たのではない。
彼女は彼の言葉により、彼女の思考の中に自由という人間が求めてやまない言葉を喚起させられたのだ。
もはや彼女には首輪が解けない未来など存在しなかった。首輪が解けて、目的を完遂する、その未来が目に浮かぶようだった。
自由! 自由! 自由! 彼女は酒に酔ったように何度も頭の中にその言葉を繰り返した。叫べば叫ぶほど、自由は明確な願望となり、確定した未来へと変貌を遂げる。
「解いて。早く」
彼女は冷静な判断を失っていた。もしくは最初からかも知れない。
明はその言葉を聞くと、ベッドから降りレティシアから距離をとった。
「その前に、聞きたいことがある」
彼はレティシアに向き直り、質問をする。
彼は思う。この時しかないと。このタイミングでしか、きっとレティシアは話さないに違いないのだ。彼女は踏み込まれるのを極度に恐れる。ゆえに、目の前に人参をぶら下げた今でしか、彼女はきっと話さない。
「レティシア、君の目的はなんだ。首輪を解かれたとき、君はなにをしようと思っている」
なんとなくは察している。しかし、彼は彼女の口から直接聞かなければならないと思っていた。
彼女の瞳が恐ろしげに光る。その程度ならば、今の彼女に躊躇う要素がなかった。
「──復讐。復讐、復讐、復讐」
彼女はかなりの興奮状態に陥っていた。まるで言語障害にでもなったように彼女は一つの言葉を繰り返した。前髪で見えないはずの瞳が緑色に光り、ギラギラと彼を見ていた。
明は女々しく悲鳴をあげそうになるのを必死に堪えた。彼女の瞳に宿る狂気は、彼に根元的な恐怖を呼び起こさせた。いつの間にか部屋が異界にでもなったかのような錯覚を彼に起こさせた。
彼が恐怖に飲まれようとしているのを、気づきもせず、彼女は興奮したように言葉を続ける。
「奴ら、をわたしをこんなにした奴らを、八つ裂きにして、四肢をもいで、体中の骨を粉砕し、両の眼を潰し、鼻を砕いて、鼓膜を破り、舌を抜いて、歯を全て砕き、股間をもぎ取り、臓物を抜き、血を抜き、痛覚だけ刺激して、決して殺さず、何度でも回復魔法を使い、焼いて凍らせて切り刻んで押し潰して感電させて窒息させて、殺して殺して殺して、何度でも、何度でも、何度でも、殺す。這い蹲って許しを乞うても生き返らせても殺す。魂の奥の奥まで汚して、殺し尽くす……楽しみ」
彼女は最後に薄く微笑んだ。彼女は正気だ。どこまでも本気だ。ゾッとした。彼は淡々と抑揚なく躊躇いなく言い切った彼女を本気で恐ろしいと思った。
彼女はずっと考えていたのだ。だからこそ、これほど流暢に躓きなく、今の言葉を言いきることができたのだ。
「……それは、どういう理由で」
「理由、理由なんて……わたし、を虐めたから。だから同じこと、仕返しする」
「一体向こうでなにがあった! レティシア!」
「……言いたく、ない。でも、わたしがやることは、正義。間違ってない。復讐は、いいこと……見てて、明。わたしが、目的を達成するの、を」
彼は歯ぎしりして、彼女の歪んだ笑顔を見つめた。彼女は自分の行動に一切の疑問を抱いていない。殺すことに、彼女はなんの躊躇いも持っていない。変わってしまったのか、変えられてしまったのか。恐らく後者であることが、彼にはたまらなく悔しかった。
それ以降の彼の言葉は封殺される。なにを言っても、彼女は復讐、としか答えなくなった。
純粋に彼女は狂っている。そう思いそうになる思考を彼は頭を振って否定する。どれほどの目に遭ったのか、彼には想像しかできない。彼女がこうなってしまうほどの。
空気が淀み、澱が床に沈殿していく。彼女から漏れ出る魔力が、超質量を持って彼の足を床に縫い止める。まるで底なしの沼に足を踏み入れたようだ。彼は異様に重くなり、言うことを聞かなくなった己が足を見つめて呻く。ほんの少し気合いを抜けば、すぐさま彼は恐怖に飲まれ足を折るに違いない。彼は逃げを己に許さない。
魂の移動、肉体の変換、隷属の首輪、これらのことをやってのける人間が屑であることに疑いはない。だから彼は悩んだ。本当に自分の選択が正しいのか、彼は根元恐怖に
屈しそうになる己の魂を叱咤してまで、考えた。
出た結論は、恐ろしいほど己に負担を強いるものだった。できるなら、その結論は無しにしたかった。しかし、それを無しにするということは、我が家に現れた彼女の父の意志を無駄にすることと同義だった。そんなことはしていいはずがない。我が身可愛さで人の覚悟を無駄にしてはならないのだ。
それに、これまでの布石が無駄になるのも癪だし、と彼は心にもないことを思う。
彼は再び瞳に裂帛の気合いと挑戦者の光を宿した。力強い煌めきが意志の炎になり、煌煌と揺らめいた。頭が焼けるように熱い。獰猛な獣が手ぐすね引いて、彼を待ち受けている。腹の奥から暖かい力がこみ上げてくる。四肢が意志とは無関係に震え出す。
彼は底なしの沼に落ちていた二本の足を踏みだして堂々と彼女の前に立ち、凶悪な笑みさえ浮かべて、彼女の憎悪が自分に向かいかねない言葉を、嘲るように吠えた。
「ならお断りだ! 君が復讐を諦めない限り、僕は絶対に君の首輪を解くことはない! 絶対だ!」
一瞬の空白の後、それは訪れた。
「──ふざけるな」
魔力が爆裂となって部屋を吹き荒らした。凄まじい爆発音が鳴り響き、窓ガラスが震え、家が揺れた。本棚が倒れ、コンポが跳んだ。その時、今までの比ではない魔力が、明に襲いかかっていた!
埃がもうもうと立ちこめ、視界が狭まる。いくらも経たない内に、魔力の膜に包まれ無傷の明が現れた。
障壁と彼はレティシアの憤慨と同時に叫んでいたのだ。汗を洪水のように流しているが、彼は堂々と立っていた。
いくら魔力が規格外だとしても、魔法構成を極め、魔術式により城壁の如き堅牢さとハイブリッドな低燃費を併せ持たせた障壁を破れるほどではないのだ。火薬を直接投げる馬鹿がどこにいる。
「……撤回す、る。じゃないと、殺す。殺す。復讐は、わたしの目的。生きる意味。それを否定するなら、それはわたしを否定すること……わたしはそれを許さ、ない。明だろうと、絶対に」
「いやだね……君が復讐なんてつまらないことをするなら、絶対に解いてやらない……!」
「…………ここまできて。ここまで、期待、させて……いまさら、いまさら断る、解かない……ありえない。復讐、は、なにも生まないとでも、言うつもり……死ね。わたしは、痛めつけて、許しを乞うまでなぶってでも、解かせ、る」
彼女の瞳にはドス黒く濁った光が宿り、彼の瞳には煌煌と燃え輝く光が宿っている。
まるで対極だ。どちらもが自分の意志を貫こうとしている。それが正か負かなど、誰かが勝手に付ける俗な話だ。
彼女は彼の意志を汲み取った。決して引かぬということを、しかと語って見せた。ならば、無理矢理言うことを聞かせるだけだと、彼女は残虐な結論に達した。
きっと彼は思い上がっているのだ。所詮ただの魔力を防いだだけで、所詮単発の身体強化を無効化しただけで、わたしに勝てるかも知れないなんて哀れな幻想を抱いてしまったのだ。
蟻が武器を持ったところで、象には勝てないことを、身を持って教えてあげなければならない。
彼女は同時に百の魔法を構成し、魔力を込めた。使う魔法はただの光弾。最も威力が低く、最速で出せる魔法だった。次の瞬間には部屋中に拳大の光の玉が顕現する。それらは明を囲むように滞空し、主人の命令を待った。一撃で決めないのは強者の余裕だ。
彼女は怪訝な顔をする。ただの一発も、彼は無効化しなかったのだ。全ての魔法の構成に成功し、光弾は今なお一つたりとも減っていない。
いくら自慢の障壁でも、この数を受ければ破壊は必至。だというのに、彼は余裕の表情で立っていた。
彼女は侮られたと憤慨した。いまだわたしを舐めている明を、許せないと思った。しかし彼女には強者のプライドがある。なにもしない弱者をいたぶる趣味はないのだ。
彼はおもむろに黒光りする試作品二号を手に取った。彼女は身構える。それを使い、魔法を消去してくると思ったのだ。
だが彼はなにも言わずにしゃがんで、黒いデバイスを床に置いた。膝立ちのまま、彼はレティシアを見て、獰猛に笑った。
「ならば僕はこれを破壊しよう──火よ」
彼はそう言い、白い炎を手に宿した。デバイスとは十センチと離れていない。彼がそれを放てば、間違いなく精密機械のデバイスは焼け溶ける。
レティシアは憎々しげに睨んだ。どこまでも彼は己を愚弄するらしい。
「……だったら、もう一度作らせる」
「生憎、偶然の産物でね。もう一度作れと言われても」
「バックアップ、無いわけがない」
「それもその中」
「……嘘……虚言、騙されない」
「なら壊せばいいよ。ほら、早く……次のを作るまでにその首輪が持てば、だけど」
レティシアは反射的に己の首を触った。触れたところで、その魔法の首輪に感触はない。ただ己の白い首を触るだけだ。目線を下にやる。
──首輪は、いつの間にか緑光色に光っていた。彼女の顔色が青くなる。
「──解いて。早く……!」
喘ぐように、彼女は言った。そんな姿でさえ、彼女はとても美しかった。見る者を魅了し、今のように頼りない雰囲気を醸し出せば、人なら誰もが手を差しだしてしまいそうな退廃的な美しさを持っていた。
「断る。君が復讐を誓うのなら、僕は決してそれを解かない」
レティシアの顔が泣きそうに歪む。交互に、不気味な緑光に光る首輪を、強い視線を緩めない明を、何度も見て、泣きそうに悔しそうに顔を歪める。噛みしめた唇は鬱血し、涙が流れることを厭わずに、彼女は明を憎いと睨む。
腹が立って、どうしようもなくて、彼女は浮かべた光弾の一つを彼の魔法の膜にぶつけた。それは薄透明の膜にぶつかった瞬間、ガラスの割れる音を響かせ、白い光の粒子をまき散らし四散した。
薄透明の膜は、びくともしなかった。中の明もこちらを鋭い眼光で睨んだままぴくりともしない。まるで予定調和とでも言いたいようで、レティシアはそれがたまらなく悔しい。
ヒステリーを起こしたように、空に浮かぶ光弾が次々に四方から膜に襲いかかる。最初から脅しにしか使う気がなかった光弾は、連続にガラスの割れる音を響かせて、幻想的な光の粒子を部屋一杯に充満させた。落ちた本の背表紙やクリスタルを初めとする鉱石が光に彩られ、CDが光を七色に反射する。それなのに、不気味な緑光は、面白味なく白い光の中に目立つよう存在した。
彼女の涙でさえ、光に照らされているというのに。
薄透明の膜はやはり傷一つついていない。明も驚き一つない。それは自分の障壁に絶対の自信があると言うより、レティシアの行動を予測していたからに他ならない。
悔しくて、悔しくて、どうにかなりそうだった。顔を上げて、明を睨んでも、明の顔はわたしを真剣に見据えている。明の中で決まってしまっているのだ。たとえわたしが涙を流して叫んでも、どれだけ暴力で脅迫しようとも、明は絶対に自分の意志を曲げたりしない。そう思わせる何かが明にはある。
弱者なんて、脅せばどうにかなる、そう思ってたのに。明の魂は気高く、わたしの卑小な魂が醜く写る。彼にその気が無くとも、対比させられているようで、とても辛い。
わたしは明のように強くはなれない。
「……わたしが……わたしがどれだけの目にあったか、どれだけ奴らを憎んでいるかも……知らない、くせに。 悔しくて、情けなくて、どれだけ辱められたか……どれだけひどいことを強要されたか……知らない、くせに……! 奴らを殺すことが、わたしの生きる意味……なのに……! どうして……ぁ、わたし、は……憎い……!」
嗚咽混じりの慟哭、明が情に絆されないと知っていても、言わずにはいられなかった。ベッドの上でぶかぶかなズボンを両手で握って、俯く。彼の視線から逃げたかった。弱い自分を見られたくなかった。
シーツに丸く濃い色が上塗りするように広がっていくのを、滲んだ視界の中で見た。
「……だったら言えよ」
明がぽつりと呟いた。レティシアの肩がびくりと跳ねる。
「……そうさ、僕はなにも知らない。自分の親友が恐ろしい目にあっているのに、のうのうと平和な世界に暮らしていた最低の屑さ。守ることも、助けることもできずに、君がいない世界で君を捜していた。僕だけが君を救えるんだ、とありもしない自信を振りかざして、滑稽な道化を演じていた。だから──」
明は自らを嘲るように喋りだした。その声音は罪の意識に苛まれ、己の過去を懺悔し、許しを乞う人間のそれと全く同じだった。
レティシアが顔を上げれば、そこに力強い男はおらず自分の無力を嘆き悲しむ、弱い人間がいた。彼女が嘲ってならない弱者がそこにいた。なのに、彼女は彼を見下す気にはなれなかった。
「──あるいは、僕にこんなことを言う資格はないのかもしれない……いや、ないだろう。でも、僕は言わなければならない。それが、きっと僕に課された使命だからだ」
ゆっくりと言葉を吐き出した少年は、いまだ後悔を宿した瞳でレティシアを見据えた。それなのに、彼の黒曜石の瞳は決意の炎を宿し、不退転の誓いをすら彼女に印象させた。
彼は黒いデバイスを床に置いたまま立ち上がる。あんなに愛らしく見えた巫女服が、もはや彼を引き立てる一要素でしかなくなっていた。
彼の止めどなく流れる清水の如き気合いが、彼女には目に見えるようだった。みなぎり溢れる彼の気力が、彼女には果てしなく眩しく見えた。
「……言う、言うぞ! だったらなにがあったのか話せと! 確かに君は恐ろしい目にあったんだろう。死にたくなるほどの絶望を見たんだろう。感情が擦り切れるほどの苦痛を味わったに違いない。だが僕は言うぞ! 断固として言う! 同情して、怖かったんだね、可哀想だね、なんて言わない。まずは話せと! なにがあったのか、どんな目にあったのか、この五十嵐明に真実を教えろと! その後に、僕は君をそんなにした人間を憎もう!」
「──そして、共に背負う!」
明は自らを鼓舞するように叫んだ。叫ばなければ、己の面の皮の厚さに憤死し、とうてい最後まで言える内容ではなかったからだ。
レティシアは彼がただ強いのではないのだと悟った。彼は強くあろうとしている。
彼は神に誓うように、胸の裾を引っ掴み、血管が浮き出るほど強く握った。
「レティシアの悲しみを、レティシアの悔しさを、レティシアの怒りを、レティシアの罪を、全て共に背負うと誓う! それが僕の覚悟だ!」
彼の言葉に一切の偽りがないことは、言葉を通して痛いほど伝わってきた。本当に彼はレティシアの全てを背負おうとしているのだ。黒い透明な瞳が爛々と輝く。
まるで結婚式に教会であげる誓いの文言じゃないかと、レティシアは場違いにも思った。予想外だったからだ。まさか全てを共に背負うと言うなんて思うはずがなかった。
彼女は仄かに熱を持った頬に気づかないふりをして、視線を下げた。
それでも、駄目なのだ。
彼の瞳はとてもよく似ていたから。
「……い、いやだ……言いたく、ない。わたしは、言いたくない……! きっと、話せば、明は白い目で見る……汚物を見る目で、わたしを見る……! 拒絶される、軽蔑される……もう、無理。わたしは、それに二度と耐えられない。きっと、もっと……心を堅く深く閉ざし、今度こそ……首輪に負ける……わたしには、わかる……!」
涙こそ流れていないものの、彼女の言葉は悲哀に彩られていた。諦観が彼女の心を占領していた。
「ならばいい。僕は君の首輪を解こう」
明の言葉に、レティシアは沈んだ顔を上げた。
「だが、その時こそ僕は君を軽蔑し、嘲笑する。せいぜい過去に縛られ、鬱屈とした精神のまま生き恥を晒すといいさ!」
しかし次に待っていたのは、明の強烈な視線だった。とても見ていられない。彼女は泣きそうになりながらすぐに目線を逸らした。
「──だが! もしレティシアが真実を話すというのなら、最大限の敬意を払い、決して君を嫌わぬと誓おう! 恐れぬと、誓おうじゃないか! ……この言葉を違えたら、僕は自害する」
声音が変わり、静かな色がレティシアの耳朶を打った。その言葉は優しく、いたわるような口調にも関わらず、ひどく独善的なものだった。
レティシアが言葉を失う。その姿を見て、明がふっと笑った。
「……死ぬほどの覚悟を君に求めているんだ。それに僕は君の全てを背負うと誓った。それさえも僕が違えるならば、僕は生きる価値が無い人間に違いない」
明は本気だ。本気で言葉を違えたら死のうと考えている。表情をやわらげ、より女性的になった顔で、彼は苛烈なことを真剣に言った。
そこに自嘲は含まれていない。ただ、覚悟だけがあった。
レティシアは明の死の覚悟に触れ、それでもと首を振る。彼女はどうしても話したくなかった。すでに彼女はそれに似た覚悟を知っていた。明の瞳に宿る気合いを知っていた。
だからレティシアは涙をこぼしながら、首を心細げに振った。明の顔も見ずに、視線を下げたまま、頭だけ振った。選べるわけがない。彼女にとって、その二つの選択は同じ結果をもたらすものにしか感じなかったからだ。しかも話した場合は、明が死ぬというオプションまでついている。
「……父の件がある、か」
レティシアはその言葉に肩を大きく震わした。どうして明がそのことを知っているのだろうか、と疑問に思いながら。
「……そう。父は……常人のもの、じゃない気合、いを持って……わたしの、過去、を……だから、わたしは、凄い、思って話した……でも……でも……ぉ……! 父は……わたしを拒絶した……! わたしは、忘れない。あの清々しい気合いが濁り……わたしへの、恐れへと変じたあの瞬間を……わたしは、忘れない……!」
嗚咽が涙が言葉に混じり、慟哭が響く。言葉にならない悲しみがレティシアを襲う。思えば、あの瞬間からだった。彼女が頑なに心を閉ざしたのは。
それまで彼女は彼女なりに帰還を喜んでいたはずだったのに。久しぶりすぎて、どうしていいうのかわからずに、自分で自分を許せずに、戸惑っていた。もっと時間を掛けていれば、あるいは彼女の凍った心を溶かすことが出来たのかもしれない。しかし、それは所詮IFの話で。今現在、目の前にいるのは五十嵐明だ。
そして彼は決して甘くない。下を向くのを許さない。涙を流している時こそ、空を見上げるのが彼の信条だ。
しかし、彼はキラーカードを持っていた。彼は迷いなくその札を切った。
「──だが君の父はこの身にたどり着いたぞ! 日本の魔法使い有数の家系である、五十嵐家次期当主であるこの身に! たったの一週間でだ!」
「え──」
レティシアは反射的に顔を上げた。明がニヤリと笑った。
「魔法をつい最近知ったばかりの素人が、分家の親戚とはいえ裏の世界を生きる五十嵐家をたったの一週間で見つけた。これがどれほどの努力の元に成るか、わからないお前でもないだろう! ああ、そうだ。よく考えればおかしかった。どうして僕がいまさら今日になって誠の帰還を知ることが出来たのか! それはうちのクソ親父が、僕に君の父の嘆願をあえて意図的に抜き取って伝えたからに違いない! そうだ。僕はまだ魔術結社に正式に所属していなく、自由に動け、誠の親友という免罪符もある。つまり行方不明だった親友に会いに行ったら、隷属の首輪とかいう外道の魔法を掛けれていたから救った、という体裁を取ることで、一般人から依頼を受けることを避けたんだろうさ! はん、うちのクソ親父が考えそうなことだ」
「な、え……」
明の語る内容はあまりにもショッキングだった。父が、わたしを拒絶したと思っていた父が、わたしを救うために奔走したということが信じられなかった。
止まったと思った涙が、再びぽろぽろと流れ落ちる。
「……すまん。途中僕の勝手な心情が入った。気にしないでくれ──だけど、今語ったことは全て本当だ。僕は朝この家から帰宅した後に、親父と相対する君の父に会った。そこで聞いたんだ。レティシアのこと……君の父はとてつもなく後悔していた。なぜ自分は強くなかったんだと、後悔していた。でも後悔した後、君を救ってくれる人間を必ず見つけだすと堅く誓ったそうだ……安心して。僕は君の首輪について、他人に言うことを意志とは無関係にきかされるとしか聞いていない。過去のことについて、君の父は頑として話そうとしなかったよ」
「お、父……さん……」
レティシアは退行したように、昔の呼び名で父を呼んだ。涙を止めどなく流し、聞き取りづらくとも彼女は父を呼んだ。その涙は、悲しみでも怒りでもない、溢れる喜びの涙だった。
もう彼女の中に父に対するわだかまりは残っていなかった。ただ今は父に甘えたい。そう思った。
「ひっく……うぇ……ぇぅ……」
ただただ涙を流すレティシアを見て、明は胸を締め付けられるようだった。このような幼さを見せる少女に、性急に話させるのは間違っていると思ったのだ。
明は無言で近づき、その憎らしい緑光の首輪に触れようとした。いやに複雑で堅く作られている。明といえど、簡単に解ける代物ではなかった。だけど少しでも早く解いてやりたい。解いてからでも、きっと今の彼女なら話してくれるだろう、と明は信じていた。そして、決してなにも言わずに復讐という蛮行には及ばないとも。どうしても彼女が諦められないなら、また今日のように止めればいいと。
「──だめ」
しかし、触れようとする手をレティシアは身を捩って避けた。その赤い目には涙が残っているけれど、確実に前を向いていた。
「……これ……を、今解かれる、と……たぶん、わたし、は甘える。言えなく、なる。だから……」
レティシアは明を真っ直ぐ見つめた。凛と、確かにそこに在った。
「一日、待って……明日までに、覚悟、決めるから。復讐の、こと……過去の、こと……」
今この瞬間、彼女は未来を向いた。過去を乗り越えるための覚悟を決めると、レティシアは明に誓った。
それは容易ではなかったはずだ。おぞましい首輪を今は解かぬと決め、自分の逃げ道を塞ぐ。彼女には、先に解いてもらうという選択肢があったのに。首輪の色を見て、まだ大丈夫だ、と彼女の判断もあったかもしれないが、それでも並大抵の意志の力ではなかった。
今の彼女を見て、誰が弱いと言えるだろうか。今の彼女を見て、誰が感情が希薄だと言えるだろうか。
明は視線を外さぬレティシアを見、所在なさげに中空に浮かんでいた手を戻した。解いてやりたいという思いよりも、彼はレティシアの覚悟を優先した。
それに、今の彼女ならきっと大丈夫だろう。
「……わかった。明日の昼過ぎ、また来るよ……ああ、そうだ、このことを覚えておいてほしい。本当は、後で言うつもりだったんだけど──君の家族は、誰一人レティシアのことを、嫌っていないよ。拒絶していない。由紀恵さんは君を守るため、僕を試した。誰よりも心配していた。美保ちゃんは君のことを誰よりも知っていると誇らしげに言っていた。君の父は、もう言う必要はないね……そして、当然僕も、君のことが大好きだ」
明は再び顔を隠したレティシアを優しげに見つめて、なにも言わずにきびすを返す。
「どうか、このことを胸に留めておいて……またね、レティシア」
彼は去った。部屋には一人レティシアが残る。言葉を掛ければ、彼女は自分がなにも言えずに泣き出すと知っていた。
だから、今は彼に甘えて、部屋で一人膝を抱えて涙を流す。溢れた喜びに涙を流す。
──だけど彼女の口は一文字に引き締められていた。何かに耐えるように、幸せを感じながら、喜びを感じながら、それでも口は真一文字に閉じていた。




