初夏の記憶
「辛気臭い顔をしているな。例えるなら欲求不満でもやもやが溜まりに溜まっているがその大元には当り散らせず更に言えば他者に当り散らすこともできずに結局己の内に溜め込むことしか出来ずにいる、そんな顔だ」
昼休み、辛気臭い顔をして現れた彼にわたしは思わず思ったままを口に出していた。………それだけなのだが、何故、そんな奇異なものを見るような目でわたしをみるのだろうか?
首を傾げ、彼の内面を探ろうと思考を巡らすがどうにも思いつかない。
雨に恵まれた梅雨があけ、季節は緩やかに夏に向かう今日この頃、わたしたちはこんな風に日々をすごしていた。
彼にも色々あるのだろう。悩みやら煩悩やら悩みやら恋情やら悩みやら。まぁ、悩みの八割以上が幼馴染兼想い人の彼女についてのことなのだろうが。
ぶっきらぼうな言動に似合わず彼は意外と苦労性だ。なんだかねぎらいたくなってきて「まぁ、人には色々あるな」とポンポンと彼の肩を叩いて慰めた。
うむ、元気を出すといいぞ。相談ならいつでも乗る。
ということを肩に叩く手に込め、そしてわたしはいつものように弁当を開いた。が、視線を感じたため顔を上げる。
うむ?なぜ、君はそんななんとも言えない複雑怪奇な顔でわたしをみるのだ?
「お前………」
「食さないのかい?時間がなくなってしまうぞ」
「お前、お前は………お前はなぁ……」
はぁ~~と深いため息をついた彼の視線がわたしの膝の上の弁当に移る。もしや………。
「む?なんだい?わたしの昼餉を狙っているのかい?駄目だよ、タダではやれないね。等価交換。ギブアンドテイクが基本だよ」
なんと、わたしの昼餉を狙っていたのか。だが駄目だ。いくら(名ばかりの)恋人同士とはいえわたしの昼餉はわたしの物。特に今のわたしは酷い空腹を抱えているのだからタダではやれぬ!
彼の視線から隠すように手で弁当を覆えば何故だか彼はがくりと肩を落とした。
本当になんだ?そんなにわたしの弁当を食したかったのか?
じっーと彼の動向を見守っていると彼ははぁ、と重いため息を吐きながらもう一度わたしの弁当に目を走らせ、カレーパンを差し出してきた。
むむ?どういう意味だ?
「お前のから揚げとカレーパン三口交換はどうだ」
意外な申し出に目を二、三度瞬く。袋からちょこんと出されたカレーパンのいい香りが鼻をくすぐる。
決断は即断だった。
「いいね。のった」
意識せず口元が上がる。恋人らしいことなど何一つしてないし、したいとも思わないがいざ、それらしい場面を迎えると想像以上に心が躍る。存外、わたしも頭の中に『乙女回路』なるものが存在していたようだ。新たに発見した自分の一面に感動を覚えつつカレーパンを持つ彼の手をそのまま掴む。わたしの手では掴みきれない手首の太さと自分のものではない好きな人の温もりに嬉しさを感じながら手を自分の口元に引き寄せる。
「はむっもぐもぐ」
せっかくだから大口でカレーパンに喰らい付く。何故だかその様を呆然とした顔で見つめる彼に首を傾げつつもキッチリ三口カレーパンを頂戴する。ふむ、カレーといいもっちりとしつつさくさくした衣といいこのカレーパン、かなりの上物だと理解する。モグモグと口を動かしながら「美味であった」と彼に礼を言う。
が、返ってくるのは何故だか疲れたような眼差し。はて、今日はやたらにこんな視線が返ってくることが多いな。
彼の眼差しの意味は少々気になるが先に済まさなければいけないことがある。
わたしはモグモグ口を動かしながら手元にあった弁当箱を差し出した。
「さぁ、食すがよいぞ」
母上殿の料理は栄養価味見た目共に最高である。彼にも是非味わっていただきたい。
「はいはい。いただきますよ~~」
彼が少し迷うように弁当を見て、そしてから揚げをひょいとつまむ。
なんと、から揚げを選ぶとは目が高い。母上殿料理はどれも美味であるがその中でもから揚げは絶品なのだ。
わたしの大好物であるから揚げを彼が食べる。おいしいと思ってくれるだろうか。なんだが嬉しい。楽しみだ。自然と笑みがこぼれてしまう。
そんなわたしに彼は少し笑ってそれからから揚げを口に運びかけたその時、窘めるような女子の声が彼を呼んだ。
その声が誰のものかわたしもそしてもちろん彼も瞬時に悟った。
「透!」
声に驚いた彼のの指からから揚げが離れ、ころころと地面に転がってしまう。
砂が付き、あれはもう食すことができない。
ふっと先ほどまで感じていた高揚と喜びが色あせる。ああ、現実をわたしは少し、忘れていた。
すこし、浮かれすぎていた。
視線を向ければそこにはわたしの恋人の想い人の姿。相当焦っていたのだろう肩で息をしながら岬結衣くんは弁当を手に彼の隣に座った。べったりと隙間がないぐらいの距離に座るり、探るようなそれで居てお気に入りの玩具を取られまいと必死に抗う幼子のような瞳でわたしを睨んでくる。
その瞳にわたしに対する敵意とそして彼に対する狂おしいまでの執着を感じた。
一体になにが彼女の心に根を張っているのかわからない。彼と彼女。二人の間には歪みがあった。
他者を寄せ付けない強固か歪みが。
彼女はその歪み故に恋情ではないが彼の存在に依存し、彼は彼女の依存を知りつつ恋情により突き放すことができていない。
互いが互いを縛りあいどうしようもなくなっている。そんな風に感じた。
「探したよ。透!今日は一緒にご飯、食べようと思って!」
ハシャいだ少女の声がわたしを思考の海から掬い上げる。気が付けば彼の隣に座った岬結衣くんが弁当を開き始めるところだった。なんとなく一連の動作を見ていたたら、突然岬結衣くんがわたしの方に向き直った。
「遠藤さんも、いいよね?」
勝ち誇ったような顔。だが、その姿を痛々しいと感じたのは何故だろう。
だが、それを表に出すことはしてはいけないと思った。
哀れまれることをきっと彼女は良しとしない。
「構わないよ?」
意識していつものように対応するが何故だか岬結衣くんは頬を膨らませた。………どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。
岬結衣くんはそのまま甘えるように彼に擦り寄る。
「結衣………」
「透、またパン食べて、結衣のご飯を分けてあげる。はいあ~~ん!」
にっこりと笑い、卵焼きを彼に差し出す岬結衣くんは文句なしに可愛かった。
ふむ、女の子らしい女の子の図だ。恋人がいる身としては見習うべきか?
あれをわたしがやったとしよう。
『さぁ、食すがよいぞ。あーんだ。あーん』
何故だろう、自分だと途端に女の子らしさも甘さも消え去ってしまうのは。きゃらか?きゃらというものの差か?
パクリと岬結衣くんの差し出すおかずを食べる彼と満足そうな彼女を観察する。
ふ~~む。本気でわたしより恋人らしいな。しかし同じことをわたしがしたとしても同じように映らないのはどうしてだろうか………。
「ねぇ、遠藤さん」
「なにかな?」
再び思考の海に入っていたわたしに岬結衣くんが声をかけてきた。
「透の一番はあなたじゃないよ。あたしが透の一番なの」
予想外の言葉に目を瞬かせる。一体何を言い出すのだ?そんなことはとっくに……。
「知っているがそれが何か?」
岬結衣くんが固まる。その隣では何故だか彼も驚きに目を見開いた。
極端な幼馴染コンビの反応にわたしの方が驚く。
一体何にそんな驚くのだ?
「岬結衣くん。君が彼の一番だということもわたしが代わりだということも彼の心がわたしにないこともその全てを承知している。承知しているからこそわたしは彼に交際を申し込んだのだからね。いまさら君に何を言われようがわたしを揺るがすことはできないよ」
全てを承知しての付き合いだ。何の覚悟もなく他者に想いを寄せている殿方と付き合いを開始などしない。
そして覚悟を決めたのなら何を言われようとも揺るぐことはないのは当たり前ではないか。
岬結衣くんが怯えたように彼に縋る。
「だから、きみがどんなに彼の中で自分の優先度が高いことを強調しようともわたしを彼から引き離すことはできないよ」
そう、いくら彼女が揺さぶりをかけてこようが「その時」までは決して彼から離れない。
決意を込めてそう告げれば岬結衣くんの顔が怒りで赤く染まった。
「な、んで……!透は絶対にあんたなんて見ない!!好きにならない!!なのになんで!なんで離れないの!!」
激昂して叫ぶ岬結衣くん。なんで、か。そんなことは簡単だ。いつだって理由は簡潔で簡単でたった一つ。
「好きだから」
わたしは真っ直ぐに岬結衣くんを見ながら告げた。
彼の一番の女性だからこそ、真っ直ぐに目を逸らすことなくありのままのわたしの心を伝えたかった。
「好きだから側にいたい。離れたくない。それだけだよ」
そう、わたしは彼が好きだ。大好きだ。
だけど、わたしは彼を傷つける。
好きなのに、彼を優先できずに自分の気持ちを優先してしまう自分に自嘲してしまった。
初夏の日差しの下、わたしは己の恋と身勝手さを感じずにはいられなかった。それはわたしたち三人の関係が浮き彫りに成った日の記憶。