五月の記憶
「石崎透くん。君が岬結衣くんに心奪われ恋をしていることは承知している。それでもあえて言おう。君が好きだ。君が誰を好きでもわたしを好きでなくても構わない。わたしと付き合ってくれはしないかい?」
「へ?」
三年に進級した春。夕暮れに染まる桜を背後に背負いわたしは君に交際を申し込んだ。
長い片思いに疲れていた君が流されて仕舞うだろうという最低の確信を抱きながらわたしは人生初で最後になるであろう告白をした。
彼との付き合いは色々な意味で「喜び」だった。わたしは普通の女がしたがるようなデートも望まなかった(身体的に無理があるのと元々がわたしは出歩くよりかは室内で本を読んでいる方が好きだ)しベタベタ甘えるのは性に合わない(決して触れたくないわけでないことをここに明記しておく)。どちらかといえば阿吽の呼吸を心得た長年の友人のような付き合い方だった。こちらの方がわたしも楽だ。
彼は彼女を目で追い恋を捨てきれずそれをわたしの前で何度も広げてみせる。それが辛い。悲しい。心でわたしを見てくれと叫びたくなる。実際、何度も何度も叫びだしそうになった。だが、ここでそんなそぶりを見せれば罪悪感に駆られた彼から別れを言われるだろう。それはダメだ。卒業まではわたしは彼の「恋人」でいたい。
だからわたしは平気な振りをする。大丈夫だ「平気な振り」はそんじょそこらの人間よりは上手い自身がある。わたしのことをよく知らない彼がわたしの演技を見抜けるはずがない。
そよそよとわたしの隣に座る彼の前髪を春風が揺らす。あの告白から一ヶ月。桜の花はその姿を消し、青々とした葉が風に揺れていた。
いつものように裏庭で彼はパン、わたしは持参の弁当を食したあとそれぞれの時間を満喫していた。
つまりわたしは知識欲を満たすために読書、彼は身体的休息………一般的にいえば午睡を。
本に目を落としながらわたしの意識は傍らで眠る彼に向けられる。少し硬そうな髪はツンツンしていて触ると痛そうだ。平均身長よりやや高い身体を横たえ眠る姿はどこか目を瞑っている番犬を思い出させるな。
寝たふりしてこちらを窺うのはやはりまだ、わたしに気を赦していない証拠か。
彼と一緒にいるようになって一月、彼がわたしのことを怪しんでいるのはわかっていた。
残念なことに彼はわたしのこと好きではない。想い人もいる。そしてその思い人への想いを吹っ切れる気配は微塵もない。
そんな男がわたしの一応、彼であった。
ぱらりとページを捲る。彼の視線がわたしに向けられている。それが観察的なものでもやはりうれしくてわたしはくすりと笑ってしまった。その途端に彼がびくりと震える。
「なんだい?そんなにわたしの顔が君の興味をひくのかな?」
「!?」
視線も向けずにそういえば彼は思わずといったように飛び起きた。
まったく。そんな過激に反応したら盗み見してたことがばればれだよ。
居心地が悪そうに胡坐をかいた彼に軽く微笑みながらわたしはペラリとページを捲る。
「まぁ、わたしは変わり者らしいし、外見と中身が違いすぎる印象を他者に与えるらしいからね。君が観察したくなる気持ちは理解できないわけでもないよ」
昔から言われた。外見は可愛いのにどうしてそんな変なことばかりいうの?そんな言葉使いやめなさい。………誰も彼もが判をおしたかのように同じようなことしか言わなかった。
うっかり自虐的な笑みが浮かんでしまう。
「嫌味か?」
わたし自身を揶揄した言葉だったのに彼はどうやら自分への言葉だと思ったらしい。何故だ?
不思議に想いつつも否定する。ついでにちょっとした冗談も添えてみた。
「いや?そんなつもりはないよ。そうだなぁ、はた迷惑な愛情表現というやつか?」
「余計悪い」
冗談は通じなかったみたいだ。残念無念。
「そうかい。それはすまない」
それっきり会話が途絶える。それは揺れる若葉と穏やかな昼下がりにおきた彼とわたしのささやかな五月の記憶。