退却
「退却──っ! 全員、飛行船に戻れ──っ!」
思いもかけないバートル国の逆襲に、騎馬隊長は完全に頭に血が昇ったようだ。全身を突っ張らかせ、声を限りに喚いている。
隣の喇叭兵が、トテトテタ~~と、調子外れの退却の合図を吹いた。喇叭兵もまた、隊長以上に逆上しているようだ。
二輪車部隊は、尻を捲って退却する。後部甲板に、二輪車を格納する余裕もない。
飛行船のタラップに駆け上がれる場所まで近づくと、恥も外聞もかなぐり捨て、二輪車を横倒しに放り捨て、飛行船に乗り込んできた。
嵩に掛かったのは、バートル国重装騎兵の群れである。全員、時の声を上げ、手にした槍を持ち上げ、全速力で向かってくる。
ようやく繋留索が外れた!
ざあああっ! と、船首と船尾にある放水口から、飛行船のバラストの役目を兼ねた水槽から水が噴出する。非常脱出の際の、重量軽減である。
ぐおおおん……、と重々しい音を立て、飛行船のエンジンが、やっと目覚めた。飛行船の両翼に設置された、三枚羽根のプロペラが回転を始める。
スラットが降ろされ、飛行船は上昇を開始する。魔法使いたちが、飛行船を見上げ、次々と火球や、紫電を投げかける。
飛行船の船体は、ほぼ金属製なので、当たっても塗料が焦げる匂いがするだけだ。どんどん飛行船の高度が上がると、魔法使いたちの攻撃は届かなくなる。バートル国の追撃手たちは、悔しそうな声を上げ、飛行船を見送った。
市川は、船内から窓越しに下界を見下ろし「ひゃっほうーっ!」と歓声を上げた。安堵感に、市川の軽薄な面が剥きだしになる。