モデル
原稿用紙から顔を上げ、木戸が大学ノートに向かい合っている男に話し掛ける。
「ネームはできたかい? 祐介」
「祐介」と呼びかけられた男は、木戸の声に顔を上げ、にやりと笑った。
驚くほど、げっそり痩せこけ、笑うと頬に縦皴ができる。こほこほと、男は軽く咳こんだ。
「ああ、完成だ! 世界設定、キャラクター、全部できているさ。ただ、ストーリーがな……。オープニングは何とかなったが、結末が思いつかない……」
そこまで喋ると、祐介と呼びかけられた男は「げほげほげほ!」と大きく身体を波打たせるように咳き込んだ。慌ててポケットから吸引器を取り出すと、口に咥える。
すーっ、はーっと何度か吸い込み、やっと咳が止まった。おそらく、祐介は喘息なのだろう。
かちゃり、と軽い音がして、部室のドアが開く。三人が顔をそちらに向けると、一人の少女が心配そうな表情で、咳き込む祐介を見やっていた。
ほっそりとした身体つきに、健康そうな浅黒い肌。印象的なくっきりとした顔立ちをした、意志の強そうな少女である。明らかに、木戸監督が描いた、モデルの女の子である。
とすれば、この少女は田中絵里香という名前だろう。
絵里香は小走りに、咳き込み続ける祐介に近寄ると、素早く額に手を伸ばした。手の平を額に押し当て、懸念の表情を浮かべる。
「ひどい熱! こんな場所に来ちゃ、駄目よ。ねえ、祐介。帰って寝たら? あたしが送っていってあげるから」
祐介は、煩そうに絵里香の手を払いのけた。
「今、大事なところなんだ。『蒸汽帝国』を出版社に持ち込む期限、ぎりぎりだからな。おれが原作を書かないと、純一は後を続けられない……」