《燦然たる雪の…》
“空間魔術”は、文字通り空間を操る魔術だ。だが、その空間を操る力を以ってしてもワープやテレポートと言った類の力を使うことの出来る魔術師はいない。理論上は可能であるのだが、それほどまでに有能な“空間魔術”を、素面で行使出来る使い手が存在しないのだ。
とはいえ、ワープやテレポート。それを成功させることの出来る方法がある。それがツールの力を借りることだ。空間魔術補助ツール“テレポートキー”である。
今回、晃雅たちが消え去った折、学院長がスイッチを押したツール。それが“テレポートキー”であった。それの力と、東條の者としての学院長の有能さにより、今回の転移は可能となった。とはいえ、“テレポートキー”は印と印の間の転送しか出来ないので、事前に式場に印を描いていた、という条件付きなのだが。
それでも、かなりの最先端技術と、ハイレベルな魔術行使能力である。さすがは天城寺家に次ぐ権力者家系、御尊四家の者のことはある。
そんな“テレポートキー”によって転移させられた晃雅たち。彼らは、学院の敷地内にある森にいた。約百四十人強の“学院一年生”たちが、それぞれ別々の場所に転移させられており、近くには誰の気配も感じられないほどには広い森であった。
実際には、東京ドームが二つ三つ入るほどに広いのではないだろうか。百四十人がそれぞれ森の各所に転移させられたのなら、近くに人の気配がないのも頷ける。その上この鬱蒼とした木々………おそらく、他の生徒と遭遇するのは中々に難しいだろう。一泊二日の中で、四~五人の人間と出会えればいい方なのではないか。
晃雅にとってもそれは同じで、先ほどから圏外になってしまったケータイをイライラしながら、それでも咲良に連絡を取ろうと躍起になっている。
「くそっ…! いくら授業の一環とはいえ、こんな無茶をやらかすとは。ふざけんなよ、せめて咲良の近くに転移を………いや、文句言ってもしょうがないな。探そう」
いつもは冷静な晃雅でさえ、余程焦ったのか、独り言が増えている。それほどまでにこの“授業”は唐突であり意表を突くものといえ、学院長の言葉を借りるならば“困惑時の対処の訓練になる、という意義があったと言い訳出来る”ものとなったのだろう。
そんな授業の意義を体言するかのように焦る晃雅は、それでもまだマシな方だと言えた。何故なら彼は、魔術を使えない分の努力を惜しんでこなかった。魔術師として国防の任についている者たちにも引けを取らない技術を身につけるため、サバイバルの知識もしっかりと学んできた。魔術で事を有利に進めることが出来ないとはいえ、ここで生き残るだけなら、彼にとって造作もないことだった。それ故の余裕。
だが、それ故にこの“授業”の危険性を理解する。それ故に幼馴染を案じる。――あいつは俺が護らなければ…! 魔術が使えなくても、幼馴染を護れるように。それが、晃雅の努力の理由でもあった。
なぜなら、魔術の誕生によって乱れた世界が再び平定された二百五十年前より、日本は天城寺家と御尊四家の魔術的才能の高さによって、力を持ちすぎた。彼らが力を失くせば、それを期に諸外国の者たちは日本を一気に制圧するだろう。現在の力関係的に、日本は外国をほぼ制圧しているような状態にあるのだから、仕方がない。
また、“マナ”が満ちたことによって魔術を使えるようになった人間と違い、一部の獣はマナによって凶暴化し、強力な魔獣と化した。獣のほとんどはマナの影響をあまり受けなかったとはいえ、魔獣化した獣は確かに存在するのだ。………つまり、世界は危険に満ちている。だからこその“学院”であり、だからこそ“学院”では魔術的戦闘技術の訓練が重視され、だからこそ魔術師の仕事は国防なのだ。
そして、それ故に晃雅は努力した。危険な世界で、魔術師は力を持つ。そんな彼らにも負けたくはないから。魔術を使えなくとも、唯一の味方である幼馴染を護りたいから。彼女が有能であると信じていても、やはり彼には“幼馴染”という唯一の味方を失いたくはないのだ。
晃雅の予想からすれば、この森には一時的に魔獣が放されている。そういう危険から身を護る技術を磨くための訓練のはずだから、そうでなければおかしい。
また、『“学院”の入学資格を持ち、実際に入学してきた君たちだ。これくらい、出来て当然だろう?』とでも言いたげな、学院長の意図も感じ取っている。それなら、やってやろうではないか。
どのように動き、誰を助けようと学院側は文句を言わないだろう。それなら、なにがなんでも咲良を探し出し、護る。そのような心算であった。
そうして、晃雅は自身の転移させられた“印”からようやく動き始めるのだった。
…………未だに焦っているせいか、走り出した彼を追跡している影にも気付かずに。
◆
迫る牙。振り下ろされる爪。酷く鋭利で残酷なそれは、容赦なく彼女を八つ裂きにせんと襲い掛かる。
彼女はその連撃をタンブリングして避け、意識を自身の“オド”へ集中し、展開、詠唱を始める。
「《冷気、燦然たる雪の…》きゃあ!」
が、しかし。彼女が始めた詠唱は、途切れてしまった。未だ彼女を囲う狼型の魔獣たちのうちの一匹が、再び爪を振り下ろしたのだ。
なんとか避ける彼女だったが、元々魔術以外を磨いてはこなかったためか、既に体力は尽きかけている。………限界に近かった。
「これじゃあ………」
恐怖で金縛りにあったかのように動かない身体。それなのに、小刻みに震える身体。諦めかける。飛びかかる魔獣。目を瞑る。目前に迫る爪の恐怖から逃げるため。そして……。
―――――咲良は俺の唯一の味方なんだ
晃雅っ! 彼女、咲良は死の一歩前、その瞬間、幼馴染を想う。そうすると、恐怖で固まった身体は……恐怖に震える身体は、再び自由を取り戻す。
自由を取り戻した身体は、自然と、咄嗟に、動き始めた。
「《迅衝。吹き飛べっ! ――風音!》」
ビュンっ! 唐突に巻き起こる風。それは、咲良に襲い掛かっていた魔獣を一気に吹き飛ばした。
――いける、まだいける! 早く倒して、晃雅をサポートしにいかなきゃいけないんだ! ……彼女の決意は固い。高度な魔術で一掃するのではなく、簡単に展開出来る初級魔術を連発し、冷静に少しずつ魔獣に攻撃していけば、どうにかなるハズなのだ。
そして咲良は、魔獣から距離を取りながら、初級魔術の展開を始めるのだった。
彼女がこのような思いをしている理由は、至極単純であった。つまり、彼女が転移させられた先の“印”…………そこに、運悪く魔獣の群れが通りかかったのだ。その数およそ二十。それも、彼女が転移したその瞬間に通りかかった群れなのだった。
当然、魔獣たちは驚き、警戒し……そして吼える。恐怖を煽り、その肉を貪るために。肉食獣である彼らは、今から狩りを始めるところだったのだ。そのための移動の途中、か弱い人間の女性が唐突に姿を現したとなれば、転移した彼女が襲われるのは、もはや道理とでも言えるだろう。
だが。冷静になった彼女は有能であった。もちろん、転移を果たした瞬間から魔獣に囲まれていた彼女が、簡単に冷静になれるハズもない。当然のように、彼女は慌てふためき、魔獣を一掃するような魔術を放とうとして失敗した。
しかし。彼女は精神の平静を取り戻した。……晃雅を案じているから。魔術は使えなくても有能な晃雅。こんな課題、苦労もせずに乗り越えるに決まっている。それでも彼女は晃雅の元へ行きたい。彼女は、少しでいいから晃雅の役に立ちたいと、そう思うのだ。
だからこそ彼女は晃雅を想った。おかげで彼女は平静を取り戻す。ここで死んだら、意味がないではないか。晃雅を悲しませるなんて、それこそ一番望まないことだ。
「《飛翔。鋭利なる刃。――クロス・ウィンド!》」
魔獣たちの方角へ飛翔する風の刃。それは彼女の周囲三方向へ分裂し、それぞれ彼女の右、左、前にいた魔獣の腕を斬り飛ばす。
息をつく間もなく、彼女は後ろを向く。魔獣の気配を本能的に察知した彼女は、すぐに次の行動を決めているのだ。
「《陣風。吹き抜ける一陣の風よ!》」
後ろに振り返る反動を利用して、遠心力に従うように動く手を、勢いよく振り切る。その振り切った軌跡から、風が生み出され、吹き抜ける。それは魔獣を吹き飛ばすほどに強力で、咲良の後ろから牙を突きたてようとしていた魔獣をさらに後方へ吹き飛ばし、生い茂る木々のうちの一つに衝突させた。
「まだっ! 《水流。それは轟々と。――アクア・スクリュー!》」
またも左右に迫っていた魔獣に気付き、彼女は両手をそれぞれ其方に突き出す。すると噴き出す水の柱。勢いよく噴出された渦を巻く水の流れは、それだけで敵を打ちつけ、淘汰した。
ふと見ると、彼女は周りの木々をバラバラに薙ぎ倒し、一人そこに佇んでいた。全て、彼女がやったことだ。魔獣とはいえ、そして殺すほどの威力を持つ魔術を発動していないとはいえ、この場に蹲っている魔獣たちの苦悶の唸りに、彼女は激しい吐き気を覚えた。
……………だからだろう。周囲の木々を薙ぎ倒したとはいえ、彼女の周りが軽く開けたようになっただけ。三メートル先はすでに森だ。それ以上に高度な魔術は使っていない。…否、使えていない。つまり、彼女に死角は多く存在した。そこにきて、先ほどの吐き気。彼女は、近づいてくる他の魔獣に気付けなかった。
「グルル……」
ハッと振り向く。そこにいるのは、熊のような大きな魔獣。先ほどの狼型の魔獣とは比べ物にならないほどに強大な魔獣だ。またも、彼女の表情は恐怖で彩られる。
「あ……あぁ……や、めて……」
乾いた声でなされる抗議も、この魔獣には効かない。………この時、彼女は無力だった。
「グガァアアアっ!!」
その巨体には似つかわしくない初速、そして人間と比べても桁違いの加速度。彼女までの距離を詰めるのは、一瞬だった。
閃光。魔獣の爪が、木々の隙間から差す光を反射した光。閃き、彼女を八つ裂きにしようと襲い掛かる。そして、目の前にある“塊”を、易々と……まるでバターでも裂いたかのように真っ二つに切り裂いた……。
「はっはっー! 正義の味方というのはか弱い女の子を助けるものなのですよっ!! つーわけで! 海斗様とうじょー!! あっ、崎ちゃんじゃなくて残念だった? ごめんなー? 魔力探知のツール見ると、あいつは随分遠くへ飛ばされちまったみてぇだからなぁ」
赤に染まる髪を靡かせ、蒼い瞳を爛々と輝かせた少年は、今日もニシシっと楽しそうに笑う。正義の味方を自称した少年――海斗は、咲良と魔獣の間に立ちはだかっていた。
彼の持つ魔力を探知する自作のツールは、通常では人を識別することは出来ない。だが、晃雅の魔力は異常だ。その高い魔力量故に、海斗は晃雅の居場所を掴み、彼が咲良を助けられないことを察した。晃雅の代わりを務めるべきは誰かと考え、自分しかいないだろうと判断した。つまり、とにかく他の高い魔力の元へ……咲良である可能性の高い魔力の元へ向かうことにしたのだ。彼女の魔力量もまた高いので、その判断は正しく、海斗と咲良との距離が近かったことも幸いし、こうして彼女の危機を救えた、というわけなのだ。
まあ、彼が咲良の元に向かった理由は、遠い場所に飛ばされた晃雅以外の課題攻略の協力者を求めるためでもあったのだが。いや、むしろ、それが一番の理由であったりする。
「ニシシっ! おーい、クマさんやーい! なにを切り裂いてんのー? それは土人形ですよー!!」
そして、魔獣が切り裂いた“塊”。それが海斗の行使した土属性の魔術の一つだ。……ゴーレム生成と呼ばれ、人型の土人形を創りだす魔術なのだ。
「おっし、今から時間稼ぎでもするから、咲良ちゃんはトドメの魔術を詠唱しといてくんない? 俺ぁ残念ながら魔術も体術も並でねー。決定打がねぇんだ。つーわけでよろ☆ こっちも、クマさんのお相手で精一杯なのさっ!」
言いながら、彼はぶつぶつと詠唱し、土の槍を創造して握り、魔獣に向かっていく。ダイナミックに動き、魔獣の注意をひきつけているところを見ると、それなりに動けるようだが、やはり咲良の知る晃雅の動きとは、比べ物にならないほど稚拙なものであった。
先ほど、確かに魔獣を吹き飛ばして吐き気を覚えた。しかし、今度は躊躇えば自分だけの問題ではない。海斗も一緒にお陀仏だろう。
咲良は覚悟を決め、目を閉じて集中しながら、その綺麗なソプラノで詠唱を始めた。
「《冷気、燦然たる雪の煌き。容赦なく凍てつく滅ぼしの風。その全てをいま此処へ―――》」
カッと開かれる眼。鮮やかなブラウンの瞳に、光が灯る。
「吉井くんっ!」
「はいよー!」
咲良の呼びかけを理解し、海斗は真横へ飛び退いた。それを見届けた彼女は、間髪おかずに魔術を発動する。
「《吹雪け、ダイヤモンドダスト!》」
右手を前方に突き出し、その上腕部に左手を添える。そして……。
凍てつく吹雪のような風が、鋭く煌く氷の結晶を含んだ凶悪なそれが、魔獣を包み込む。氷に閉ざされていく魔獣。六角形や八角形、様々な切り口を生み出す氷。まさにダイヤモンド――そうとでも言うべき、とても幻想的な氷のオブジェが作り出された。……魔獣を内に秘めるという、その凶悪性に目を瞑れば、これほど綺麗なモノはないのでは、と思えるような壮麗さを魅せ、“ダイヤモンド”は絢爛に輝いていた。
「……………魔獣さん。ごめんなさい」
パチンっ! 指が鳴らされる。それが魔獣にとっての鎮魂歌となる。
―――――瞬間、壮麗なる氷のオブジェは、指の鳴らされる音を合図に……魔獣を伴って粉々に砕け散った。
次回投稿は五月三十一日(火)を予定しています。