……じゃあ、キライだ
「着いたね」
「ああ。正直、気持ちのいい景色ではないけどな」
純和風の、堂々とした屋敷とでも言うべき建造物。学院のある天凪市、その中心にある屋敷だ。近くには、小洒落た青い屋根の家も見える。
青い屋根の家は咲良の実家。そして、純和風の屋敷が……。
「相変わらず、俺の実家とは思えないな」
晃雅の実家。つまり、永崎……ではなく、『天城寺』の屋敷。全ての魔術師の頂点だ。
「ほら、そんな嫌そうな顔しないの。私も一緒にいるから」
屋敷を見上げ、苦虫を噛み潰したような表情になっている晃雅の背中をぽんと優しく叩く。それに対し、晃雅は気合いを入れるように息を吐き、微笑みを返した。
「ありがとう。……いこうか」
「うん、がんばろうね」
二人は、始めの一歩を同時に踏み出した。
◆
そびえ立つような門の中心、鍵のような装飾のなされた中心部に、晃雅の手が当てられる。
この世界では、魔力認識システムの鍵が導入されて久しい。『鍵』は、天城寺の血、天城寺の魔力を持つ者だけに開けられるものなのだ。それ以外の者は、開けようとするだけで電流によって気絶させられる。……何事もなく門を開け、敷地内に入ってしまうことこそが、彼が天城寺家の者である裏づけだ。
魔術を使えないことで蔑まれた彼からすれば、皮肉な話ではあるのだろうが。
以上、閑話休題。
晃雅たちが門を抜け、天城寺の敷地内に入って最初に目に付いたのは、大きな筒型の物体だった。もちろん、晃雅の記憶にも咲良の記憶にも、これほど歪な物体が庭に鎮座してあったことはなく、最近に創られたものらしいことが伺えた。
「この筒……なんだろう?」
「さあな。まぁ、誰の物かは、だいたい想像つくけど」
そう言って、晃雅は筒型の物体に触れようと近づいた。
「触るなっ!!」
咲良以外の……第三者の声が聞こえ、それに対して晃雅は薄く笑みを浮かべて手を下ろす。どうやら、制止されることは予測済みだったらしい。
「別に、本気で触れようとは思ってなかったさ――逸人」
屋敷側から、風のように文字通り浮かんで飛んでくる少年に向け、晃雅は声をかけていた。通常の人間ならば、その速さを出すことさえ不可能だと思われる速さで地を滑っているが、彼は空気の抵抗をほとんど受けた様子など見受けられなかった。癖のない黒髪も、軽くそよぐ程度だ。
「キミは、まだ僕を呼び捨てにするんだね」
「兄とは思ってない」
天城寺 逸人。涼やかな蒼い瞳と、真っ直ぐに伸びた黒い髪を持つ少年。冷ややかに晃雅を見すえながら、細身の眼鏡をカチャリとずり上げる彼は、晃雅の三つ年上の兄だ。三つだけ年上なら、学院にいて然るべきなはずだが、彼は例外である。特例として、早々に卒業のための単位を獲得し終えているのだ。
晃雅には、二人の兄と一人の姉がいるが、彼は一番近い兄弟だ。蛇足であるかとは思うが、その全員が特例扱いされ、二年以内で卒業している。
「そうか、それはよかったよ。僕も、キミのことなんて血の繋がった弟とは思っていない。……が、それはキミが僕を呼び捨てにしていい理由にはならないよ。目上の者には礼儀を、それが基本だ」
「前時代的だな。たかだか三年の差で、なぜ敬わなきゃならない? 俺は蔑まれているのに」
「キミが蔑まれるのは、当然のことだと思わないか? ここは、魔術師の頂点だ。戦士は要らない。キミみたいに魔術の才能がない者は、忌避されて然るべき。それに対し、目上の者を敬うのは、世間一般で当たり前のことだよ」
「『世間一般』は、人によって定義が変わってくる。何を以って一般だ? 目上の者だからといって、敬うべきではない、能力で判断すべきだ、と考えている人種もいるぞ」
所々、論点のずれた言葉の応酬。この二人は、反りが合わないらしい。おそらく、いつどこで対面しても、口論が始まるのだろう。この光景に慣れているらしく、何も言い出さない咲良がその証拠だとも言える。
「能力で判断すべきならば、キミはこの世で一番、人を敬わなければいけないんじゃないのか? なにせキミは、魔術が使えないのだから。使えないのは、キミだけだ」
「魔術が使えなくとも、魔術師以上の仕事は出来るつもりだ。……あんたなんかよりは、ずっと強い自信もある」
「戦闘系ではない僕に勝ったところで、何の自慢にもならないと思うけどね。……ま、僕もキミ程度に負けるつもりは、毛頭ないが」
カチャリと、眼鏡のブリッジを吊り上げた。表情は冷たく、眉間には深く縦皺が刻まれていた。眼鏡のレンズの向こうから、冷ややかな視線が注がれる。
「ケンカ売ってるのか?」
「キミが最初に、僕より強いなんていう戯言を吐いたんじゃないか」
二人の視線が交差した。
一触即発とはまさにこのことか。大気のマナが動き、逸人が纏う。晃雅の方も、軽く足を引き、拳を構える。
しかし。その構えはすぐに解かれた。
シャツの裾辺りを、引っ張られるような感覚がしたからだ。随分と控えめだが、それだけで何を伝えたいか、晃雅には痛いほど理解できた。
「晃雅、やめて……」
俯き、そのブラウンの髪で顔を隠し、たたずむ。ただ右の手だけが、晃雅のシャツの裾をぎゅっと握っていた。
怪我をしてほしくない、家族同士で傷つけあってほしくない。そんな感情が伺えた。ルールのある決闘ならともかく、こんな殺し合いのようなものは、してほしくないのだ。
「……はぁ、やる気がそがれた」
ふっと、逆巻いていた魔力が大気に戻る。逸人が、纏っていた魔力を払ったらしい。
「これだから、キミとは会いたくなかったんだ。魔術を使えないくせに、僕に怯まない。武器なんてないのに、いつも自信に満ちている。……そんな無謀な有能さが、僕は嫌いだよ」
逸人は、そう言って屋敷の方へ去っていく。晃雅と玄関である豪勢な引き戸は開いたままにしているので、残った二人には『入れ』という意思表示をしているのだろう。
「まったく、めんどくさい兄貴だ」
『入れ』とも言わず……しかし『入るな』と拒否はしない。そんな逸人の背中に向けて、晃雅は声をかけていた。もちろん、聞こえるはずもない小さな声で。
「逸人さん、嫌い?」
「ああ、すごく苦手だ」
即答。反りが合わないのだから、当然だろう。
しかし、そんな晃雅に対して返ってきたのは、嬉しそうな笑い声だった。
「断言はしないんだね」
「何が?」
「嫌いだ、って。わざわざ言い換えて『苦手』って言うのは、嫌いじゃない証拠だよ」
「……じゃあ、キライだ」
言い換えたが、咲良から返ってきたのは、またもや笑い声だった。
「ホントは、仲良しさんなんだよね? 逸人さんも晃雅のことを『無能』だとか『落ちこぼれ』だとか言わないし」
晃雅には、応えられなかった。ただ、自分の兄に対して『恥ずかしいことしやがって』と、理不尽な怒りは覚えたが。
「それに、知ってた? 晃雅って、逸人さんのことだけは、名前で呼ぶんだよ? 他の家族は、フルネームとか他人行儀な呼び方なのに。冗談っぽくても、『兄貴』って呼ぶしね」
笑いながら、咲良は玄関へ向けて歩いていく。晃雅はなにも言い返せず、自分の行動を思い出す。
……今度会ったら、フルネームで呼んでやろう。
思い出し、無性に居心地の悪くなった晃雅は、切実な想いでそう決めたという。……それが本当に実行されるのかどうかは、定かではないが。
彼を照らす夕焼けの紅い光が、どことなく哀愁を誘っていたという話は、余談でしかない。